ライアー&ギターセラピー☆ 私の音に会いにきてください。音はあなたの記憶。あなたの魂。ほんとうのあなたの音に出会います

ライアーとギターの音色で、光の存在たちからの愛のメッセージをお届けします。自分の音を紡ぎだすよろこびをサポーとします

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自分を磨く夜時間~日経ウーマン

2010年10月31日 | ブログ

季節が変わろうとするときに
時間は速く過ぎていきます。

木々の葉は色づき、
落ち葉がちらちらと舞い、
人に踏みつけられて
風に飛ばされていきます。
もうすぐ冬の番人が命じる、
時間は厳格に
草木も人も都会も田舎も、
すべてをのみこんでいく

今日は10月最後の日。
日暮れが早くなり、夜の時間が長くなります。
仕事が終わって寝るまでの夜時間をどのように過ごすか
夢が叶うか
健康な体で美しくいられるか
好きな彼と距離をどうとるか

寄り道をしないでムダ使いをしないか
ネットとメールのとりこになっていないか

自由時間をどう過ごすか
ここが成長するかしないかの分かれ道

日経ウーマンデジタル版
時間デザイナーあらかわ菜美
成長できる夜時間の過ごし方

つほみが咲くか、種が地上にこぼれ落ちるか


朝顔のつぼみは咲けるのか


↑フェンスの朝顔の種は地上にこぼれるか

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どうせ咲かないから~卑しい口実だ

2010年10月30日 | ブログ

今朝、どしゃぶりの雨が降っていました。
どうせ、このどしゃぶりだと咲かないから
そう思って、朝顔を見に行くのをやめました、

7時30分、パソコンを開いて、ツィッターの画面を出すと
「台風の影響で雨です。がんばりましょう」
「寒いけど元気に一日を過ごしましょう」
「あなたは才能がないわけじゃない、福井と〇〇の間にある、温泉で働きませんか」
ツイートが目に飛び込んできました。

わたしはすぐ、朝顔を見にいくことにしました、
どうせこのどしゃぶりじゃ咲かないから・・・・
それは朝顔に対して失礼だ・・・
↓ 今朝8時過ぎ 朝顔のつぼみ


どうせは人間のもっとも卑しい口実だ
・どうせ試験に出ないから
・どうせ人がこないから店を閉めよう
・どうせ、人が見ていないから

わたしは自分がいつから、どうせ~の考え方をするようになったのか
そんなことを考えながら石段を下りてくると
演説の声が耳に飛び込んできました。
「どうせ・・・・だから、投票に行かない」
・・・・はどんなことばだったのか、もういちど聞き取りたくて
しばらく立ち止まった。
「どんどん生活にしわ寄せがいく」
演説の声は冷たい雨の中に飛んでいく。
カサは演説を遮断するかのようだ。
大学生がぶるぶる震える顔をして、バスの列に並ぶ。
演説する男は私に軽く会釈した。

どうせ誰も聞いてくれない
どうせ、言ってもわかっもらえない
そんなことをみじんにも思ったら、演説なんてできない。
誰かにきいてほしい
誰かにわかってほしい
その切実が人を動かす

わたしは自分に恥じた。

雨だから行きたくない
勉強したくないからしない
疲れたから店をしまう
まだ、こっちの方が主体性があっていいではないか・・。


↑朝顔のある団地の道路

落ち葉が散り始めた
掃除をする人たちの姿が間もなく見られる。
落ち葉は容赦なく降り注いで、アスファルトを埋め尽くす。

どうせ、掃いてもまた落ちてくるから
彼らは決してそんなことを考えない。
黙々、落ち葉を集める、その姿を、
わたしは美しいと思ってながめていたことがあった。
ミレーの「落穂ひろい」のように見えることがある。

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朝顔のつぼみに袋をかぶせたら・・・

2010年10月29日 | ブログ

昨日の夕方6時30分ごろスタバに行って、
わたしの好きな隅っこのテーブルで、
コーヒーを飲みながら、本を数冊、地域紙、ダイレクトメール、
ヨーロッパ旅行のパンフレット、手帳をかわるがわる開いて、
何に集中するというわけでもなく、外の景色を見ていた。

道路の向こうのドラッグストアの旗が、雨風にびらびら揺れて、
旗に書いてあるセールの文字が100なのか、1000なのか、どっちなのだろう・・・。
カサに体をすっぽり埋める人の姿が、紙屑が風に飛ばされていくように通り過ぎていく。

