ライアー&ギターセラピー☆ 私の音に会いにきてください。音はあなたの記憶。あなたの魂。ほんとうのあなたの音に出会います

ライアーとギターの音色で、光の存在たちからの愛のメッセージをお届けします。自分の音を紡ぎだすよろこびをサポーとします

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中野孝次「正法眼蔵」にふれて~

2011年08月31日 | ブログ

わたしは中野孝次さんが好きで、図書館から本をたまに借りてきて読みます。

中野孝次さんといえば、「清貧思想」がベストセラーになった。

そのときに読んだのがきっかけで中野孝次さんを知り、清貧の思想は5回ほど読んだ。

いま、わたしの手元に中野孝次さんの「いまを生きる知恵」(岩波書店)がある。

道元についても書いている。

「正法眼蔵」は15年の歳月をかけて、仏教書ではなく、文学の側面読むことができるのではない

かと思い、ずっと読んできたが、何しろこれは難解です。と中野孝次さんは言っています。

文中より抜粋ーー「正法眼蔵」には、訳書解説書がたくさんありますし、禅僧の行った説教、

いわゆる提唱というものがたくさんあります。わたしはそのいくつかを買って読みましたが、

どれを読んでも本当のところ納得がいかなっかった。

道元の理解は人によって違うのです。訳書によって解釈も解説も読みも違う。

 定説は一つもないということがわかりました。ーーー

わたしはこのようなことをハッキリ言う中野孝次が好きなのです。

ここでわたしが何がいいたいかというと、

解釈がひとりひとり違う、ということ。

前にこのブログで書いたひろさちやさんの「愛の研究」を読んでから

人によって、また宗教によって愛し方が違うことや、仏教の愛は?キリストの愛は?

について学びたい気持ちになってきたわけです。

「正法眼蔵」は800年の歳月をかけて、たくさんの人が読んで訳してきているわけです。

それを中野孝次さんは、定説はないということがわかったと言ってるわけですから、

わたしだって、これは納得できない・・・。わたしのような凡人でも、

そう思っていいのだ、と思うことにしたのです。

そうでないと、この本はこういう書かれている、この人はこう言っている、

どっちが正しいの? と振り回されてしまうではありませんか。

それで、たまたまわたしの家を訪問に見えたキリストの信者さんと、

近くのスタバに行って紙パックの210円のジュースを飲みながら、

「愛について、あの世について」を聞かせていただきました。

蜘蛛の糸にかかってもがく蝶を黙ってみているのか・・・。

一個のまんじゅうをふたりで仲良くわけるか・・・

キリストはどのような解釈なのか・・・・

あなたはどうするか・・・

自分だったらどうするか・・・・、

まあ、人それぞれです。

中野孝次さんと「正法眼蔵」のすごい思想・哲学のことから

とんでもない日常のはなしになったけど、

でも生きるってこういうことではないのかな・・・・

 

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朝顔は闇の底に咲く

2011年08月30日 | ブログ

昨日、民主党代表の立候補者のスピーチを聞いていた。

野田さんの朝顔の花について語られたことがとても印象的でした。

朝顔の花は朝咲くために、夜、準備する。

つまり、闇が必要なわけです、

人生もいつもいつも光の中を歩いて行けるわけではない。
闇があるからこそ、光を感じられる。

野田さんはいつか誰かの講演で聞いた

朝顔の花は夜の闇に咲く準備するということを、自分の今に例えて励みにしたそうです。

五木寛之『朝顔は闇の底に咲く』(東京書籍)

http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/4487806011/

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「今ココニ」にあるしあわせ~

2011年08月29日 | ブログ

セミのなき声がシャワーのように降ってくる。

命の限り鳴いているようにきこえる。

朝、なんとなく秋っぽい風が・・・・。

かなしい気持ちになる。

斉藤ひとりさんはこう言っている

かなしいことを考えると誰だってかなしくなります。

そうか、わたしがかなしいのは、考え方がかなしいのだね

斉藤ひとりさん流に

耳が聞こえてしあわせ

目が見えてしあわせ

ベランダに洗濯物が干せるしあわせ・・・、

夫や子どもが着ていた下着、ティシャツ、タオルが

セミの抜け殻のようになっておひさまを浴びている。

家族は元気に仕事に行った。

夜、みんな家に帰って、

そして、洗った衣類に気持ち良く着替えられますように・・・。

「今ココニ」あるしあわせに感謝。

 

