もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

来年の「日韓国交正常化50周年」はよほどのことがない限り祝う必要なし! むしろ‘悔恨の50年’だ!

2014-08-30 17:04:38 | 政治
2014年8月30日
「韓国の趙兌烈外務第2次官は28日、ソウル市内で講演し、日韓関係悪化の原因は両国にあるとの見方や、韓国政府の硬直した態度が原因との見方には「全く同意できない」と述べ、歴史問題などをめぐる日本側の言動が悪化の原因だとの認識をあらためて示した。 一部の韓国メディアなどで、朴槿恵政権の対日外交への批判が出ていることに反論した。 趙氏は朴政権発足後「韓国側から先に日本を刺激したり挑発したりしたことは一度もない」と主張。3月の日米韓首脳会談が日韓関係改善の転機となり得たが、日本が慰安婦問題をめぐる「河野談話」検証など「逆行する動き」を続けたため、関係が依然冷え込んでいるとの認識を示した。 その上で、慰安婦問題で日本に誠意ある対応を求め、「来年の国交正常化50周年を両国民が気持ちよく記念できることを願う」と述べた。」(共同 28日 産経)。
これは、今月15日の「光復節」で朴大統領が述べたことの繰り返しであるが、こんなふざけた話を執拗に繰り返すところに、彼らのどうしようもないピンボケぶりが感じられる。ちなみに、朴氏の演説は次のようなものだった。
「いわゆる従軍慰安婦問題について、「正しく解決すれば、韓日関係が堅実に発展する」と述べた。 安倍政権に具体的な対応を取ることを重ねて求めたものだ。 朴大統領は、来年の日韓国交正常化50周年について、「両国が新たな未来に出発する元年になることを願う」と述べ、関係改善に期待感も示した。だが、慰安婦問題の「解決」を事実上の前提条件としており、…略…。 演説で朴大統領は、「韓国政府は、日本の指導者たちに正しい歴史認識を求め、特に、軍隊慰安婦の被害者たちが生きている間に、この方たちの納得できる措置を取るよう要求してきた」と指摘した。さらに、安倍政権を念頭に、「日本の一部の政治家たちは両国民の心を裂いて、傷つけている」と主張した。」(15日 読売)。
これらの発言は次のような大きな問題を含んでいる。
1_関係改善の努力を一方的に日本に押し付けるだけで、自分たちがなにかをしようという発想、気概が全く感じられない。要は‘他人事’であり、自分たちが当事者であるという意識がまるでない。ここに見られるのは、安易な大衆迎合であり、関係悪化の原因をすべて日本に押し付けて、政権の浮揚につなげたいという身勝手な論理だけである。
2_日本が「日韓国交正常化50周年」を祝いたいのなら、そうしてやっても良いが、そのためには、日本は韓国の要求を満たすことが条件になると言っていることである。50周年の慶事をも、取引材料に使おうという、さもしい根性に満ちている。とにかく全体として感じられるのは、一方的な決めつけであり、させてやっているという上から目線である。一体、何様のつもりなのだろうか。
3_「日韓国交正常化50周年」は確かに一つの区切りなのだから、これを契機に関係を改善し、発展させられればこれに越したことはない。しかしながら、50年は日韓基本条約締結からの話なのだから、これを祝うためには、この条約が双方でしっかり守られていることが必要だろう。ところが、この条約は韓国側の思惑で、まったく骨抜きにされようとしている。日本側としては韓国側のこの態度が改まらない限り、来年を祝うことはできないだろう。
日本側は、この条約にうたわれている責務をすべて完全に果たし、韓国側は日本側の資金援助、技術援助ほかをすべて受け取った。にも関わらず、彼らが行うべきことが行われていない。それはまず懸案として棚上げされている竹島の帰属をめぐる交渉であるが、交渉を開始するどころか、韓国はこの50年の間に、恒久的実効支配を狙って、一方的に支配を強化している。また、条約で完全かつ最終的に解決したとされる請求権の問題を、慰安婦や戦時徴用工などの問題で蒸し返し、実質的な再交渉を要求してきていることである。また、条約の理念であるはずの、両国の友好親善、関係発展の理念を踏みにじり、慰安婦問題、歴史認識問題他で、海外において、日本批判を繰り返している。このような状況で、どうしてこの「50周年」を祝うことができようか。
こういう状況は、日本側のこれまでの対応が一因となっている。それは宮沢内閣をはじめとする歴代政権が、無節操で姑息な「土下座外交」、「御用聞き外交」、「先送り外交」を繰り返し、彼らを甘やかし、彼らに足元を見られたからである。この「50周年」を契機に、これまでの日本外交の甘さを反省し、取り組みを転換する必要がある。それは彼らの不当な要求に唯々諾々と譲歩するのではなく、条約や、取り決め、そして国際的な普遍的価値基準でもって、断固として言うべきことを言い、やるべきことをやり、やるべきでないことをしないことである。
いずれにしても、絶対にあってはならないことは、来年を祝いたいということだけを先行させ、理不尽で無節操な譲歩、機嫌取りをしないことである。そんなことまでして、この「50周年」を祝う必要はない。

韓国側はあたかも慰安婦問題が最大にして最後のハードルのような言い方をしているが、もう騙されてはならない。たとえ慰安婦問題で日本が譲歩したとしても、彼らは決してそれで満足することはなく、やがてまた新たな難癖を付けてくるだろう。彼らが米国他で進めている慰安婦像や慰安婦碑の建設を通じた、虚偽に満ちた不当な日本非難を止めることもないだろう。慰安婦問題が小康状態に入れば、戦時徴用工の問題や、歴史認識問題などを持ち出して、さらにいろいろな要求を突き付けてくるだろう。譲歩すればするほど、彼らは高圧的になり、関係が悪化する。だから、韓国を突き放し、頭を冷やさせること、これが現在なされなければならないことである。それがこの50年で得た貴重な教訓なのであり、もう同じ過ちの繰り返しは許されない。

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