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会計というモノサシ

2006-12-02 09:24:42 | みんなの会計雑学講義
いよいよ12月に入ってしまいましたね。
お勉強の調子はどうですか?
年末にかけて、なにかと忙しくなるので、なかなか勉強どころではないかも
しれませんね。
まあ、たまには、勉強を忘れてリフレッシュしてみて下さい。

 ところで、日本の中小企業の多くが会計を軽視する傾向にあるようです。
しかし、会計というのは企業の強さを測る「モノサシ」であり
適切な経営や、投資、融資などの意思決定をする上で重要なものです。

 エネルギー大手エンロン、そして通信大手ワールドコム。
花形成長企業ともてはやされた米国企業の相次ぐ破綻は
「不正経理」の表面化が引き金になりました。
このことは、ご存知かと思います。
 企業が投資家に実態を開示するための決算書を作るルールである
「会計基準」やその決算書が正しいかどうかをチェックする
「監査制度」に大きな不備があったのが原因だと当時は批判されました。

かつて世界最大の会計事務所だったアーサーアンダーセンは
エンロンの不正を見逃した責任を問われ、事実上解体に追い込まれました。
これらの事件により、決算書が信じられないという「会計不信」は
米国のみならず世界中にも広がっていったのでした。

 「会計」と聞いて多くの日本人が最初に思い浮かべるのは
大学や専門学校で教える「簿記」ではないでしょうか。
費用をどういう項目に仕訳をするのか、といった辛気臭い「経理処理」を
連想する人も多いと思います。
ですが、グローバル化した資本主義経済の中での「会計」はもっと
大きな意味を持っています。

 会計とは、企業の実態を正しく第三者に示す一連の仕組みである。
煎じ詰めれば、「会計」とは企業の「強さ」を測る方法のことといえます。
売上の数字も利益の数字も、会計があって初めてはじき出されます。
会計がなければ各種コストの算定も資産価値の評価もできませんよね。
すなわち、会計がなければ、企業は自分の強さ・弱さを正確に知ることは
できないのです。
「会計なくして経営なし」それほど会計というのは企業にとって重要なもの
なのです。

 それだけではありません!
企業会計は、社会にとってもきわめて重要な意味を持ちます。

 投資家は企業の株を買うときに何を見るか。国や自治体は企業から税金を
徴収するときには何を見るか。
個々の企業の財務諸表でしょう。
まさしく、会計の結果を見て判断するのです。
企業の会計がいいかげんであったら、株式市場から国の税体系に至るまでが
大きな影響を受けることになります。
いかに、企業会計が社会的にみても重要であるかおわかり頂けるのでは
ないでしょうか。
 
 それだけに、企業がおこなう会計は統一された同じ方法で
行なわなければなりません。
統一の基準が必要となる。その基準が「会計基準」なのです。
この「会計基準」は、複式簿記の原理の中で具体的にどのように
処理・金額計算を行なうのかを決める会計法規のことをいいます。

 実はこの会計基準は、国単位でバラバラでした。
それが、経済のグローバル化が急速に進み、カネが国境を越えて動き回るように
なった1990年代に入ると、国ごとに会計基準が異なることが大きな問題として
クローズアップされるようになりました。

 つまり、機関投資家が世界中の企業を分析し、投資資金を地域分散する際に
各国企業の強さを比較する必要がでてきたのです。
そして、この「強さ」を測るモノサシ=会計基準の違いが予想以上に
大きいことが次第に明らかになり、さらに、会計基準の違いが国際社会で
問題化する過程で図らずも大きな役割を担った国があったのです。
その国とは、私達の国「日本」でした。

 つまり、日本企業の強さの秘密の裏側には、強さを測るモノサシである
会計基準の違いがあっいたのです。
このことにより、もはや日本も含め世界中の企業を公正に比較できるひとつの
モノサシ、つまり、「国際レベルの会計基準」を作るべきではないか
という声が欧米で強まっていきました。
そして、現在、「世界レベルの会計基準の統一化」が進んでいる最中であり
日本も当然、この激流の中に飲み込まれているのです。
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経営と会計の実学