どうして、こんなことを思いついたのか、自分でもわからない・・・
朝顔のつぼみに袋をかぶせたら・・・・。

ある科学者が、子どもの時に生き物のたまごを大事に育ていた。
そのたまごがいつ命の誕生をするか片時も目を離さなかった。
ある日、たまごの殻にそっと穴をあけて中をみた。
命の神秘を見てしまった少年は、穴にテープだったか、接着剤だったか思い出せないが
そうやって、たまごの穴をふさいだ。
結局、そのたまごから命が誕生しなかった。

朝顔のつぼに袋をかぶせたら、という発想は、もしかしてこれに似ているような気がする。
リンゴやナシは袋をかぶせるけど、朝顔に袋をかぶせるというのはきいたことがない。
朝顔は雨や風が合っている。せいぜいツタをはわせる仕え棒ぐらいだ。
もし、わたしの家の朝顔だったら、わたしはつぼみを袋に包んで朝顔がどうなるか見てみたい・・・
そんなことを考えながら、ひとり笑いした。
雨とテナーサックスのジャズっぽい曲が合っていた。
あさがおのつぼみに袋をかぶせるなんて、特別なことではない。

山や海や川の音やにおいをふくんでいる。
新潟県糸魚川の男性とツィッターで知り合い、
彼は「朝顔のおじいさんのことがかわいそうになりました」とつぶやいてくる。
仲間たちと海産物を売りながら地域おこしをし、ツィッターで案内する

「あなたの方がずっと、
わたしが朝顔をみている以上に海を見ている。
きっと、波の音をきいただけで波がどんな形をしているか知っている。
沖に沈む太陽を見て明日の天気もわかる、すごい世界に生きている」

芸術家や科学者や作家のように作品や本として形にならないけれど、
自然のなかで直接命と触れて生きる人たちは、
現実と向き合い、本よりリアルではないか。
ツイッターをやって知ったことだけど、
日本中のすみずみで生る人たちのつぶきは、
山や海や川の音やにおいをふくんでいる。
*
隣のテーブルで金髪の女の子が、小学生が漢字の練習をするように
「正月、正解」を書いている。
「どこの国から?」と聞いたら「「ロシア」という。
今、17歳。高校を卒業して日本の大学に行くために、日本に来たのが三か月前。
ルームメイトと三人で住んでいるという。
「日本のどこが好き」と聞いたら、「人が好き。日本のこと好き」
日本語を片言で話す。
「ひとりで住みたい」
グチっぽいことを言う
「朝顔の花を知っている」ときいてみたかった。

雨をながめ、テナーサックスをききながら
わたしはもうひとつ気にしていることを思い出した。
**
↓ 8月22日 朝顔の花がひとつフェンスに。
 

↓ 10月14日 種がひとつ。


地面に無事落ちれるだろうか
わたしの手で地面落としてやろうか・・・・

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現実と仮想

2010年10月28日 | ブログ
おとといのブログ
「朝顔のおじいさんは仮想だったのか」

朝顔の花のことを書き始めた7月から、このブログの読者の方から、
ツィッターやメールを寄せてくださいます。
「おじいさんのことをそっとしてあげましょう」「ぼくだったら会いたい」・「おじいさん心配ですね」
おじいさんと一度も会うことはなかったのですが、おじいさんが朝顔のツタや木の枝を切った跡を見ていくうちに、
おじいさんは現実化されていきました。
★以下、読者からのメールをご紹介します。(本人の許可をいただいています)

最近は原稿依頼から受け取りまですべてメール上で交わされることが多くなりました。
極端なときは、声さえ一度も聞くことなく終わったりして。
 
今年になって、それがいかに危険か実感することがありました。
電話で一度話したきり、二年近くメールのみでやりとりしていた仕事関係の方がいらっしゃいました。
たまたま初めてお目にかかる機会ができました。
実際にそのかたを目の前にし、いかに自分が勝手なイメージを作り上げていたか気がついたのですが、
恐ろしくも、そのイメージがすぐには無くならず、いつまでもしつこく片隅にいつづけるのです。
連絡ツールは様々あり便利です。それと一緒に必ず実際に会うこと、これを忘れてはいけないと思った事例でした。
 仮想もときには人の心を癒し救ってくれることもありますが、頼りすぎると害になる。
使い方が難しいものですね。
 
以下はツィッターより2名

★きっと仮想の人。でも仮想の世界って思いの強さで現実に出来る時もある。人の思いは無限大だから

★人工時間と自然時間の問題は折りしも「COP10」の課題とも重なる。
人工の手を加えた人は、その場所をずっと見守ってきた者がいると気づいていない。
二つの時間のその後は比べられないだけに難しい問題だ。

