
地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンは、明治5年11月、開拓使雇として来朝し、翌年からアメリカより同伴した助手のマンローおよび日本人の助手13人を伴い、満三カ年間北海道の地質鉱物の調査に従事しました。
調査の性質上内陸深く分け入って踏査しましたが、その足跡は全道に及び、なかでも明治7年開拓使出仕佐藤秀顕・小主秋山美丸らと共に通訳・人夫数十人を従え、札幌を発して石狩川を遡り、十勝側に出て十勝川を下って東海岸の大津に着いた約20日の調査行は、石狩川の水源を極め、いままでアイヌ以外歩いたことのない十勝と石狩の分水嶺を超える大探検でした。
ライマンの測量法は手帳の角を利用した三角測量と歩数によって概測し、見取り絵図を作製する簡易なものでした。
しかし、その正確さは驚くべきもので、この時の成果である「石狩及オトプチ川之図」は、前年に行われた石狩川水域の河川測量がアイベツより上流に及ばず、十勝川河川測量が全く行われなかった当時、デーの名で報告観光された「石狩川測量報文」および「図」を補うものでした。
ライマンの作製した図の多くは、地下資源を表した部分図でしたが、「石狩及オトプチ川之図」の他、「北海道本島之図」、「石狩平原図、自幌向至空知」などの地質図以外の地図もあり、地質図と共にいずれも開拓使から刊行領布されました。
(参考)
当ブログ2010年 8月26日(木)「明治期初期内陸部踏査」
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註:北海道「新北海道史」441-442頁.
写真:ライマン北海道地質測量報文
北海道開拓記念館にて撮影許可を得て、当ブログ掲載いたしております。
調査の性質上内陸深く分け入って踏査しましたが、その足跡は全道に及び、なかでも明治7年開拓使出仕佐藤秀顕・小主秋山美丸らと共に通訳・人夫数十人を従え、札幌を発して石狩川を遡り、十勝側に出て十勝川を下って東海岸の大津に着いた約20日の調査行は、石狩川の水源を極め、いままでアイヌ以外歩いたことのない十勝と石狩の分水嶺を超える大探検でした。
ライマンの測量法は手帳の角を利用した三角測量と歩数によって概測し、見取り絵図を作製する簡易なものでした。
しかし、その正確さは驚くべきもので、この時の成果である「石狩及オトプチ川之図」は、前年に行われた石狩川水域の河川測量がアイベツより上流に及ばず、十勝川河川測量が全く行われなかった当時、デーの名で報告観光された「石狩川測量報文」および「図」を補うものでした。
ライマンの作製した図の多くは、地下資源を表した部分図でしたが、「石狩及オトプチ川之図」の他、「北海道本島之図」、「石狩平原図、自幌向至空知」などの地質図以外の地図もあり、地質図と共にいずれも開拓使から刊行領布されました。
(参考)
当ブログ2010年 8月26日(木)「明治期初期内陸部踏査」
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