”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

”婦唱夫随” ・・・ その2

2017-05-14 12:29:26 | 生活

 組合事務所では思いがけない出来事が待っていた。 私と彼女はしばらく何ということもない事柄について話していたのだと思う。それまで組合の会議や仕事で一緒になり、何人かの仲間たちに交じって話をしたりしたことはあったが、二人だけになって会話を交わすということはなかった。 それで私たちはお互いに照れくさく気まずい思いをしていたのではなかったろうか。 なにしろ二人とも若かった。 そして突然、彼女は私に詰問するかのように「私はあなたが好きです。愛していました。」と告げたのだった。 私は一瞬、何のことか判らなかった。 それまで私と彼女の間に浮いた話や色めいた噂などもまったくなかったし、私は彼女を愛だの恋だのという対象としては見てはいなかった。 彼女は”強い女性””誠実な女性””正しい女性”といったようなイメージをもっており、清潔で合理的な考え方しかしない女性だというような認識を持っていた。

 そんな彼女が俗に言う”告白”をしたのである。 当人に面と向かって。 そして彼女は言葉を続けた。 「あなたが1年間アメリカへ行くことになったことを聞きました。 私はこれまで組合や会社のなかであなたを好きだと思いながら仕事をしてきました。 しかし、あなたがアメリカへ行くことを聞いて、良い踏ん切り時が来たのだと思いました。 だから、あなたに私の気持ちを伝えて、自分の気持ちをもうこれっきりにしたいと思ったのです」。 彼女の言葉の趣旨はそのようなものだったと思う。 50年近くたった今でも、後期高齢者になりボケかけてきた脳細胞でもその時の経緯の勘所は忘れずに記憶している。 私は彼女にすぐには応えられず曖昧な回答をし、彼女は自分の気持ちを吐露したことで気持ちのけりを付けたつもりで別れたのではなかったろうか。 そして間もなく、私はアメリカへ向かった。 行き先はニューヨークだった。

 ニューヨークの暮らしが始まってからしばらくの間、渡米前のそんな出来事はほとんど忘れていた。 なにしろ、アメリカでの生活は公私ともにそれはそれは大きなカルチャーショックだった。 初めてニューヨークのグランドセントラルステーションを出て42ndストリートに立ったとき「空がない」と思ったことを覚えている。 それくらいショックは大きかった。 なにしろ、時は1969年、1ドルが360円の時代だった。

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