さて、最近ではすっかり
℃-uteの村上愛(ムラカミメグミ)さん推し
になってきた自分ですが。
先日 相互リンクさせて頂いている
Sunny Hello!管理人のゆうさんから
「好きになった理由」について聞かれることがありました。
ようやく紺野さんの引退についても心の整理がついたと
自分でも感じていますし、今回は
「村上愛さん推しになった経緯」
について書いてみたいと思います。
まず1番昔で村上さんについて憶えているのは
ハロプロキッズオーディション合格発表の時です。
司会の(?)なっちが「むらかみあいちゃん」と間違えて
呼んじゃった後「めぐみです。」って訂正を求めたシーンですね。
その時は「ほー、愛でめぐみって読むのかぁ。」とだけしか
思わなかったんですけども、ね。あー、かなり懐かしいですねー。
その時は村上さんはまだ小4だったのかな?
初めて村上さんに興味を持ったのは
ZYX(ジックス)2ndシングル
「白いTOKYO」の時です。CMでPVが流れているのを見て、
「あ、これ村上ちゃんだっけ?・・歌うまいし結構・・かわいいな。」
って思ったの憶えています。その頃は「キッズ推しは自分にはムリ!」
とか言いつつも「でもまぁキッズだったら村上ちゃんだろ!」って友人に
言ってましたね。今考えると失礼な話です。m(__)m
「村上愛」の顔と名前が完全に一致したのは
その時だったんだろうと思います。
ちなみに「白いTOKYO」のCDはライブで観て心に残ったので
会場内で買いました。実は今そのCDを聞きながら記事を書いていたり
するのですが・・冬の歌なので少々季節感が合わないです(笑)
とか思ったらカップリングは「常夏娘。」A面が冬でB面が夏!?
なんかレアなCDだな、とか思いました。
・話を戻します。
でもZYX以降しばらくは村上さんについて
ほとんど記憶がありません。
その頃はとにかくどんどん紺野さんに夢中に
なっていった時期だったからだと思います。
そんな中
「村上愛」が本当に気になりだしたのは
モーニング娘。の藤本美貴、Berryz工房の夏焼雅、そして
(現℃-uteの)村上愛の3人で結成された2005年の
シャッフルユニット、
「セクシーオトナジャン」でした。
彼女のルックス、歌唱力、ダンス・・・
正直かなりの魅力と将来性を感じました。そして
「あー、将来めっちゃ好きになるかもなー。」
なんてその時は思ってましたね。
キッズに興味を持った自分にちょっと驚きつつも
うーむ。ハロプロは層が厚くなってきたなぁ。こりゃハロプロは
まだまだ行けるな!って感じでした。
結局の所、あいかわらずの紺野ヲタでしたね。
もしかするとこの年のシャッフルに紺野さんが参加していなかった事が
今の自分には大きい事だったのかもしれません。
もしどこかのユニットに紺野さんが参加していたら、
紺野さんばかり見ていたであろうことは明白ですし。
そうだったらそんなに村上さんに注目する機会もなく
シャッフル祭は終わっていたかもしれません。
さらにもし同じユニットに紺野さんと村上さんが
入っていたら・・たぶん2人を比べてしまって
「やっぱりコンコンしか推せないや」
なんて結論が自分の中で出てしまっていたかもしれないですから・・。
セクシーオトナジャン以降、村上さんの事を
村上ちゃんではなくめーぐると呼ぶようになりました。
そしてその年の夏のハロプロライブからは
めーぐるも注目して観るようになりました。
まぁコンコンみたく終始ロックオン状態!とかでは全然なかったですけど。
今手元にハロプロ2005夏ライブ&2006年正月ライブ時の
「村上愛ソロピンナップポスター」がある事からも、
2005年夏からめーぐるに興味を持ち始めたという事が言えます。
やっぱりソロのグッズに手を出す、という事は大きな1歩でしょう。
しかも2005夏ライブポスターなんてヤフオクで落として
入手してました。その頃の自分がコンコン以外のグッズをオクで
落とすなんてよっぽどですね。ちなみに正月ポスターは自力で引いた
「夏焼雅」と1:1の現地トレードで入手してました。
Hello!Project 2005 夏の歌謡ショー Selection!Collection!ポスター。
Hello!Project 2006 winter ワンダフルハーツ ポスター。
しかしその後は℃-uteとして晴れて活動が本格化したにも
かかわらずめーぐるに興味を持つ事はあまりなく、、
紺野ヲタとしての日々が過ぎていきました。
そして2006年4月28日、