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亡き父の手紙にありがとう、ごめんね

2011年08月26日 | ブログ

ここのところ、不思議なくらい落ち着いた気持ちで、

明日、何が起こるかもしれない・・・、究極は死ということですが、

そんな思いで、何を残すか、整理を始めるようになりました。

銀行関係、保険書と合わせて、ネット関連のidやパスワード、

このほかにわたしの場合は、

自分が考案した時間簿に関する調査やデーターをどうするか?

透明の衣装ケースにひとつまとめてありますが、

そんな気持ちで日々を送っているこの頃、昨日、引き出しの整理をしていたら、

父の手紙が一通出てきました。

わたしは洋服やアクセサリーなどは処分して、数個しか持たないくらいモノは手放せるのですが、

手紙はなかなか処分できず、父や母、友だち、同級生たちの手紙が、衣装ケースひと箱、

押入れの奥にしまったままでしたが、ここに越してくる三年前に、

ほとんど処分して、大切と思う手紙だけをしまっていました。、

ところがこの手紙だけは、いつも使っている引き出しの中に入れておいたのです。

ときどき目にふれるようにするためです。

父は9年前に88歳で亡くなりました。

亡くなる数年前にわたしが父に言ったことばが父を傷つけ、父を激怒させてしまったのです。

手紙は親子の縁をきる、そんな内容でした。

でも、半年もしないで、父とは仲直りをしましたが。

それにしても、自分の怒りを便箋6枚に渡って活字で残した父・・・

(わたしも物書きのはしくれなので、活字は残るからぜったい手紙で残さない。

今は腹を立てていても、日がたてば変わることって大いにある)

これまでに、引き出しを整理するたびに手紙が目に触れると読んで、

゛わたしだったらわが子に絶対にこのような手紙を書かない゛

そう思いながら、

来年この手紙を読んだらどのように解釈するか、

5年後の自分はどのように解釈するか・・・。そう思ってとっておいたのです。

昨日、たまたま引き出しの整理をして、ふたたびこの手紙を手にしました。

読まなくていい、そう思って封筒ごと破りました。

やっぱり、もう一度読んでみよう・・・・

そう思って、便箋をつなぎあわせて読みました。

父のなつかしい字・・・。

父はよく漢字を知っていたなあと・・・。

だんだん胸が熱くなって、涙があふれてきました。

゛ごめんね、ありがとうね、ごめんね、ありがとうね゛

ーーー

父が健全だった頃、竹で作った足踏みっていうのか、私に贈ってくれた、

ーー健康が最良の資産なり 1986ーー父より

と書かれた竹踏みに乗っかって、

゛ごめんね、ありがとうね、ごめんね、ありがとうね゛

を言いながら、

活字で残すこともいいことなのかもしれないと、ふと、思いました。

(わたしは自分の子どもたちには、詫びる手紙は残しても怒りの言葉は残さないけど・・)

父は人に好かれたいとか、弁解などしない、やっぱり父らしいのです。

父はこの手紙を書いたことを後悔などしていないと思う。

こんどこそ、わたしはその手紙に、゛ありがとう、ごめんね゛をして

処分しました。

わたしはもう、この手紙を来年読んだらどんな解釈をするだろう・・・と

考える必要がなくなったからです。

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ひとつのカサにふたりで入って、信号を走るか?