2006-10-23 14:03:10 | みんなの会計雑学講義
京セラ創業者稲盛和夫氏の経営と会計に関する考え方

稲盛和夫氏は、名経営者として大変有名です。

その稲盛氏が以下のように、「稲盛和夫の実学」という著書で
以下のようにおしゃられています。


原理原則に則って物事の本質を追求して、人間として何が正しいかで判断する

 物事の判断にあたっては、常にその本質にさかのぼること
そして人間としての基本的なモラル
良心にもとづいて何が正しいのかを基準として判断をすることが
もっとも重要である。

減価償却と原理原則による判断
 会計の分野における原理原則に則った判断というものについて
固定資産の減価償却に用いられる耐用年数の例で考えてみたい。

たとえば、経理の担当者に「機械を買うとなぜ減価償却が必要になるのか」と
尋ねるとする。

「機械というものは使っても形を変えずに残っている。原材料のように
使えば製品に姿を変えてなくなってしまうものとは違う。
それゆえ、何年も動く機械を買ったのに一時にすべて費用として落として
しまうのはおかしい。」
「そうかと言って、さんざん使ったあげく、捨てるときに初めて費用に
落とすというのも明らかに不合理である。
その機械がきちんと動き、製品をつくることができる耐用年数を定めて
その期間にわたって費用計上するのが正しい」という答えが
返ってくるであろう。これは納得のいく話である。

ところが経理の常識では、その耐用年数について
いわゆる「法定耐用年数」に従って償却することを考える。
財務省の省令の一覧表にあてはめて償却年数を決めるのである。

たとえば、その一覧表によるとセラミックの粉末を
成型する設備は「陶磁器、粘土品、耐火物などの製造設備」の項目に該当し
耐用年数は12年と定められている。この規定に従えば、非常に硬度の高い
セラミックの粉末を成型するため磨耗が激しい機械設備でも12年で
償却することになる。一方、磨耗がそれほど激しくない
菓子製造用の砂糖やメリケン粉を練る機械は
「パン又は菓子類製造設備」の項目に該当し耐用年数は9年と
セラミックより短くなっている。
 
これは容易に納得できことではない。

それぞれの機械が正常に機能する期間で費用に計上することが
当然であるにもかかわらず、実務には
法定耐用年数」に無理矢理あてはめるという決め方をされて
経営者として平生としていられるだろうか。
法定耐用年数というものは「公平な課税」を
重視する税法において、定められたものであり、個々の企業の状況の相違を
認めないで「一律公平に」償却させるためのものである。

 私の経験では、セラミックの粉を四六時中練れば、機械の保守をきちんとして
大切に使っても、せいぜい5、6年持たせるのが精一杯である。
そうであれば、償却も実際に機械を正常に使える年数で行なうべきであろう。

 しかし、経理・税務の専門家は、「決算処理上6年で償却したとしても
税法上は12年で償却しなければならない。
だから、もしそうすれば最初の6年は償却が増えて利益は減る。
ところが、税金計算では法定耐用年数の12年での償却となるので
利益は減ってもその分の税金は減らないことになる。

 いわゆる税金を払って償却する有税償却になる。」と言うであろう。
また、「税務上の耐用年数が法令で定められており、みんながこれに
従っているのにわざわざ無理に異なったことをやるのは賢明ではない。
実務的にも償却計算が二本立てになって煩雑になる」と主張するかもしれない。
このような専門家の意見にたじろいで多くの経営者は「そのようなものか」と
思ってしまうのではないだろうか。

 たとえ実務上の常識がそうであったとしても経営や会計の原理原則に
従えば、有税であっても償却すべきである。
6年で駄目になるものを12年で償却したら、使えなくなっても償却を
続けることになる。
すなわち実際に使っている6年間は償却が過小計上されており
その分があとの6年へと先送りされていることになる。

「発生している費用を計上せず当面の利益を増やす」というのは
経営の原則にも会計の原則にも反する。
そんなことを毎年平然と続けているような会社に、将来などあるはずがない。
「法定耐用年数」を使うという慣行に流され、償却とはいったい何であり
それは経営的な判断としてどうあるべきなのかという本質的な問題
忘れられてしまっているのである。
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簿記検定2級以上の方のための雑学

