プロメテウスの政治経済コラム

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原発建設でトルコと覚書  「新成長戦略」でリスクを無視して原発輸出にのめり込む菅政権

2010-12-27 21:27:45 | 政治経済

菅政権の「新成長戦略」に「パッケージ型インフラ海外展開」がある。インフラ関連(原子力、水、鉄道等)を建設資金ファイナンス、人材育成、操業指導などシステム、パッケージとして官民一体で海外に輸出・展開しようということである。80年代末、日本がバブル経済で沸いていたとき、多くのゼネコンが建設受注のために、施主にファイナンスし、自ら開発事業にのめり込み、多大の損失を蒙ったことを彷彿とさせる。政府系金融機関の国際協力銀行が蒙るリスクは、われわれ国民が蒙るリスクである。国民が蒙るリスクを隠したままで、受注に突っ走ることは許されない。

 

菅政権は、24日、トルコの原子力発電所の建設に関し、人材育成などで協力する覚書を交わした。トルコでの原発受注を巡っては、これまで韓国が優位に交渉を進めていたが、プロジェクトファイナスの条件面で折り合わず、交渉が中断している。政府としては、今回の覚書によって日本企業(東芝)の受注を後押ししようということだ。トルコのユルドゥズエネルギー天然資源相との署名式のあとの共同記者会見で、大畠経済産業大臣は「安全性や耐震性といった世界トップレベルの技術力を生かし、トルコの原発導入に必ずや貢献できると考えている」と述べたという(NHKニュース1224日)。[ベトナム・ニントアン省の原子炉4基のうち第2期分の2基いついては日本の受注がほぼ決まっている。]

 

インフラ工事は、水道にしても、鉄道にしても広い地域をカバーしなければならない。開発途上国でこの種の工事を行うときは、相手政府の協力だけではなく、広い地域について地元住民との事前調整が不可欠である。一定の限定された範囲のニューサイト内での建設工事とはわけが違う。行く先にどんな障害が待っているかわからない。もっとも私のような素人がとやかく言わなくても、海外工事を多数手掛けてきた工事会社の人たちとっては、ハード面のリスクは百も承知であろう。問題はコマーシャルリスクである。インフラ工事の投資資金は、毎年の料金収入から必要経費を差し引いた残余から回収することになる。料金価格は、相手国の公社で決められるだろう。稼働率がどのくらいになるかも長期にわたるので予測が難しい。最近の状況はよく知らないが、昔、フィリピンのマニラでは、水道管が途中で勝手に盗まれ、料金収入が不当に減少するのが常態であった。受注獲得のためにプロジェクトファイナスをつけた場合、競争上どうしても条件が甘くなりがちである。バブル時代のゼネコンが不良債権に苦しんだのは、工事受注を急ぐあまりに先の読みを誤ったためである。

 

しかし、水道や鉄道プロジェクトのリスクは、原発のリスクとは比べものにならないくらい軽いだろう。原発はそもそも装置自体が危険極まりないものである。大畠経済産業相がトルコのエネルギー天然資源相に「安全性や耐震性といった世界トップレベルの技術力を生かし・・云々」と述べたというが、本当だろうか。日本政府は、地震が多いトルコの特性を考慮し、日本の原発が度重なる地震にも耐え安全を確保してきた点を強調しながら、トルコと水面下での交渉を続けてきたという。よく言うよ!“度重なる地震にも耐え安全を確保してきた”というのは、真っ赤なウソである。私は、『DAYS JAPAN』2011年1月号の広瀬隆「浜岡原発 爆発は防げるか」を読んで背筋が寒くなった。日本のような地震国には、原発はもともと無理なのだと思った。読んでいない方には是非読むことを薦めたい。大地震が起きると原発はコントロール不能となり、核兵器化する。そして、一度事故が起きると取り返しがつかない

 

1979年の米スリーマイル島原発事故、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故は、世界の人々に原発の破滅的な危険性を思い知らせた。核廃棄物の最終処理や核燃料サイクルの実現にも目途が立たない。“脱原発”が世界の主流となるはずだったのに、21世紀に入り、地球温暖化でCO対策が叫ばれ出して風向きがおかしくなった新興国が急速に経済発展するなかで、電力の供給源として原発に注目があつまり、無責任な資本主義先進国の原発関連業者が「輸出競争」に走り出した。いまや「原子力ルネッサンス」などと称して政府が後押しする事態となっている。

しかし、原発装置は危険極まりないし、大変な迷惑施設に変わりがない。たとえ順調に建設が進んだとしても安定的な操業技術が確立しているわけではない。日本でも、事故や不祥事が後を絶たない。政府やマスコミは国民に詳細を知らせないが、新潟中越地震や駿河湾地震で、柏崎、浜岡原発に大変なことが起っていた。あの程度の地震で設計用最強地震の想定限界を超えていたのだ。受注獲得のために、新興国にビジネストークで接近して、後始末の責任は誰がとるのか。責任が取れないことはやめるというのが商売の常道だ


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