2011年08月25日 | ブログ

雨の日のことです。

わたしと友だちはひとつのかさをさして歩いていました。

信号が変わろうとするとき、

「渡っちゃおう」と言って、わたしと友だちは走りました。

ある日のことです。

別の友だちと歩いていました。

「信号、渡ろう」と友だちは走り出しました。

わたしはハアハア息をしながら、友だちの後を走りました。

゛何も無理して走らなくったて・・・。強引だなあ゛

このとき、わたしは雨の日にひとつのカサに入って、

信号を走った友だちのことを思い出しました。

きっと、息切れがして苦しかったはず・・・。

そういえば、彼女は胃ガンの手術をして、あまり無理のできない体だったことを、ふと、思い出した。

ある日、この友だちに

「ごめんね。強引に走って」と謝ったら、友だちは

「苦しかったわ。わたしは雨に濡れてもいから、先に行ってと言いたかった」

*

実はこのカサはわたしのモノだった。

わたしは友だちが濡れないように、わたしのカサに友だちを入れて歩いたわけです。

わたしは友だちをおいて自分だけカサをさして、信号を走るわけにはいかない。

かといって、友だちにカサを渡して、わたしだけ信号を走りたくない。

頭も洋服もクツも雨に濡れたくない・・・。

相手を思いやるこころって、こういうところにも現れるんですね。

では、ひとつのカサにふたりで入ってるときどうすればいいか・・・。

びしょ濡れになりながら、信号を渡ればいいのか・・・。

 

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霞が関~金バッジをつけたふたりの男

2011年08月24日 | ブログ

いつだったか、霞が関ビルのカフェでコーヒーを飲んでいたときのこと、

隣の席に金バッジをつけた男がふたり、

a 「10万、20万になるなら、おいしい仕事だ。下手したら、2日で、3、4日分稼げる。

おいしい仕事がしたい・・・、家に帰りますか・・・」

aは席を立ってふたつのグラスに水を入れて戻ってきた。

a「4時半か・・・・、家には5時10分に着く・・・。どうする? 」

aは水を飲みながらひとり言を言う。

a「最近、子ども番組についている。ニュース見ない。ぬいぐるみが出くるとゲラゲラ喜んでいる。

いいケツしとるなあて・・・。早く帰らなくていいの? 」

b「早く帰ると妻に約束したし、いったん事務所に帰るけど、

資料をもっていって朝やるか。朝、新橋に寄って」

a「よめさんのめしも食ったほうがいい」

b「2日、ラーメン、自炊して、めし食って、ゴルフして、仕事して、

なんでこんなに時間がないんだろう。・・・・、

何回も打ち合わせをしているのに、最終原稿でなんだ、そのコメントは・・・・

だれを信じていいかわからない。

やめた会社が愛着がある。

昭和ディズニー、一回行ってみたいですね」

ふたりは水を飲んでから、店を出て行った。

*

aとbは仕事もおもしろくない、家に帰ってもおもしろくない、

グチをこぼしているんですね。

このふたりは家に帰れば、きっとエリートの夫なわけですが、

妻たちは自分の夫が家に帰りたがってないことや

カフェで水を飲みながら、やめた会社に愛着がある、

ディズニーに行ってみたい、と貧乏くさそうなことを言っている夫を想像もしないと思います。

話が変わりますが、あるサラリーマンが過労で倒れて入院しました。

妻は「会社をすこしぐらい休んでも、いつでも仕事は取り戻せるから

無理をしないで。わたしがついているわ」と夫を励ましました。

ところが、彼は退院して会社にゆくが、一人でいたい、といってホテル泊まるわけです。

これは後で身内を通してわかったことですが、

彼は妻と一緒に暮らすのは耐えられない、家に帰りたくないということでした。

わたしがなぜ、このことを書いたかというと、

求める愛と与える愛の食い違いが悲劇を生む、についてブログ書いていたので

きっと、この男たちも夫婦の愛に食い違いがあるのでは?

