プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

えひめ丸事件5年―その隠された真実

2006-03-10 19:03:23 | 政治経済
2001年(平成13年)2月10日(日本時間)、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船が急浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に一方的に衝突され、水深600mの海底に沈没した「えひめ丸」事件から五年。乗っていた35人のうち、教員5人、生徒4人の9人が死亡しました。この事件がその後話題に上らなくなったのは、問題がすべて解決したからではありません。軍法会議も、一切の裁判も開かれず、補償問題の解決を急いだ背景になにがあったのか。『えひめ丸事件』(新日本出版社/出版年:2006年1月刊)の著者ピーター・アーリンダー氏のことば「外国の基地を置く国は本当の意味で自由になれない」が重く響きます。

米海軍・日本外務省・愛媛県が「早期」の幕引きを狙ったのは何だったのか。当時、事故の第一報を聞きながらゴルフをやめなかった森首相が世間を憤激させたことは記憶に新しい。被害者家族や国民の真相究明の要求が『反米』につながることを恐れた日本政府、えひめ丸の構造上の問題点を問われることを恐れた愛媛県、潜水艦に「招待客ツアー」を押しつけた「責任」が表面化することをおそれた米海軍上層部それぞれが、「早期」の幕引きを共通目標としました

えひめ丸には年一億円のマグロ水揚げノルマがあり、船体構造も教育や安全性より漁獲高優先となっていました(北 健一「えひめ丸事件から5年―“利益相反”に潜む影」(「赤旗」2006.3.7)。生徒たちが普段集まっている場所(「生徒食堂」)は船底にあって、生徒は階段を2階分駆け上って脱出しなければなりませんでした。原潜の衝突後、非常電源がまったく作動せず、乗員は真っ暗闇のなかで、避難を強いられたのです。

えひめ丸の船主・愛媛県は自身の県弁護団を33被害家族の人身被害の弁護団としても受注させました。北 健一氏は「県弁護団に被害家族を相乗りさせる流れは、事故2ヶ月後の米海軍、外務省、愛媛県副知事の秘密会談と、その直後の宇和島での米海軍・愛媛県・県弁護団の合同説明会を契機として作られた」と書いています。
この相乗りは、被害者と加害者の弁護を同時に引き受けてはいけないという“利益相反”のルールを犯すものでした。県はこうして自己の責任を問われることなく、またえひめ丸の構造上の問題点が議論されることもなく、事件は終わってしまったのです。
さらに、愛媛県の主導によって、米海軍相手にどんな補償交渉の道があるかを、米海軍の弁護士たちによって被害家族に説明させると言うことがおこなわれました。米海軍の利益を最大限に守る責務を負った米海軍の弁護士が、他方で、被害者に対し十分な補償を得るための方法を説明するという“利益相反”の立場におかれたのです

潜水艦グリーンビルのワドル艦長は海軍のキャリアを失いましたが、彼は軍法会議にかけられたわけではなく、太平洋艦隊司令官の「審問委員会」にかけられただけでした。海上の安全を十分確認もせずに緊急浮上をおこなうなどといった「見せ物」的な操縦と「招待客ツアー」とは関係なかったのかも問われることはありませんでした

在日米軍の起こした事件は、日米安保条約と地位協定にもとづき、防衛施設庁が処理に当ります。同庁の姿勢は、しばしば「米軍」べったりと揶揄されます。安保の適用外のハワイで起きた「えひめ丸」事件では、県弁護団が防衛施設庁の役割を果たしました。「日本の政治や弁護士倫理のあり方を含め、問題をあいまいにしたままでは犠牲者たちは浮かばれません。」「外国の基地を置く国は本当の意味で自由になれない」という言葉をもう一度かみしめたい。


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