現代人は現実というものをどうとらえているのか
茂木健一郎と村上春樹
「クオリア降臨」(茂木健一郎 文芸春秋社)
本文より  観念世界のリアリテイ  
朝起きると、メールをチェックする、寝る前にウエブで今日のニュースを見る、電車に乗っていても、常に携帯をいじっている。ネットワークを流れるデジタル情報に朝から晩までまみれている現代人は、現実というものをどのようにとらえているのだろう。
  中略 「見る」という回路を通して、都会に住む現代人の体験を再構築しようとすることは、すぐれた同時代的である。
     
     私たちの視点は架空のカメラとして、部屋の中にあるそのような事物を、ひとつひとつ拾い上げ、
     時間をかけて丹念に映し出し   ていく。私たちは目に見えない無名の侵入者である。私たちは見る
     、耳を澄ませる、においを嗅ぐ。しかし、物理的にはその場所に存在しないし、痕跡を残すこともない。
     (村上春樹 「アフターダ   ーク」)




朝顔のつぼみ (10月27日撮影)
昨日の朝、急に寒くなり、冬物を着る人が目立ちました。
今朝は冷たい雨がこのつぼみに降り注いでいました。

朝顔は冷たい中で花を咲かさなければならないのか
ああ、しかたがない、これじゃ咲けないよ、と自然にまかせるのか
天は咲けないことがわかっていながら、なぜつぼみをつけてしまうのだろう

現実は見るということ、
朝顔のつぼみがここにある
つぼみは冷たい雨に打たれている、
つぼみを触るわたしの手が冷たい
明日は寒いか、つぼみは膨らむのか
いつ咲くのか・・・
霜が降りるまで咲ききれるのか
わたしは朝顔を見る
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銀行に異変が起きている~なんか変だ

2010年10月27日 | ブログ

人を機械に送り込む
M銀行のいり口は、右がATM、左がロビー(記入する)がある。
右のATMは時間帯によって長蛇の列ができる。
警備員が三人、奥の方に一人、いり口に一人、中間に一人が立って
三番空きました、5番空きました、と、長蛇の列をすみやかに誘導する。
一方左のいり口は5人が立っている。
男性がふたり、「いらっしゃいませ」とニコニコ頭を下げて、
「今日はどうされますか」と言う。
「引き落としです」と言うと、女性がボタンを押す。番号を書いた紙が出てくる。

おせっかいなサービス
わたしはこのサービスがうっとうしくて、
「自分で押します」と言ってボタンを押す。
「今日はどうされますか?」と言う男性が「ATMの方が早いですよ」と、
わたしをATMの方に行かせようとする。
わたしは長年銀行は順番を待つ間、雑誌を見るくつろぎ場として活用してきた。
よけいなおせっかいは結構です。そんな心配するより、
こんなところに5人立ってないで、ATMの人たちをあたたかくサポートしたらどう?

ATMをフル回転させるために、人を人と思わぬ態度

話がすしこそれるが、三年前にここに越してきて、M銀行を利用するようになった。
驚いたことに、ATMに誘導する彼らの態度があまりもひどくて
銀行のサポートセンターに電話した。
「杖のついた高齢者もいる、障害のある人もいる、ぐずった子どもを抱いた人もいる、
ATMの台をフルに回転させて、あの人たちが可哀そうです」

翌日から警備員の態度ががらり変わった。
目をつり上げて人を奴隷のように扱っていた彼らが
「いらっしゃませ」と深く頭を下げて、
高齢者をサポートするようになった。(オレオレ詐欺のこともあって)

ATMにどんどん人が送り込まれて、ソファーの方はゆったりしている。
それでもいり口に5人が立っている
そこに立つのは、金持ちの人をできるだけ、奥のテーブルと椅子のほうに誘導する、
そうした魂胆があるようだ。
*
最近、銀行に異変が起きている。なんか変だ。
カウンターがそうぞうしくなった。カウンターの女性のおすまし顔が崩れている。
なぜか・・・わたしはソファーに座って様子をみていた。

「今日は高額を引き落としますので、本人確認の」と言って、
暗証番号を押すものを差し出す。
お客は暗証番号をばっと押せない
隣では「名前が間違ってます」と言われている。
つまり、暗証番号が思い出せない、耳が遠くなって名前を間違ってきく、
めがねをバッグの中から出そうとする、
高齢者がカウンターをもたつかせている。

今朝、NHKで高齢者の財産が狙われる、ニュースをやっていた。
家電を買わされる、業者に家の修理をさせられる。
それだけでない。
銀行や証券会社に高額の金融証券を買わされているという。
リスクの高い、外国債券、投資信託など・・・。