いや、この男たちだけでなく、わたしたちも愛することを大いに勘違いしている。

妻たちは夫の夕食を作って、いまかいまかと待っている。

男たちは、自分の帰宅を待たないで先に寝てくれていたほうがありがたい、

疲れているのに、子どもがこうだった、近所がああだったと聞かせれるのはうんざりだ。

スポーツ番組をみたいのに、子ども番組に付き合わされてたまったもんじゃない。

 さっさと食って寝たい。ほとんどの男たちはこう言う。

 

 

 

 

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ひろたちや~悲劇は求める愛と与える愛が食い違ったときに起こる

2011年08月23日 | ブログ

「愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)から、もうひとつ抜粋します。

ちょっと衝撃です。

==

ある日、両親のところに息子から電話がかかってきます。

自分は戦場で負傷し、本国に送還され、病院で治療を受けた。ようやく、退院でできるようになったので

お父さん、迎えにきてほしい、と。

父親は喜びます。よかった。よかった。いますぐ迎えに行くよ。

しかし、息子は言います。おとうさん、お願いがあるんだ。

「ぼくの親友が同じく負傷したんだ。彼は両足を切断されほどの重症だった。

お父さん、その彼をぼくと一緒に家に連れて帰ってくれないか」

「ああ、いいよ。2、3日ぐらい。わか゜やでゆっくりしてもらおう」

「いや、おとうさん、2、3日じゃないんだ。その親友をわが家に引き取って、一生、

面倒をみてやってほしいんだ」

「おまえはなんて馬鹿なことを言っているんだ。そんな見ず知らずの他人さまを引き取り、

一生のあいだ、面倒をみるなんて。

ましてや、その人は両足切断されたんだろう。その人の面倒をみるのは大変なことだよ」

「でも、お父さん、ぼくはその親友と別れることができないんだ」

「何を言っているんだ。お父さんは、いますぐお前を迎えに行くからな」

「いや、彼と一緒に連れて帰ってくれないのであれば、お父さん、ぼくを迎えに来る必要はないよ」

「馬鹿なことょ言うんじゃない。ともかく、おまえを迎えに行く」

父親が病院についたとき、息子はすでにピストル自殺をしていました。

その遺体には両足がありません。

*

これは半世紀ほど前に、アメリカで起きた出来事です。

ひろさちやさんは、青年はなぜ自殺をしたのか、

両親が冷たいわけではない。

両親が与える愛情と、青年が求める愛情とが違っていたからです。

と書いています。

*

最後にきて、かなりショックですが、でも日常、これと似たようなことがあります。

自分では愛情たっぷりに食事を作っていても、子どもが食べたいものは他のものだったりします。

前回、幼稚園での講演で話した、食事をノロノロ食べる子も、お母さんに抑圧されているんですね。

 

 

 

 

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ひろさちや~昼寝をしている兎に声をかけるべきか

2011年08月22日 | ブログ

「愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)より抜粋します。

兎と亀の話で、亀の努力が賞賛されます。

わたしはあるとき、インド人から、

「あれは悪い亀だ。なぜ、亀は゛

もしもし兎さん、目をさしまたらどうですか?  と昼寝をしている兎を起こしてやらなかったのだ?!

それが友情だろう。あの亀には友情がない」

と指摘されてびっくりしたことがあります。

わたしはそのインド人の言葉に共鳴はしたのですが、いちおう反論しました。

「あれはゲームをやっているのだろう。競争というゲームの中でのことだから、

油断している兎を起こす必要はないだろう」

だが、同席していた別のインド人が、

「いや、おまえの考え方はまちがっている。たとえ、ゲームでもあっても、

ひょっとしたらその兎は病気で苦しんでいたのかもしれない、

だとすれば、起こしてやるべきだ。

そうすることによって、はじめてその兎がなまけて昼寝をしていたのか、

ひよっとしたら病気で苦しんでいるかもしれない兎を見捨てて、

自分が勝ことばかり考えている亀が好きだ、というのか?!