紺野あさ美さんのハロープロジェクト卒業が発表されました。
この時ほどのショックを受けた事は
それまでの人生の中でも数えるほどしかありませんでしたね。。
でもそんな失意の中、その日はすぐにやってきました。
5月6日・7日の2日間、さいたまスーパーアリーナにて
紺野あさ美のモーニング娘。単独では最後となるコンサートが
行われたのです。
しかも7日はコンコン19歳のバースディでしたので
6日は18歳最後の、そして7日はバースディラストライブ
という紺野ファンにとってはまさに歴史的な2日間となったのです。
当然コンコンの卒業記念グッズが欲しくて現地では
グッズ列に朝から並びました。購入する物は事前に決めていましたが
当日、
℃-uteのインディーズデビューCDが発売される事を知りました。
当初買うつもりはありませんでしたが
グッズ売り場寸前で急遽購入を決めました。
「そんなに欲しい訳じゃないけどせっかく何時間も並んだんだし
とりあえず買っとこう。場合によっては転売すりゃいいし。」
くらいの不純な気持ちでしたけどね正直。
℃-uteはコンサートのオープニングアクト(いわゆる前座)
として登場し、2曲を披露しました。
この時は言うまでもなく紺野あさ美さん引退について
心の整理はまだまだ着いていない時でしたから
℃-uteとか出てこられてもな・・と思っていましたが・・・。
大勢の観客を前にしても臆する事なく、笑顔で
すばらしいパフォーマンスを行っている8人を観て、心を打たれました。
℃-uteの8人はホントに楽しそうで・・。
自然に自分も楽しい気持ちになっていました。
コンコンの事を考えるとどうしても沈んだ気持ちになっていましたが
今日はライブなんだし楽しまなくっちゃ逆にコンコンにも悪いよね!
よし!今日は思いっきり楽しもう!!
って気持ちに℃-uteのおかげでなれたような気がします。
言い方はおおげさになるのかもしれないけどその時は、
℃-uteの8人に心を救われたような・・・そんな気持ちになりましたね。
ライブ終了後外に出て、それから・・・
すごい心の葛藤があったのを憶えています。
℃-uteの8人が魅せた歌、ダンスのパフォーマンスが
強く強く印象に残っていて、、そしてその中でも
めーぐるの輝きをすごくまぶしく感じていて・・。
「これからどんどん成長していく℃-ute、そしてめーぐるを応援していくのは
絶対楽しいと思う。でも、でも自分はコンコンが好きだから・・
ウン。℃-uteの応援は他の人に任せるよ!」
なんて好きになっていく気持ちを無理に抑えて閉じ込めて・・・
そう、そうですね。それで合ってると思います。
とにかくその時は心が苦しかったです。
結局その日(6日)の葛藤は「℃-uteの応援は他の人に任せる」
で決着しました。家に帰っても℃-uteのCDは未開封で、
曲を聴く気にはなれませんでした。
℃-uteのCDを開封したのは確か6月に入ってからだった
と思います。よく憶えてないのですが、心の整理が少しずつ着いて
いく中で、「別に良い曲だし普通に聴けばいいじゃん。」って思った
日があって。その時に開けて聴いたんだったと思います。
曲を聴いた感想は、
「あー、そういえばこんな曲だったなー!ウンやっぱ良い曲だわ。」
でしたね。ココは憶えてます。
さいたまで苦しんだ葛藤は、起こりませんでした。
それから運命の7月23日を迎え、
代々木でコンコンの卒業を見届けて。
しばらくは全力で応援して燃え尽きた気持ちと
いなくなってしまった喪失感でいっぱいでした。
今後ハロプロファンを続けるかどうか・・悩みましたね。
ここから先は
「℃-uteカテゴリ」を作り
ブログで記事にしましたので、そちらも合わせて読んで頂けると
うれしいのですが・・。簡潔に書きますと、
いつからか
℃-uteが今の自分の心を明るくさせてくれる
心の救世主みたいな存在に思えてきて
いろいろと考えたけど
今は素直に応援したいと思う℃-uteを、そして特に
めーぐるを応援していく事にしよう!と決めたのです。
そしてメジャーデビューDVDを購入し、
そこに封入されていたイベント参加券を持ち
9月10日(キュートの日)によみうりランドに向かい、
そこでの圧倒的なパフォーマンスにすっかり魅せられて、
めーぐる推しの℃-uteファンになって現在に到るという訳です。
長々とふりかえってみましたが、今考えてみると
2006年5月6日、さいたまスーパーアリーナ1曲目、
「まっさらブルージーンズ」
が自分をここまで引っ張ってきたんじゃないかって、そんな気がしています。