多摩川河川敷の思案稲荷

●絶好のレスト・ポイント
 多摩川の下流域に入って、二ヶ領用水を分ける地点に「二ヶ領せせらぎ館」があります。多摩川エコミュージアム構想の情報センター、川の情報拠点として一般に開放され、多摩川に関するいろいろな資料が見られるほか、季節ごとの企画展示を行っており、建物の脇には多摩川の見どころや流域の季節のイベントなどを映し出す超大画面のデジタル・スクリーンも設置。国土交通省の河川管理施設というしかつめらしい、カマボコ型のコンクリート打ちっ放しといった味気ない建物の一角にあって、ちょっと興味を惹かれる施設です。
 ここから望む多摩川の眺めのよさやきれいなトイレがあることからも、多摩川右岸のサイクリング・ロードが大きく屈曲する建物前の広場は、特に土・日にはせせらぎ館のビジターだけでなく、多くのサイクリストやジョガーたちのレスト・ポイントとしても賑わいます。

 この100mほど下流側に古くから疫病・悪霊からの守り神、後には治水興農の氏神として、小さな舟島稲荷が祀られています。現在では護岸・治水が整備された多摩川も、江戸時代には暴れ川として知られていました。近年では1974年(昭和49)にこのあたりを中心に大きな被害が出た多摩川決壊を、家庭崩壊に重ねて描いた山田太一脚本のTVドラマ『岸辺のアルバム』(1977年・昭和52)によってご記憶の方も多いかと思います。

 次に大洪水が起きたら確実に水没してしまうかも知れない河川敷の端にあるこの舟島稲荷も、私の格好の休み場です。自宅から世田谷通り〜多摩川水道橋を渡って、「さて、今日はこのまま多摩川右岸のサイクリング・ロードを二子玉川か、それとも二ヶ領用水方面か」という“思案稲荷”でもあります。鳥井脇のベンチで、デイパックから取り出したコンビニ弁当を食べ、川を眺めながら諸々ひと思案。雨や風の強い日には奥のお堂の屋根の下で。ついでにシュラフカバーでひと寝入り。ちょっと上の二ヶ領せせらぎ館付近が賑わっている時にも、この舟島稲荷は静かで心穏やかなひとときを提供してくれるのです。

*二ヶ領せせらぎ館:開館は10:00〜16:00(6〜9月の土・日・祝日は〜17:00)、休館は3〜12月は毎週月曜、1〜2月は毎週月・火曜(祝日の場合はその翌日)、入館無料。
*舟島稲荷:二ヶ領せせらぎ館から徒歩約2分。
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二ヶ領用水ポタリングの惨事と椿事

●頭上注意!
 一昨日は久しぶりの多摩川沿線サイクリングロードを40kmほど走りました。完走後の+αウィニングランは、世田谷通りで渡る多摩水道橋から1kmほど下流の右岸から、南〜東に小さな流れを分ける二ヶ領用水沿いの生活道路。サイクリングロードの巡航走行からのんびりポタリングに移る格好のプロムナードです。

 1590年(天正18)の洪水で多摩川が流路を変えた後、新たな農業用水の導水と水田開発のために二ヶ領(川崎領と稲毛領)にまたがり、徳川家康の用水奉行であった小泉次太夫が1597年(慶長2)から14年の歳月をかけて普請した二ヶ領用水。沿線の建物こそ幾代にもわたって変わり続けたものの、流域のそこここに400年の歴史の面影がしのばれます。就中、4月上旬には流れに沿って居並ぶサクラの繚乱ぶりが見事。その中でも特に私のお気に入りは、JR南武線のガードをくぐる地点の景観です。20回ほどは通過したことでしょうか。

 生活道路として使われているこの道はこの部分に限って、徒歩であろうが自転車やバイクであろうが、いったん川床に降り、流れの縁に付けられた木道からか、転石伝いの対岸に渡り、頭を低くして南武線のガードをくぐります。その高さは一番低い部分で1.3〜1.4mぐらい。そして私の身長は1.81m。電車が邪魔な上の写真ではわかりませんが、サクラ満開時のガード付近の花の美しさに見惚れたり深夜の通過で幾度か頭を、さらにはどんなアクロバチックな格好で通ったものやら、アゴまでをぶつけたこともありました。一度はガードの防護金網の端で額をえぐられ、血みどろになったこともありました(これはちょっと大げさかも)。
 「このローカル野郎、路線変更しろ!」。
 毒づいたことも何度かありましたが、やっと学習できたのは5〜6回目の通過時からでした。少なくとも「頭上注意」の看板は橋梁のボディではなく、もうちょい手前に置きましょうよ、末尾にエクスクラメーション付きで、ね。この南武線と小さな流れを彩る満開のサクラは、思い出し怒りが収まったちょっと先の4月のブログ写真で公開させていただきます。