そんな日本人は大嫌いだ! 」

と言いました。わたしは恥じ入るばかりでした。

いま、日本で、子どもたちは昼寝をしている兎に声をかけなかった亀は悪い亀なんだ、と

教えられているでしょうか。

ただ、自分が競争に勝つことばかり教わっています。

兎に声をかけるようなことをすると、学校に遅刻します。

そうすると、日本の学校はその子を殺してしまいます。

1990年に神戸の高等学校で、遅刻してきた生徒を鉄の門を閉めて殺してしまった事件がありました。

企業はいかなる事情があろうと遅刻しない優秀な人材を求めています。

日本の学校教育は --狂育ーーになっています。

*

こんな考え方もあるのでは?

せっかく昼寝をしている兎を起こしは悪いから、声をかけないという考え方もあります。

寝ていると思って声をかけなかったばかりに

手遅れになって死んでしまったという話をたまに耳にします。

どちらにしても、

今の時代、ケータイやスマートフォンに夢中になって、周りが見えない怖い世の中です。

兎に声をかけるのが思いやりか、そっと寝かせおくのが愛か? ?

ところで、愛と慈悲の違いは何か

仏教は愛してはならない、愛は自己愛だと説いています。

気になる人は、調べてみてください。

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto09.htm

 

 

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ひろさちや~蝶の苦しみをじっと見つめている

2011年08月20日 | ブログ

昨日とおとといの二日間、愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)から抜粋して

一個しかないパンをきょうだいで半分こして分け合うか、

蜘蛛の糸から蝶を逃したことはいいことだったのか

を書きました。

この本は愛の研究なので、いろいろな宗教の教えの愛について書いています。

仏教の布施の考えは、「一個しかないパンをふたりとも食べない」になります。

つまり、自分にとって大切なもの、なくては困るものを施すのが布施です。

食べないからと言ってパンを捨てるいうことではなく、たとえば仏壇に供えて、

いったんは二人とも食べることをやめます。パンは仏さんのものになります。

そして、その上で仏さんからいたたくのです。結果、分けて食べることになりますが、

その方がきっと仲良く半分つづくださるでしょう、と書いてあります。

わがやの場合は、一個のアイスクリームをわたしが食べましたが。

慈悲によってこそ、われわれの苦悩は軽減される

蜘蛛の巣にかかった蝶を逃したことについて、

われわれは蝶の苦悩を軽減してやったでしょうが、

その反面では蜘蛛の苦悩を増大しているのです。

蜘蛛の巣に引っかかった蝶の苦しみをじつと見つめていることです

ほとけはみんなの幸せを願っておられます。誰もが不利益にならない、

ここでは、蜘蛛と蝶が不利益にならないことを願っておられます。

蝶がもがこうか、苦しもうが、

ほとけさまは微笑みを浮かべて、見てくださってます。その、微笑みがほとけさまの慈悲です。

涙を流すのは凡夫の行為であって、仏には涙はふさわしくありません。

文書を部分変えましたが、このようなことが書いてありました。

*

布施と慈悲について書きましたが、「愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)は

神の愛についても書いてあります。

図書館から同時に借りてきた本のなかに、

「りんごは愛で育てる」の文字が飛び込んできました。

 