記帳する台に長い列が。
高齢者が通帳を数冊持って、一冊づつ記帳している。
カチヤ、カチヤ、と音が続く。
後ろの人がまだかよという顔して、のぞきこむ。
あきらめて列から抜けていく。また、一人列から抜ける。
記帳は終わりそうにない。

ATMのスピードはますます速くなり、服に触れただけで画面が変わる。
フルに回転しようとしても、高齢者は流れを止める。
*
ソファーに座って雑誌を見ていたら、
高齢のご婦人がひとりやってきて
「きのう、お宅のおぼっちやま、テレビで見ましたわ」
「お寒くなりましたわね~」
そこへまた、ひとり。

銀行は高齢者の井戸端会議の場になりつつある。
いいことだ。
ATMになんかにこきつかわれるより、ロビーでごゆっくりどうぞ
ただし、高い金融証券を買わされないように。

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朝顔のおじいさんは仮想の人だったのか・・

2010年10月26日 | ブログ
スーパーで買い物をしていたら、おじいさんが買い物をしていました。
朝顔のおじいさんが、わたしの頭のなかに灰色の雲のように出現したのです。

゛生きていれば食べ物が必要だから、朝顔のおじいさんも買い物にくるわけだ゛

とすると、わたしが描いた朝顔のおじいさんは、窓の中のおじいさん。
夏の間ずっと窓が閉まっていて、。
たまにカーテンが開いて、おじいさんの気配を感じる音が聞こえてきました。

そして、秋になって、朝顔のツタが切ってあり、木の枝が切ってあり、ゴミ袋があり、
朝顔の主の行動の記しがありました。

閉じ込めた空間に生きる
朝顔のおじいさんはわたしの想像する閉じ込めた空間で生きていた。
イメージするということは、なんていい加減であいまいなのだろう・・・。
゛なーんだ、生きていれば、ごはんも食べるし、トイレも行くし、風呂も入るし・・・゛

このことからこんなことを考えてしまいました
**
恋愛とはどういうことか・・・
好きで好きでその人のことが頭から離れない
好きな人を頭の中に閉じ込めて、
シールのように、絵文字のように、脳に貼りついている
それを、愛していると言う。

*
今、わたしの手元に「クオリア降臨」(茂木健一郎 文芸春秋)を本があります。
たまたま、図書館から借りてきた。
茂木健一郎さんは、「脳」についてたくさん本を出しています。
その一冊「クオリア降臨」の本のなかに、今わたしが気付いたことが、随所書かれています。

本文より抜粋
たしかに生きていたに違いない何者かが、次の瞬間にはもう存在していない。
そのことを思うときに私たちの中に生じる逃げ場のない息苦しさは、
いくら世界が広がっても散らしようがない、
もちろん、仮想の世界に酔うことはできる。
仮想酔いは、生きることの息苦しさから上手な逃避だ。

*
絵文字やシールのように貼りつく
わたしは茂木健一郎さんの講演を一度聞いたことがあります。
テレビや雑誌などても、たまに拝見します。
脳と行動と心の関係はについて、わたしはよくわからないが、
朝顔のおじいさんは、仮想酔いだったのか・・・
脳とどのような関係があるのか・・・
絵文字やシールのように貼りついたそれを、
好きな人をいつも思っている
愛していると人は言うのだろうか・・・

そんなシールや絵文字なんか
とっとと剥がして現実を見た方がいい。

※茂木健一郎さんの本をたいして理解しているわけでもないのに
引用させていただきました。
仮想について、あるとき、わたしの解釈が変わるかもしれません。

*
もしかして、モノで得る幸せも仮想ではないか
実態のない幸せだから、また、モノに求めていくのか・・・
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自然時間と人工時間

2010年10月24日 | ブログ
孤立した時間~つながった時間
おじいさんの庭に朝顔の花ひとつ、葉の陰で咲いていました。
孤立して咲いている、そんなふうに見えました。 → 花を拡大なんともいえない色の朝顔の花

 →

でも、花のツタには葉は数枚色づいています。
花も葉も形は違うけれど同じ時間が流れています



ツタの伸びた木の上で、朝顔の種が実っています。


↓ おじいさんが木の枝を切った葉が枯れています
  冬の準備をしているのでしょう。



7月半ばから、朝顔の花を毎朝、見に行く時間もぼ同じで
朝顔の花は 方丈記の「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず 
わたしはその時間の流れにいた・・。

それが、突然、枝が切ってあったのです。
もうしばらくほおっておいてほしい、
朝顔はまだまだ、咲きますから
わたしはゆっくり、朝顔の花を味わいたかった・・・

けれども枝の切れ口は、朝顔の主の指や、手の力、
おじいさんが生きていることを告げています

朝顔が自然に枯れる、人工的に切った枝が枯れる
この差異はなんだろう・・・


自然時間に突然人工時間を押し付けられることが
わたしを追い払ってるように感じるのです。
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地蔵女とおばあさん