 ただ最後に昨年の、サクラが散り始めた4月15日(土)、「凄惨な事件」に遭遇したことを付け加えておきましょう−−−−−−−−
 うららかな午後のポタリング中、用水沿いのプロムナードに“警視庁"(神奈川県域なのに)のパトカー数台が停まっており、たくさんの人だかりが流れの中を凝視しているシーンに出くわしたのです。ペダルを漕ぐ足を止め、私も物見高い気持ちで人だかりをかき分けて覗いてみると、流れの中に胸から腹にかけて血だらけになった中年男性が“刑事らしい数人の男に検死"されていたのです〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、ホント!。それにしても、この生々しい惨状を衆目からシートなんかで覆い隠さないってのはどうしたことか、と。

 やがて、血だらけの男性がやにわに起き上がり、動き始めたのでわかったのですが、なんてことはない、TVか映画のロケーションのようでした。ちょっと離れた場所には、ロケ車と数人のスタッフたちがライトやカメラを手に忙しそうに立ち回っていました。これも東京ののどかな春景色の一つだったのでしょうかね。
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カナダ移民130年の苦節

●Cheap Labourの担い手から地歩を築いた
 今年は自らの意志で1877年(明治10)にカナダ(密)入国を果たした、長崎県出身の永野万蔵氏による日本人初のカナダ入国から130年目、そして翌2008年は、日本人による長期移民の基礎を築いた和歌山県三尾村(現・美浜町)出身の大工、工野儀兵衛氏のカナダ移民(1888年・明治21)から120年目にあたります。工野氏は渡加後、バンクーバーVancouverの南側を流れるフレーザー川Fraser Riv.にサケがひしめく様子を故郷に伝えて、多くの三尾村民を呼び寄せました。以来、現在までに3000人以上の人々がカナダに渡った三尾村は「アメリカ村」と呼ばれています。本来は「カナダ村」なのでしょうが、これは当時のカナダが英連邦に属していたことと、日本人には北米が大ざっぱにアメリカと映っていたことが大きいようです。

 以後、カナダ(バンクーバー周辺)の日本人は、ブリティッシュ・コロンビア州British Columbiaの発展に欠かせない低賃金の労働力(Cheap Labour)として、漁業、農林業、鉱業、鉄道建設などに従事していました。ところがその後、白人の生活と地位を脅かすという危機感から、中国人ほかのアジア系移民を対象とする排斥運動の標的となり、1907年(明治40)にはバンクーバーのダウンタウン、パウェル通りPowell St.にあった日本人街が襲撃・破壊を受ける「バンクーバー暴動」が勃発しました。その2年前(1905年・明治38)に19歳で渡加していた私の祖父、半次郎は以後、生活環境や労働の過酷さを厭うよりは心の平静を求めて、東側のアルバータ州Albertaからサスカチュワン州Saskatchewan、さらには極北のユーコン準州Yukon Territoryへと居を移すことになりました。

 約120年前に工野儀兵衛氏が上陸したバンクーバー南側に位置する和歌山市の姉妹都市、リッチモンド市Richmond南端にあるカナダ有数の漁港、スティーブストンStevestonは、サケの卵巣(イクラ、スジコなど)の取引などで頭角を現した日系フィッシャーマンたちが汗と涙で築いた漁村として、スティーブストン博物館Steveston Museumや缶詰工場博物館Gulf of Georgia Cannery National Site、村上ボートハウスBritania Heritage Shipyardなどにその苦難の歴史がうかがえます。

 その多くが若年男性であった初期の日系移民の大きな悩みが、白人社会と交流のなかったための結婚問題でした。日本から伴侶を呼び寄せるために、貸衣装や豪邸、さらには見映えのよい他人の顔写真までをつくろった「写婚」(写真を介しての結婚)も、日系移民史の可笑しくもちょっと悲しいエピソードとしてあります。祖父、半次郎(上の写真左端、1910年代初頭のバンクーバーで)の写婚による最初の日本人妻・チヨノ(上中央、スペイン風邪により1918年・26歳で逝去、私の実祖母ではありません)も、不衛生な貨物船の船底で60日近くをかけて太平洋を渡った果敢な女性でした。

 今年〜来年にかけてはカナダの日系人社会や日本国内でも、移民120〜130年のAnniversaryを祝う幾つかの行事や書籍の刊行があることでしょう。私自身もその一翼を担えればと思っている2007年初頭です。また、ちなみに1月31日は、異人種で構成された広大なカナダに120年以上も前にカタログ・メールオーダー・システムを広めるなど、新しい小売りビジネスを国内に定着させ、同国最大のデパート・チェーンであるイートンズEaton's Department Storeを設立したティモシー・イートンTimothy Eaton(1834〜1907)の100年目の命日でもあり、2008年は戦時の日系人の処遇に対して1988年にカナダ政府が謝罪・補償を行った、20年目のAnniversaryにもあたります。

*カナダ大使館(査証部)TEL03-5412-6200
*エア・カナダ/東京TEL03-5405-8800、東京以外TEL0120-048-048(フリーダイヤル)
*スティーブストン日加文化センターSteveston Japanese Canadian Cultural Centre(現地)TEL604-718-8080
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Light & Fastなスノー・トレック