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ひろさちや~一個しかないパンをどうするか

2011年08月19日 | ブログ

「愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)より抜粋します。

問題 <ふたりの人間がいて、パンが一個しかありません。どうすればいいでしょう>

a パンを半分こして食べる

b 一人が食べて、一人は食べない

c 二人とも食べない

 たいていの人はaの答えを選びます。一見、これが正解のように思われます。

戦場で死にかけている戦友を無視して、手に入った食べ物を食った。

その行為をいまだに悩んでいる人がいます。その人が、

相田みつをの「奪会合えば少ない。分け合えば多い」といった意味の詩を読んで

「こんなの嘘だ! 」と怒っていました。

中略

どこの家でも食べ物のことで、きょうだいはよくケンカします。

わがやのことですが、子どもが小学生だった頃、兄ちゃんが冷蔵庫のアイスクリームを見つけました。

一個しかありませんでした。

たいてい上の子がひとりじめにします。

「妹に半分、分けてあげなさい」

どこの家でもお母さんはそう言うでしょう。

このことに対して、仏教の布施の考え方は零点です、と本に書かれています。

なぜなら、そのときのお兄ちゃんには優越感が生じます。

<俺が半分、お前に恵んでやる。お前は俺に感謝しろ>

「黙ってお兄ちゃんが食べるのを見ていなさい」と命じた方がいいでしょう。

ユダヤ教では、一人が食べて、一人が食べない。

仏教の考え方はCの「ふたりとも食べない」になるーーー

続きがありますが、それは後日譲るとしてここで本から離れます。

で、わがやのアイスクリームを一個どうしたか?

わたしはアイスクリームを取り上げて、

「お母さんが食べる」と言ってアイスクリームをペロリ食べました。

なぜ、わたしは「仲良く半分こしなさい」と言わなかったか言うと、

わたしはきょうだいが多くて、いつも半分こばかりでした。

どうしても、ほかのきょうだいの方が大きくて、自分の方が小さく思えるのです。

いつか一個、一匹を食べたい、とずっと憧れていました。

家庭を持ってから子どもたちには、できるだけ、玉子一個、頭のついた魚を一個、

小さなトマトを一個、それぞれのお皿にのっけてあげました。

「後でアイスクリームを買ってきてあげるからね」と言うと

ふたりはおとなしくなりました。

子どもって、アイスクリームを食べたいというより、親がどっちを味方してくれるか、

それでムキになるような気がします。

*

ここのところ、マザーテレサの愛や祈りについての本をよく読んでいました。

昨日、図書館から借りた本「愛の研究」(ひろさちや 新潮選書)も読む必要があるなと

つくづく思いました。

ひろさちやさんは宗教に関する本をたくさん出されています。

そのひろさちやさんが、いろいろな角度で愛について語っています。

 