2010年10月23日 | ブログ

昨日、夕方、半年ぶりにドトールに入った
あの地蔵女がいつもの席にいた。
゛また、会いましたね゛
地蔵女の目は親しみを込めて、わたしが店に入ったきたときから、このタイミングを待っているかのようだった。
わたしは深い海の魚になりたくて、本を数冊バッグに入れてウオーキングをして、頭に酸素をいっぱい取り込んでドトールにたどり着いた。
わたしは地蔵女を無視して、本を読んだ。
なぜ、地蔵女と呼ぶようになっかというと、いつも決まった席で、じっとしているから。
地蔵女はいつものようにクッキーの袋を破ってクッキーをほおばって、コーヒーを飲んで・・5分もしないうちにいつもの動作が完了した。

地蔵女はファンデーションのケースを出して、顔をパタパタし始めた。
はじめてみる動作だった。ファンデーションのスポンジは汚れ、きっと、2、3年使い込んだくらい汚れている。

化粧・・! いったい、地蔵女に何が起こったのか・・・。
わたしはわざと地蔵女と目が合うにした。地蔵女はわたしを見た。このときにたまたま、私の右の席が空いた。
地蔵女はクッキーの紙屑とコーヒーカップのトレーごと持って、私の隣の席に移動してきた。

邪魔されたくないと内心思ったけど、地蔵女の顔は白いお化粧に、赤い口紅をして、こけしのようだ。
「化粧はいつから」
「三年前からかな・・」と蚊の鳴くような細い声で答える。
「どうして、化粧する気になったの」
「顔が暗く見えるから化粧した方がいいって、言われたから」
「それで、どう」
「少し、明るくなったわね」

そこへ、
派手な色のパチンコ店の造花のような花をひとつ持ったおばあさん、地蔵女の前に座った。
地蔵女はおばあさんの指をとって「きれいね」と言った。
指は透明のマニュキアが光っている。
「どこで塗っていらしたの」と私は聞いた。
「エステでやってもらった」

おばあさんは80歳。エステは15000円だけどこの気持ちよさはお金に変えられない、と言う。
地蔵女はこのばあさんの影響を受けたのか・・・
ばあさんは民謡を歌い、派手な花は何かの二周年にもらったという。

おばあさんは、モノの始末をどう考えているのか・・・・きいてみた。
「物置がいっぱいで何があるかもわからない
三年前に軽トラックを5万円で頼んで持っててもらったけど、また、いっぱいになった。
見ると買ってしまう、あははは。子どもたちもこの布団はいらないといって、たまっていく・・」
地蔵女は60半ばだという。
「捨てたいと思ってもできないのよね。友だちはアルバムを縛って出したと言ってた」
「友だちが着物を区役所に出したらタダだったって。それでも取ってもらったよかったと言ってた」
「ご主人は?」ときいた。
「死んだ、洋服は捨てた」

形見と着物とアルバムは処分をするのがいちばん難しいらしい。
おばあさんはそれをクリアしている。
大正生まれのおばあさんにはアルバムはあまり関係のないことなのかもしれない。
高度経済成長の企業戦士を夫に持つ地蔵女は、これまでに何があったか知らない。

5年前にひとりでランチを食べていた。
電車の窓から外の風景を眺めるようにして、ある時からドトールにくるようになって化粧をするようになった。
地蔵女が会釈した方を見たら、別の高齢の女性だ。
ここにくれば仲間に会える、ドトールはそういう場所になったようだ。
夕方の6時、ドトールは学生たちが勉強するテーブルへと移行する。
爪にマニュキアを塗ったばあさんと、赤い口紅をした地蔵女、そして、別のテーブルに仲間がいる。赤いきのこのような存在。
*
おばあさんは孫たちにケータイを渡されて、
「メールに絵文字を入れて返信するのが楽しいの」
ケータイを見せてくれた。
かぼちゃの絵がふたつ、ビールの絵、山が噴火した絵、
地蔵女にこんど会ったら、ケータイに絵文字を入れているかもしれない。

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ツイッターで届いた朝顔の花だより

2010年10月22日 | ブログ

↓ 朝顔の花の画像が三重県よりツィッターで送られてきました、



「2010.10.11 09:08に携帯で撮りました。
三重県いなべ市北勢町阿下喜地内です。どうぞよろしくお願いします。
名前 山口屋本店 加藤辰彦
現在地 三重県いなべ市
自己紹介 地域に愛され創業108年、40歳後半の4代目。
山口屋本店では呉服・和雑貨・宝飾品、ホクセイS.C店は総合実用衣料品の販売をしています。
地域・いなべ市商工会事業・日常の事・音楽・ギター。

