江別創造舎

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円筒土器と北筒式土器

2017年04月13日 | 歴史・文化

 円筒土器文化は、前期後半から中期にかけて津軽海峡を挟んで東北地方北部と渡島半島に広がった文化です。中期(5千年か~4千年前)になると円筒土器下層式に後続する円筒土器上層式土器が石狩低地帯へ一気に分布を広げ、地方化した荻ケ岡土器を成立させました。
 一方、道東北部には中期前半、モコト式から北筒式土器が広がり、北筒式土器はやがて石狩低地帯まで分布を広げ、円筒土器上層式土器と対峙するかたちになりました。

 円筒土器文化は、温暖な気候を背景に安定した文化だったらしく、前期には南茅部町ハマナス野遺跡や函館空港第四地点遺跡、中期には青森県で有名な三内丸山遺跡、渡島半島でも大船C遺跡といった大規模な集落を残しています。
 江別では、前期末の大麻5式の住居跡が大麻5遺跡で2軒、大麻6遺跡で9軒見つかっています。これらの住居跡は、直径5~6メートルの隅丸方形・円形・長円形で、付属施設として柱穴・炉穴・中央ピットをもっています。

 中期に入ると、いよいよ江別でも本格的な集落が現れてきました。
昭和50(1975)年より平成11(1999)ねんまで17次にわたる調査が行われた高砂遺跡では、200軒近くの住居跡が確認されています。
 伴出時は、荻ケ岡式1~4式、北筒式と一部後期初頭に位置づけられる余市式土器などですが、荻ケ岡4式から北筒式にかけてが中心になるようです。

 平面形は、円または長円を基調としていますが、形状が明確でないものも少なくありません。規模は、直径3~4メートルで全般的に浅い掘り込みの小規模なものが主体を成しています。同じ時期の住居跡としては西野幌11遺跡(荻ケ岡3・4式~北筒式)で27軒、東野幌4遺跡(北筒式)で18軒が確認されています。




註:江別市総務部「新江別市史」24-25頁.
写真:高砂遺跡の集落跡
 同上書写真1-3掲載写真を複写掲載いたしております。


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