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ひろさちや~蝶を逃がしたことはいいことなのか~

2011年08月18日 | ブログ

昨日、図書館から本を数冊借りてきました。

その中に、「愛の研究」(ひろ、さちや 新潮選書)があります。

読んでみると、「愛とは何か」「慈悲とは」「親子の愛とは」について、

具体的に書かれていて、そうか・・・とうなづき、勉強になます。

*抜粋します

蜘蛛の巣に蝶がひっかかっていました。

「まあ、かわいそうに・・・」

と、幼稚園の先生が、蜘蛛の巣を破って蝶を逃がしてやります。

ひらひらと飛び去る蝶をみて、先生は清々しい気持ちでながめていました。

だが、そのとき、園児の一人が先生にくってかかります。

「先生、駄目じゃないか! そんなことをしたら、蜘蛛がかわいそうだよ」

一瞬、先生は腹を立てます。それを言ったのは、日ごろ手を焼かせる男の子でした。

゛いやなことを言う子だ゛と思ったのですが、よく、考えてみると、その子の言うことにも一理あります。

蜘蛛はせっかく得られた餌を失ったのです。

だとすれば、彼女は蝶を助けて蜘蛛をいじめたことになります。

*

これに似たようなことは日常よくあります。

自分がよかれと思ってやったことが、他の人からみると間違っていたり、

男女の愛もうまくいかなかったりそれで、人間関係が傷ついたりします。

「愛の研究」を読むと参考になります。

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空腹こそ最上の料理人

2011年08月17日 | ブログ

わたしの手元に「いまを生きる知恵」(中野孝次著)の本を図書館から借りてきたのがありますが

なかなかいい本です。

アマゾンから中古で取り寄せようかと思っています。

ぱっと、開いたページに「空腹こそ最上の料理人」のことばが目に止まりました。

だいぶ前に、ある保育園に講演で行ったときのこと。

母親が「息子がノロノロ食べるので時間がかかってしょうがない。どうしたらいいでしょう」

そして、母親は続けました。

「おいしい料理を作って、世界中の旗を立てているのに、ちっともおいしそうに食べてくれないんです」

わたしは以下のことを話しました。

「むかし、くい道楽の王様がいて、世界中からコックを集めて、おいしい料理を競わせました。

けれども、誰ひとり、王様を満足させる料理を作ってくれません。

最後に残ったコックは時間がかかって、このコックなら、きっと、おいしい料理を作るにちがいないと、

王様は期待してまだか、まだかと待ちます。

やがて、コックが現れました。

ここで、わたしはみんなに質問します。

「さあ、どんな料理を作ったのでしょう」

みんな静かに考えて会場はしーんとなります。

「めざし一匹なんです」

王様は「おいしい。お前は世界一の料理人じゃ」と言ってめざしを食べます。

講演が終わった後、料理に旗を立てるという母親と個室で話しました。

母親は泣かれたんですね。一人息子のために一生懸命、心をこめで料理を作っていたのに。

保育園の先生たちも、「いいことを言ってくださってありがとうございます。

その子はお弁当をまずそうに食べて、時間がかかって、お弁当を残すんです」

以前、このブログで書きましたが、おにぎりで人の命を救っている人がいます。

今、夏休み。

子どもたちのおやつに頭を悩まして、レシピ本やテレビやネットで料理番組を見て

作る人も多いことでしょう。

「空腹こそ最上の料理人」を参考してみてくください。

 

 

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わたしのベランダに朝顔が咲いたよ

2011年08月16日 | ブログ

ベランダの朝顔がふたつ咲きました。

この朝顔は朝顔のおじいさんから種をいただいたもので、

色はすがすがしくて、近頃、このような色を見かけません。

道端にのフェンスに植えた朝顔は、なんとか、ポツリポツリ咲いていますが、

今年は、気候のせいかどこの朝顔も花つきが悪いそうです。

 

 

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この本を受け取っていただけますか?

2011年08月15日 | ブログ

今、玄関のチャイムが鳴ったので、「ハーイ」と言いながら、

玄関のドアを開けた。

白い帽子をかぶった小太りの年配の女性が、

「この本をプレゼントしますので、受け取っていただけますか」と言って本を差し出しました。

本の表紙に「平和を愛する世界人として」の文字と、男性の写真が。

「すばらしい本なのでぜひ、読んでいたたきたくて・・・」

わたしは聞いた。

「目的は何でしょうか? 」

「〇〇教会の誤った考え方を、知っていだきたくて。」

本は文鮮明自叙伝で、100万部突破!となっている。

「読ませていただくのはいいんですけど、それによって何か・・・。

たとえば、署名するとか」

「名前を聞いています」

女性が言うので、わたしは自分の名前を言った。

どうやら、女性はキリストの信者が冊子を持って各家を訪問するあれと似ている。

つまり、人の幸福を願って、わたしの家のチャイムを鳴らした。

「もしかして、この本は、あなたの自費でしょう。

大切な本をもっと、必要な人に届けたらどうでしょう。わたしは信仰をもっていますし」

「信仰はなんですか? 」と言うので、

わたしは玄関を出て、女性と、それぞれの神様について話し合った。

神様の願いは、一つだ。神は人類の幸せを願っている。

「この本の感想をきかせてください」

「私の方から電話を差し上げて感想を言います」

そして、わたしは続けました。

「読み終わったら、この本を誰か他の人に差し上げますね」

わたしは斉藤ひとりさんの愛の運動について話した。

CDを10人の人にプレゼントする。

わたしはある男性から三年前にCDをもらって、元気をもらった。

たった一枚のCDが誰かの人生を変えるきっかけになる。

この本も尊い本だ。

「マンションを歩いていても、ドアを開けて話をきいてくれる人は、ほとんどいません」

「熱中症にならないように。麦茶をあげましょうか」

「一本あります、一時間回れます」」

500ミリリットルか350ミリリットルのペットボトルの麦茶で、一時間、よそを訪問できるということだ。

チャイムを鳴らしても、玄関を開けてもらえない、

それでも、鳴らし続けて歩く。

保険の営業の人が言うには、玄関のドアを開けてくれるのは、100軒に一人だそうだ。

仕事であれ、奉仕であれ、どちらにしても忍耐がいる。

彼らはいい汗をかいて、きっと、麦茶はおいしい、

夜のビールがなんばいもおいしいにちがいない、

 