加藤さんはわたしがツィッターをはじめて(9月半ばごろ)、まもなく「フォローする」「フォローされる」ようになった。わたしのブログを読んで、「ぼくだったら朝顔のおじいさんに会いたい、年寄りに目がいくようになった」などつぶやいてくる。
おたがいに顔は知らないけれど、趣味のギターが親しみを持つきっかけだった。自己紹介に「地域に愛されて、創業108年4代目」となっている。

ふるさとの名産をツィッターで
かって日本が高度経済成長だったころ、若者たちはふるさとを捨てて都会に出た。
そうした時代の流れの中で、ふるさとに残り4代目をつぐということは、いろいろな迷いもあっただろう。
加藤さんはときどき、ふるさとの名産をツィッターでつぶやく。

ふるさとはあたたかい母のようだった。
  うさぎ追いし かの山
  こぶな釣りし かの川
だれもが口ずさんだふるさとの歌。

過疎化と高齢化がすすみ、今は熊が出てきて人を襲う。
奄美大島の災害がテレビで映し出させる。平和な村や罪のない年寄たちをなぜ襲うのかと天に叫びたくなる。
夏の猛暑は、コメの価値も下げてしまった。

いまこそ、ふるさとに若者たちが必要だ。

コメを食べる私たちも、どこの産の新米がおいしいとか、まずいとか、
言っては申しわけない気がする

加藤さん、朝顔の花、ありがとうございます!
朝顔の種が大地にこぼれて、三重県いなべしに来年も咲きますように・・・

加藤さんツイッター yamaguchiya_4

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迷いネコのような朝顔~ひとつの意味

2010年10月21日 | ブログ
昨日の朝、
迷いネコのように、ひっそり、菊の葉の陰に咲いていました。
どうして迷いネコに見えたのか・・・


↑ 迷いネコに見えたのは、季節はずれだからだろうか・・・・
それとも、菊の陣地に忍び入ったからか・・・。
ちいさくて、ひとつだけだったからか・・・・

ひとつの存在について
きのうの夕方、ふとあることがきっかけで思ったのは、
朝顔の花の存在は、ボールがどこからとんできてひとつそこにあるのとは違う。

たとえば、100メートを走った選手は、ゴールに立つ。
ゴールだけ見ると、点である。
しかし、ゴールに立つためには、
右の足→左の足→右の足→左の足→を繰り返して、ゴールに立った。
100メートルの距離には時間がある。

朝顔もひとつの花がいきなり咲いたわけではない。
→おととい→ 昨日→花→
時間がある。
花はこれで終わったのか
100メートルを走った選手はゴールで終わったかというと
リレーという競技は終わった。
選手自身は終わったわけではない。
*
ひとつの存在する意味について、ふと考えるきっかけになったのは
昨日、ケータイに「〇〇さんが亡くなった」とかかってきた。
その人との思い出が、一枚一枚の写真を見るように浮かんできた。
その人は90何歳という最終地点にいる。
スタート地点からそこにたどり着くまでの時間。
人生は過程である。
朝顔の花が咲いているのも過程である
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都会の交差点をカニが歩く

2010年10月20日 | ブログ

昨夜、10時30分ごろ、渋谷駅前の交差点の光景が
まるで、山崩れしたようにみえた。
ビルの谷間から、石ころややじゃりがごろごろ、
崩れて落ちてくる。
交差点を歩いているとき、変な歩き方をした男の人が、
私を追い抜こうとしている。
゛ああ、彼は障害のある人なんだ゛
信号を渡りきれるだろうか・・・
彼とわたしはちょうど、同じくらいに信号ほ渡りきった。
彼の歩き方は、カニのようだ
どうして、こういう歩き方になるのか、わたしは知りたくて
わざとゆっくり歩いて彼の後ろになった。

足がコンパスのような形をして、つま先でだけ歩いている。
足の平らは地面についていない。
彼の一歩は、つま先。
前に進むために、人の5分の一くらいの足を使って、
5倍くらいの回数を前に出さなけれはならい。

山崩れした石ころの間を、一匹のカニが歩いている

゛生まれたときからこうだったのだろうか
運動会を走っただろうか
このカニ男の母親は、わが子の未来をどれだけ心配したかしれない。
ても、カバンを肩から下げて
大都会の交差点の雑踏の中、信号を渡りきった。

人はどんな顔しているのか、人の顔を見るクセがついたのは、
ツイッターをはじめてからだ。
パソコンに流れる文字ばかり見ていたので、人間はどういう顔をしているのか・・・
それで、渋谷の交差点から地下鉄に乗るまで、人の顔をみた。

