幼い頃の私は、ほんの小さなことでうきうきわくわく、いつも何かに喜んでいる、そんな子供だった。
マクドナルドに行くよ、皆で市民プールで泳ごう、お弁当を持って公園へ、あっ、バルーンだっ!
そんな些細なことで、興奮して眠れないくらいだったっけ。
少し成長してからは、○○君と目が合った、○○君と廊下ですれ違った、○○君と映画を見に行くことになった、、!(笑)
そんな小さな小さな「ちょっといいこと」で胸が高鳴ったもの。
アメリカで留学生活を送っているときは、ペーパーでAを取った、指導教官に褒められた、プレゼンテーションが上手くいった!
そんなことでいつもはどんよりしたキャンパスが、楽園のように輝いて見えたっけ。
それが今は、、
昔感じていた「ちょっといいこと」の胸の高鳴り、高揚感、最後に覚えたのは一体いつだろう。
勿論小さなアクセサリーを買った、美味しいワインを飲んだ、嬉しいことはある。
でも物質的な満足感ではなく、生活そのものから湧き上がるかのような、あの純な喜び、、もう味わえないのだろうか。
思い返してみれば、昔から海外で仕事をする、ということに憧れていた。そしてそんな憧れが現実のものとなった今、、。
これだったの?私のしたかったことは?
たんたんと仕事をこなし、たんたんとこぶたとの日々を過ごす。それはとても平穏で幸せな日々。
でも、、それでいいの?
「どうして?」「どうすれば?」「何を、、??」
ふとするとクエスチョンが頭の中を行ったり来たり。
そして見つかるのは、てんこもりの不平不満。
大好きな人と暮らして、自分のしたかったことをしているはずなのに、、?
「ちょっといいこと」を感じる、探す感性を私は本当に、失ってしまったのか。
いつも「ちょっといいこと」を見つけることがとても上手だった私。そんな私はどこへ行ってしまったのだろう。
それとも子供は「ちょっといいこと」を見つける才能に溢れていて、年を取る毎にその才能は失われていく?
もしそうだとしたら、それはあまりに、悲しい。
いい古された言葉だけれど、今、少し立ち止まって、幼い頃にどこにでも、何にでも見出すことのできた「ちょっといいこと」を探してみたいと思う。
少し時間をかければ、きっと何かが見つかる気がするから。
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