 

 

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パンツをはきに家に行きましょう③

2011年08月12日 | ブログ

スケスケの黒いレースのシュミーズをはいて、

あそこが透けて見えるおばあさんをどうするか・・・・

わたしとおばあさんは玄関の郵便ポストの前で立っていました。

そこへ、清掃係りの若い男性がやってきました。

ヤバイよ。

いつまでも玄関の前で立っているわけにはいきません。

「パンツをはきに家に行きましょう。部屋はどこ? このポスト?  これ? 」

おばあさんはのんきに笑って、「タカイなの」と名前のようなことばを言います。

はじめておばあさんと会った雨の日も、おばあさんを家に届けようと思って

郵便ポストをながめていた。

あのとき、おばあさんは6〇〇のポストを指差した。

そして、エレベータに乗ろうとしたときに、同じマンションの住民であろう婦人が外出から戻り、

「同じ階なの、わたしが連れていきます」と言って、おばあさんをエレベータに乗せて行った。

どの部屋なのかわからないけど、とにかく、6階であることは間違いなさそうです。

「6階までエレベータに乗っていきましょう」

わたしはおばあさんをエレベータに乗せて、6階で降りました。

マンションはコの字型で601から順番に部屋が並んでいますが、

おばあさんはのろのろと迷うことなく歩きます。

コの字型の奥から二番目のところで、おばあさんはここと言って立ち止まりました。

部屋の番号で止まったのではなく、ドアのわきのくぼみに、

ちいさなおもちゃのような人形がふたつ置いてありました。

゛そうか、この人形が目印になっているのか゛

「ここなの」

おばあさんは子どものようにニコニコして人形をさしました。

そして、ドアを少し開けました。

「パンツをはいてから外に出ないと恥ずかしいのよ。

サイフをバッグの中に入れてはダメよ」

わたしは部屋の様子を見たかったけれど、なんだか、

よそ者が年寄りの家をのぞいているように見られたくなかった。

マンションは8階まであるので、誰が見ているかわかりません。

わたしは子どもをなだめるように言いました。

「わたしも同じマンションなので、また、会いましょうね」

実はわたしの部屋は5階でおばあさんの部屋の下で、しかも、斜め下です。

つまり、わたしの部屋の斜め上がおばあさんの部屋ということになります。

わたしは自分の部屋のことを話そうかと思ったけど、

もし、おばあさんがウロウロと毎日のようにわたしを訪ねてきたらどうしょう・・・。

そう思って言いませんでした。

わたしはおばあさんに念を押して言いました。

「パンツをはかないで絶対に外に出ないことよ」

*** 昨日の夕方、おつかいから戻ると6階のベランダに人影が・・・・

よくよく、見ると、おばあさんがうちわを持って外をながめています。

ここでわたしのマンションの構造をくわしく説明しますと

コの字型の8階建て+屋上。エレベータは三階から乗るようになっています。

わたしの部屋はコの字型のいちばん奥の角部屋なので、自分部屋に行くときは

4階、5階を外階段を歩きます。

おばあさんの部屋は6階の奥から二番で、わたしの部屋の隣になります。

昨日の夕方、わたしは買い物袋を両手にいっぱい下げて、エンヤコミラと、

三階の内庭を通るときに、我が家のベランダの干し物がどうなっているか見上げたら、

上の階に人影が・・・。

おばあさんがうちわを持って外をながめているのです。

*おばあさんのことは、ブログでたまに書いていこうと思います。

急いで書いたので、誤字、脱字があったと思いますが・・・。

おばあさんとの最初の出会いのブログは過去①~③

http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=e2ecb352c20949f9759d634647a0a640

 

 

 

 

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