”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

舛添さんと安倍さん、どちらが罪深い。

2017-05-17 11:11:13 | 生活

 前東京都知事の舛添氏はいろいろちまちまとしみったれた公費の使い込みが問題にされて結局知事の職を解かれることになった。 少しづつ細かいところで私腹を肥やしたことを追求されてのことのだった。 対して、森友学園問題や昭恵夫人の問題等、現首相にかかわる権力乱用問題は国の予算や費用に関連することであり、決して看過してよい問題ではないと思う。 舛添さんの問題のようにちまちまと都民の税金で小さな私腹を肥やしていたのとはケタが違う。 億単位の国民の税金を個人的なナショナリズムに叶うからといって、私的な学園の設立のために費やそうとしたり、国の予算で雇用した人員を私的な用途に流用したりしたのである。 舛添さんも安倍さんも、やったことはともに権力の悪用なのだが、やはり万円単位のことと億円単位のことでは責任のありようが違って然るべきと思う。 舛添さんのことを思えば、安倍さんは即退陣である。

 そんなことに思いを巡らせていると、隣国のパク前大統領のことが念頭に浮かんでくる。 パクさんも一連の権力の悪用によって退陣させられた。 悪事をなせばその責を負うのは当然であるが、注目したいのはその責任の追及のされ方である。 パクさんは国民による弾劾という手段によって追放された。 それに比べて、日本という国の国民や社会はなぜ安倍さんの権力の乱用ぶりを指摘し追求しないのだろうか。 少額の公費で私腹を肥やすのと高額な予算や公費で個人のナショナリズムを満足させるのとではどちらの弊害が大きいか。 都知事がやることと国家元首がやることである。 われわれ国民はよく考えて、考えた結果「これはいかん」と思うなら、その思うところを声を大にして叫ばなければ、”パクさんの弾劾”のような民主主義の開花は見られないのではないだろうか。

 「果報は寝て待て」「大衆迎合」「郷に入っては郷に従え」「言わぬが花」「出る釘は打たれる」などと周りばかりを見回してお上のありようを忖度していては、やがて私たちの周りの民主主義は萎んでいってしまうと思うのだが、、、。  それとも、日本の民主主義は ”押し付けられたもの” で、韓国の民主主義よりも ”みっともないもの” なのだろうか。 「多様性の尊重」とか「個性の尊重」などと言っているのはどうも ”衆愚” に向けた宣伝文句のような気がしてしょうがない。

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