伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」

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【宇佐神宮の神勅⑦】日本国民の必須知識;吉田茂は工作員だった、無限拡散

2017-03-21 12:03:09 | Weblog

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私「吉田茂が工作員だったって知ってました?」

元高官「噂には聞いたことが有るけど、詳しく説明してくれるかい?」

私「先ず、コードネームは「ヨハンセン」でした。事の始まりは日米開戦当時から始まります。

日米開戦反対だった吉田茂を筆頭に、近衛文麿元総理、幣原喜重郎元外相、鳩山一郎等の総勢7名の親英米派グループでした。

「ヨハンセン」と言う名前は、彼らの動きを察知した憲兵隊が命名したために「吉田反戦グループ」の「ヨシダハンセン」が「ヨハンセン」となったものです。

吉田は開戦前から、アメリカの駐日大使だったジョゼフ・グルーと親しく付き合い、頻繁に連絡を取り合っていました。
敗色濃厚となった1945年2月、吉田は近衛に上奏文(いわゆる「近衛上奏文」)を作成させ

天皇を動かして、終戦に持っていこうとしました。しかし、憲兵隊に察知され、吉田等は4月25日、

憲兵隊に逮捕されましたが嫌疑不十分で、不起訴となり5月30日に釈放となりました。

★この逮捕は、戦後、吉田にとって「大きな勲章」になりました。たった一か月の「逮捕の実績」が、

アメリカ政府から見たら「日本軍国主義に逆らった反軍親米の政治家」と認定されたのです。

終戦の翌年1946年に早くも、総理大臣に登りつめました。これだけではありません。

吉田は幼少期から、工作員と接触し彼らに影響を受ける環境にあったのです。

先ず、養父の吉田健三は香港のイギリス資本のジャーディン・マセソン商会横浜支店長でした。

この会社は明らかにロスチャイルド系の会社で戦後は、有名なキャセイパシフィック航空も経営しています。

養父の健三はマセソン商会横浜支店長で日本政府相手に軍艦や武器、生糸の売買で巨利を稼ぎました。

健三自身もイギリス系の工作員だった可能性が大です。

3歳の時、吉田家に養子に出され、11歳の時に養父が亡くなり、56億円の遺産を受け取りました。

養父が亡くなるまで8年間でしたが、吉田家に出入りする社員や幹部にも工作員が多かったことは想像に難くありません。

≪吉田のロンドン人脈≫

吉田は1936年から駐英大使を務めました。この間に、後に総理大臣となった時の側近や人脈を作っています。

先ず、総理時代の秘書官となった白洲次郎と知り合っています。その白洲の紹介で筑豊の炭鉱王の麻生太賀吉と吉田の三女和子は知り合い結婚します。

娘婿となったのです。孫の太郎氏は言わずと知れた元総理で、現副総理です。

また麻生太賀吉の叔父の加納久朗横浜正金銀行(後の東京銀行)ロンドン支店長とも知り合います。

当時の正金銀行は「外為専門銀行」でしたから、国際金融のスペシャリストでした。

加納は後に、BIS(国際決済銀行)の副理事長になり、スイスのバーゼルに赴任しました。

バーゼルと言えば、今「渦中の大盗賊」が拘禁されていますね(笑)これも何かの因縁かもしれません。

吉田はロンドンで有能だが一癖も双癖もある強烈な個性の人物と知遇を得ました。

白洲、麻生、加納、誰しもがイギリスの工作員であってもおかしくありませんし、特殊なソサエティに入会しなければロンドンシティで裕福な生活のできない仕事です。

そういう連中を束ねて君臨した吉田が英国諜報部とつながりが無い方が不自然です。まして、本来は広田弘毅内閣の外相になるはずが、陸軍に嫌われて

駐英大使になったことぐらい、英国政府も諜報機関も周知の事実ですから。

白洲次郎は吉田の秘書官の間は傲慢無礼で、周囲に嫌われましたが、ほんの数年前に「再評価」の動きが有り、「GHQに逆らった男」として人気が上がりました。

しかし、この話には捏造疑惑が有り、ブームも去ってしまいました。白洲の生前の写真から、その日本人離れした風貌と体格

(日本人離れした鼻の高さと180cm以上の身長)から、イギリス人混血説もあります。不思議と正田富美と近いものが有ります。

吉田は日米開戦前夜、1941年9月6日の御前会議で決定した「帝国国策要領」を一字一句、アメリカの駐日大使、ジョセフ・グルー氏に情報漏えいしています。

吉田の妻雪子(大久保利通の孫)はグル―の妻のアリス・ペリー・グル―と非常に親しかった。アリスはミドルネームから分るようにペリー提督の子孫です。

このアリスから、九条節子(後の貞明皇后)、鍋島伸子(後の秩父宮妃)はロスチャイルド・モルガン系の情操教育=洗脳教育を受けていました。

アリスの母の旧姓はキャボットで、黒人奴隷貿易と麻薬売買で巨富を得た悪名高きキャボット家です。

このように吉田は妻雪子を通じて、アメリカ・エスタブリッシュメント(支配階級)の「奥の院」と明らかに通じていました。

要するに英米の凡百の工作員の「上に立つ工作員」だったのです。
*写真は白洲次郎(左)日本人離れした鼻に注目

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4 コメント

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養子 (きなこ)
2017-03-21 14:53:04
たった3才で大金持ちの養子になったというのも何やらにおいますね。陰謀、工作のにおいがします。偶然が重なって工作員になったのではなくて、幼少時から工作員にすべく育てられたように感じます。
中国 (ダリア)
2017-03-21 17:21:52
もしかしたら、吉田茂は、正田富美の素性を把握していたかもしれませんね。

白州次郎は、堤清二と交友関係があったらしく、
それを知ってガックリでした。
きなこさんへ (伏見)
2017-03-21 19:22:31
鋭いですね。私もにおいますよ。
ダリアさんへ (伏見)
2017-03-21 20:33:31
鋭いご指摘です。吉田は上海総領事をしていましたから、上海租界に住む富美と顔見知りだったかもしれませんね。ドラマ化された白洲次郎伝説は捏造が多いらしいですよ。騙されないようにしてください。

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