なんとたくさんの顔があって、なんとたくさんの表情があるのだろう
きげんの悪い顔、退屈な顔、うれしい顔、疲れた顔、考えている顔、
わたしはその表情をみながらおかしくなった、
人間はみんなにたようもんだなあ・・・

地下鉄の急行に乗った
25分後にわたしの駅に着いた。
なんと、電車のドアが開いたとたんに、
ブルトーザからじゃがいもが放り出されるようにして
人が駅の階段を下りていく。
みんなどんな顔しているのだろう
改札を出たところで人の顔をみた。
わたしは驚いた。
どれもこれも同じ顔をしている。
家に帰る、という目的の顔。
お金持ちも、高学歴の顔も、シャネルのバッグを持った顔も、
一日を終えて家に帰る顔は同じなんだな・・・。

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ゴミ屋敷が出たので・・・

2010年10月19日 | ブログ
半年前
「ゴミ屋敷が出たので、ゴミを一度に出さないように」
え!このマンションに!
ゴミ屋敷の主は、マンション10階の7階。
ひとり暮らしの高齢の男性。病気で入院するため、マンションを出ることになった、という。
ゴミ置き場は、ゴミの山となった。
ゴミだしの作業をするのは、ゴミ屋敷の主の母親と姉らしい。
一週間、近くのホテルに泊って、曜日別にゴミを分別して出す。

20~30年間、汚れた衣類と暮らしていた
ゴミは汚れた洋服や下着などの衣類がほとんどで、
段ボール箱を解体して束ねて積んであるようなあんな状態。
「20~30年、いや、ここに越してきてからだともっとかもしれない。」
汚れた衣類で部屋が埋まっていたから、立って寝ていたのかね~」
清掃の人が汚れた服のゴミの山をの見たのは初めてだと言う。

そして、一週間前、隣のマンションで。
管理人から聞いた話によると、
「水漏れがするというので、上の階に行ったみらた、玄関のドアを開けたとたんに
玄関を開けるとゴミがなだれ落ちてきた
水漏れの原因は上の階のゴミが原因だったことが判明。
部屋の修理ができないので、強制的にモノを処分することになったという。
その部屋の主は、男性のひとり暮らし。

高齢者とゴミ問題はいつかに譲るとして
今ここで言いたいことは以下。

ゴミはモノだった。
そのモノを部屋に入れたのは自分である

モノのほとんとにはお金がかかっていた。
それらが、ゴミになった。
ゴミと一口に言っても、
たとえば、同じ一万円が馬券や宝くじ、
もう、一方の一万円は形あるモノ。
馬券と宝くじは夢があった。
モノは使う目的があった。
結果として、役に立たないゴミになったけれど
一方は紙くずである
一方は部屋に居座るモノである
どう考えても、モノはたちが悪い

モノのために家賃を払い
ゴミを出すのに業者にお金を払い
作業する人にも人件費がかかり
水漏れの修理の費用
式にするとこうだ
★宝くじ、馬券は紙きれ
★モノは→処分するために業者に払う+作業代+モノを置くための家賃+水漏れ修理+
 部屋の空気も汚れていたから、体に害がある
モノはたちが悪すぎる
人間にだけ寄生する、なんだろう、いいことばが出てこない
寄生虫・・・。栄養を吸って生き続ける悪魔だ。

↓モノは年代とともに増える
タテはモノ ヨコ軸は年代 (モノのために家賃を払うな! 25ページ)




wave出版1400円 あらかわ菜美
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ゴミ袋と枝の切り口

2010年10月18日 | ブログ
朝顔の庭はよく手入れがされていました。
朝顔のツタがからまっている木の枝は程よく切ってあり
枝には朝顔の種が3つほどついていました。


 おじいさんが種を残しておいたのかもしれません。



↓ ゴミ袋


朝顔のおじいさん
おじいさんが朝顔のツタや木の枝を、いつ切っているか知らないが
ゴミ袋がいっぱいになるとゴミに出しているのだろうと思います。
おじいさんの窓のカーテンは閉まっているけれど
日中、この庭に出て来て、気になるところを切ったり、草をむしっているのだろう・・・

ここにあるゴミ袋はと枝の切り口は、もし、おじいさんが亡くなったら、
親族たちは、このゴミ袋や枝の切り口を見ながら、
おじいさんの姿や手や指を思い出して、泣くだろう
元気だったころのおじいさんの、茶碗を持つ手、はしを持つ指、
ごはんを口に運ぶ姿を想像するだろう
そして、おじいさんの手や指のしぐさの記憶を呼び覚まして
朝顔のつぼみさえもいとおしくなるだろう
このゴミ袋をゴミに出せなくなるだろう・・。