●スノー・トレックの適材適所
 雪山というとピッケル、アイゼン、冬季仕様の重登山靴というステロタイプにも、最近は適材適所の様変わりが多く見られます。というのもこのスタイルは、氷・岩稜のある冬山には必要でも、積雪中心ならピッケルやアイゼンはかえって邪魔。きちんと使いこなせないと危険でもあり、また、その登降技術が雪山への間口を狭くしている部分もあります。

 たとえば厳冬期の八ヶ岳も、南八ヶ岳の権現岳〜阿弥陀岳〜赤岳〜横岳〜硫黄岳の氷・岩稜でピッケル、アイゼンは欠かせませんが、広く緩やかな雪稜と逍遙的な歩きが中心の北八ヶ岳では、深雪・保温対策がカギになります。私の積雪期の標準的な北八ヶ岳トレッキング・スタイルは上の写真のセットで(各モデルはちょっと古め)、この山域では最も快適で機動性のあるもの。XCスキーではやっかいな、新雪や狭い樹間の曲がりくねった急斜面まで軽快に登降しています。

 左端のスノーシュー(重荷運搬仕様で、硬雪や軟氷の斜面対応の前爪付き)、右端のスノーブーツ(保温インナー+ビブラム・ソールの極寒仕様)ともに13、4年前の購入ですが、ソフトなスノーブーツは足の締め付けが少なく、スノーシューは軽くコンパクトで扱いやすいものも出ています(荷重・目的別)。また、ストック(3点無段階伸縮)は石突き部分に取り付ける無積雪期用のトレッキング・バスケットを、スノー・バスケットに付け替えて使っています。どれも特別な技術的習熟は不要というのがいいですね。

 それまでのピッケル、アイゼン、ワカンジキ、厳冬期専用重登山靴から一つずつ変えていきましたが、全部変わった今、足もと、手もとともに軽やかで、何よりも大きな解放感があります。中部山岳をはじめ氷・岩稜登降のある山や山域を除いた、国内の多くの雪山から雪深い山里までをカバーする、深雪・厳冬トレッキング&ウォーキングのおすすめスタイルです。ただこのスノーシュー、春の腐った深い根雪には構造的に不向きで始末が悪いので、今が使用適季とお考え下さい。
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北八ヶ岳スノーハイク

●スノーシューは目から鱗のイノベーション
 関東圏でビギナーから本格派まで、変化のあるスノーハイクを楽しめる場所といえば、やはり北八ヶ岳でしょうか。北端の大河原峠から南側は中山峠あたりまで、林間、池めぐり、稜線のどのコースをとっても危険な場所はなく、縦横にめぐらされたコースは時間と体力に応じた取り方が自由。けっして広いとはいえない山域に点在する多くが通年営業の山小屋の、この時季ならではの心地よさも大きな楽しみの一つです。

 なかでも私が1970年代前半から通い続けているのが、山麓からピラタスロープウェイで7分の坪庭から麦草峠へたどるもの。天気がよければ縞枯山(しまがれやま、2403m)〜茶臼山(2384m)をつなぐ稜線コース、吹雪いていれば、その西側山腹をたどるアップダウンの少ない五辻(ごつじ)コースをとります。70〜80年代にはワカンジキかツボ足(軟雪の踏み込み歩行)でたどったのが、90年代前半からは北八ヶ岳をブームに広まったスノーシューの使用で、ずいぶんラクになりました。

 89年の1月半ばに当時5歳の娘を連れて上がった1月の縞枯山では、大量の雪が吹き溜まる雨池峠の少し上で、身長1mを少し超えたばかりの全身が深雪に何度も落ち込んだ娘の掘り返しに悪戦苦闘。近所のスーパーで買った粗末なのびのび手袋(2着ダブル使用)に浸みた雪で、白く凍傷になりかけた彼女の小さな手を私の口の中で温めてヒヤッとしたこともありました。まだ小児用の冬山道具などなかったころです。

 北八ヶ岳一帯のクロカン・パーマネントコースをスノーシューが席巻し始めたのは90年代も後半だったでしょうか。購入して10数年になる私のイカツイ前爪付きのロングテール・タイプは、当初は蒼氷以外の斜面ではアイゼン不要の、ワカンジキの超進化形として自慢の道具の一つでしたが、軽やかで小回りのきくショートテール・タイプが主流になった今、人前で履くことも少なくなりました。「スノーハイクはやはりツボ足に限る」などと負け惜しみながら。

*積雪期標準(ツボ足)コースタイム:JR中央本線茅野駅(諏訪バス55分)ピラタスロープウェイ・山麓駅(ピラタス蓼科ロープウェイ7分)山頂駅・横岳坪庭(30分)雨池峠(1時間)縞枯山(10分)三角点展望台下(35分)茶臼山(1時間)大石峠(15分)麦草峠(2時間)国道299号線メルヘン広場(タクシー35分)JR中央本線茅野駅
*宿泊施設:麦草ヒュッテTEL0266-67-2990・0266-78-2231、縞枯山荘TEL0266-67-5100
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