江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

古墳群の調査1

2017年06月19日 | 歴史・文化

 江別古墳群は、江別市街地の広がる野幌丘陵の北辺にあって、西方から流れてくる旧豊平川はここで丘陵に突き当たり大きく屈曲して北上、石狩川と合流しています。

 後藤寿一の報文には、40畳ほどの古墳の位置を示した地図が掲載され、「古墳の密集せる部分は殆ど隙間なく並んでいます。
しかし、それが何の形態をも取らず、また統一もない」(後藤寿一「古墳の発掘について」『蝦夷往来』8)とあります。
後藤が調査したのは、そのうち16基です。

 以下後藤の報文を要約すると、墳丘の規模は概ね3〜4メートルの円形もしくは楕円形で、大きなものは5メートル以上に及び、小さなものは1メートルを出ない細長い土盛りです。
地面に深さ30〜70センチメートルで、幅50〜60センチメートル、長さ2=2.5メートルの長方形の穴(墓墳)を穿って死体を葬り、この穴の向きは主として東西または東南東と西北西に長く、穴の東橋に頭蓋の断片が見つかったものもあったことから、頭部を東方に向けて葬ったものと考えられています。

 副葬品は、毛抜形刀・蕨手刀・小刀・刀子などの鉄製利器、耳環(鉄製・亜鉛製等)・勾玉(琥珀製・石英岩製)などの装飾品、紡錘車などで、人骨とともに穴の底部にあるのが普通ですが、時には盛土の中にも発見されています。
古墳中に完全な土器はまったく発見されていません。

 江別市教委による昭和55(1980)年の調査の際は、すでに墳丘は消失していましたが、周溝からその存在を確認しました。
2基の古墳からは墓壙も検出されました。
残念ながら後藤が調査した古墳との対応関係は明らかにできませんでした。
しかし、周溝中からは土師器・須恵器・鉄鏃・鉄鋤など、後藤の調査の際には得られなかった遺物の発見もありました。

 町村農場遺跡は、坊主山遺跡の南側に連なる丘陵上に広がっています(農場は平成4年に篠津地区へ移転)。
河野の報文によれば、発見されたのは2基で、耕作により墳丘部は失われていました。
うちXー1号では200×85センチメートル長方形で深さ5センチメートルほどの墓壙が確認され、副葬品として細身の直刀2点、刀子1点、鉄輪1点が出土しました。
ただし、詳しい位置については不明です(河野広道「北海道の古墳様墳墓について」『考古学雑誌』24-2」)。



註 :江別市総務部「新江別市史」40-41頁.
写真:復元された江別古墳群<写真1-12>
 同上書40頁掲載写真1-12を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。

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