わたしは7月からずっと朝顔の花を見て、つぼみを見て、ツタを見ていたけど
見るものがなくなると、ゴミ袋と枝の切り口。
もしかして、
見るものが何もなくなったときに、
わたしは何をみるだろうか・・・・
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季節が入れ替わるときに時間はあわただしくなる

2010年10月17日 | ブログ
今朝の朝顔の花は2つ
灰色の空の下に、団地の建物が静かに
時間を閉じ込めているようです。

↓ 自分のツタと絡み合って、おもしろい咲き方です。6時45分撮影


↓葉の間に咲く朝顔の花→ 右の写真は正面から撮った
 →

この木はケヤキですか? 
昨日、朝顔の花を見て帰るとき、階段で男の人が落ち葉を掃いていました。
「おはようございます」とあいさつを交わして、階段を数段降りたところで
゛ああ、もう落ち葉の季節がやってきたんだ゛
とめどもなく、落ちてくる枯葉を集めてはゴミ袋に入れて一歩進み、また、落ち葉を集めて・・
その後から、後から、枯葉が落ちてくる、。単調な動作が100メートル、200メール続く。
その光景を思い出した。
わたしは立ちどまって、振り返りました。
「もう、落ち葉の季節になったんですね~」と言うと
男の人は手を休めて「そうですね」と答える。
「この木はケヤキですか」
「ケヤキです」
「樹齢何年でしょうね」
「20年か30年ですかね」

季節が入れ変わるとき時間はあわただしくなる
団地の入り口の階段から、ケヤキの並木が団地内に続く。
新緑の季節は淡い木漏れ日がさし、夏は心地よい日陰をもたらしてくれる。
夏から秋になり、
紅葉がちらちら始まると同時に、落ち葉もちらちら始まり、
やがて、落ち葉は容赦なく、時間のことなど気にしないでただ降り注ぐ
清掃する人も時間を気にしないで、ただただ、落ち葉を集める
その季節がもうすぐ・・・
時間があわただしくなる

もしかして、朝顔のつぼみも急ぐだろうか・・・
人間たちはきっとあわてふためくだろう・・・

 
昨日のつぼみが今朝どうなっていたのかわたしは確認しなかった
  わたしは見ているようで、見ていない

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誰もいない浜辺のような静けさ・・・

2010年10月16日 | ブログ
今朝、朝顔の花はひとつ
今朝はどんより曇っていて、8時の団地は静かでした。
朝顔の場所から、なんとなく、誰もいない、
夏の終わった浜辺のようなそんなふんいきが漂っていました。
茂みの間をあちこちのぞきこんで、よくよく見ると、ひとつだけ、咲いていました。



朝顔の花の風情やただずまいを一枚の写真にしたい、
花びらの色、やわらかさ・・・。
このとき思ったことは、写真はやっぱり無理だな・・・
ひとつの花だとどうしても、力が入ってしまう。
そうすると、花の形が変わってしまう。
夏の終わった誰もいない浜辺に、探していたモノを見つけた瞬間の
そのときの朝顔を撮りたい・・・
なので、ひとつの朝顔の写真は二枚だけにしました。
話が変わりますが
夜空の下に咲くあでやかな朝顔の花
昨日の夕方6時30分、ウオーキングの途中、見つけた、きっと朝顔だと思いますが。
この時期に、空は暗い中で、駐車場ののライトを浴びて、ピンク色の花が、フェンスを一面に
まるで、河原の土手のように咲いているではありませんか?





私がケータイのカメラを向けていると、そばを通りかかった買い物帰りの主婦が
「すごいですよね~、種がこぼれてこの溝の間からも咲いてましたよ。
フェンスの向こうから、伝ってここまで伸びてきたんでしょう」

千利休と朝顔の花
帰り道、わたしは千利休と秀吉の朝顔のエピソードを思い出しました。
千利休の庭に朝顔の花が見事に咲いているというので、
秀吉は利休のところに行きますが、朝顔の花はどこにない。
茶室に入ると、まっかな朝顔が一輪だけ。秀吉の目に飛び込んできました。
その時の秀吉の感動をなんとなく想像できます。

夜空の下に絨毯のように咲いている花よりも
一輪だけ咲いている朝顔の花の方が美しく、そっとしておいてやりたい・・・
そんな気持ちにさせられます。
最初に見た朝顔の写真の二枚目は、ツタの先につぼみがついています。

ツタの先につぼみがひとつ

↓ 明日咲くつほみ。
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