2006-10-08 13:00:12 | みんなの会計雑学講義
ハイブリッド・コスティング 
簿記検定2級や1級の工業簿記のテキストでは
個別受注生産では個別原価計算が適用されて
大量生産では総合原価計算が適用されると説明されています。



 しかし現実には、顧客の注文に応じて個別に製品を生産する
受注生産でも、合理性の観点から異質的な生産活動を可能な限り
標準化、同質化する傾向にあり他方、同質的な標準製品を見込み生産する
大量生産製品においても、多様化する顧客のニーズに対応するため
供給する製品の異質化をすすめています。
例えば、パソコンを購入する際のカスタマイズがその例でしょう。
      

このように、生産活動の同質的な部分には簡便的な総合原価計算を取り込み
異質的な部分には厳密な個別原価計算を適用するといった、混合形態の原価計算
システムを採用する事例が増えています。

工業簿記を単純に暗記して学習している場合、このような発想はでてきません。
やはり、工業簿記・原価計算の考え方を身につけないと実務では
使えないのです。

 
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テキストは早寝早起き、実務は夜更かしと朝酒

2006-10-03 20:56:16 | みんなの会計雑学講義
簿記や会計学のテキストには、理想像がこれでもかと
書いてあります。
しかし、なかなか、そこは人間のやる事
理想どおりにはいかないようです。


 公認会計士試験の試験委員や国際会計研究学会理事などを歴任した
田中弘氏はかくも語ります。


「わが国において、会計理論は実務に反映されていない
 わが国では、会計や簿記のテキストに書いてあることと
実際の実務が違うということを書きました。 
しかし、こうしたことは、実はささいな違いです。」

「もっと大きな違いがあるのです。」

 わが国のテキストには、実は、企業会計として
こうして欲しいという理想型の会計が書いてあります。
ところが、理想型のとおりには企業の決算は行なわれていません。」

「わが国の企業決算は、すべてではないでしょうが、粉飾やら利益操作やら
情報の隠蔽やら、どうもあまり正直には行なわれていないようです。」

 「要するに、テキストには「早寝早起き」が書いてあるのですが
実務は「夜更かしと朝酒」が大好きなようで、その落差が
企業外部の人たちにはわからないのです。」

そうなると、テキストに書いてある会計理論とやらは
どうも道徳か倫理の話しに似てませんか。」


最近のカネボウ粉飾決算事件やら、ライブドア粉飾決算事件などをみると
まさしく、上記の田中氏の話が的を得ているようです。
この点から、1つのことがいえるのではないでしょうか。

 それは、つまり、どんなに高度な会計知識や経営知識を有していたとしても
結局は、高い道徳心を持っていなければ意味がない
といえるのではないでしょうか?

 企業の真実の財政状態及び経営成績を表示するものが
企業会計、簿記の役割ですが
本当に、財務諸表をそのような姿にするためには、高い人格、道徳心が必要なようです。
簿記を学んでいる、皆さんはお持ちでしょうか?
わたしですか?
それは、もちろん!・・・・
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複式簿記の起源

2006-09-30 14:18:35 | みんなの会計雑学講義
 複式簿記は、13世紀初頭にフィレンツェ、ジェノア、ヴェネチアなどの
イタリア商業都市でその芽が生まれたといわれています。
そして、14世紀~15世紀にはすでに形を整え、15世紀末には完成の域にまで
達していたようです。

 この複式簿記を解説した活版印刷物の中で、現存する最古のものは
1494年に数学者ルカ・パチオリによって執筆、出版された
「算術・幾何・比及び比例のすべて」という書物です。
この書物において、「計算及び記録」の章で、当時イタリアの銀行家が
用いていた帳簿記録の方法として複式簿記が紹介されています。

ところで日本では、明治6年に次の2冊の簿記書によって複式簿記が
紹介されています。
1冊はお札にもなった福沢諭吉が翻訳した「調合の法」
もう1冊は海老原斉・梅浦誠一が翻訳した「銀行簿記精法」です。
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