ゴルコサーティーワン!その激闘の記録!

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”チキン”だけが”生き残る資格”
を持っている・・・

フィン・デル・ムンド

2008-06-08 02:26:18 | 第23話 フィン・デル・ムンド
第5章 フィン・デル・ムンド(地の果て)

2008.06.07(金)


 いよいよ最果ての地に到着。

 私は数件当たって宿を決め、村の散策に出ることにした。

 郵便局やその横の土産物屋、そして博物館で記念のスタンプをパスポートに押してもらえはしたのだが・・・

 村は残念ながら厚い雲に覆われて靄に包まれたままだった・・・

 街並み


 ミラドールからビーグル水道を望む。


 太陽を直視しても問題ないほど!



 プエルト・ウイリアムス・・・


 私の中でこの村は未だ神秘のベールに包まれていた・・・



2008.06.08(日)

 私はこの村への滞在を出来れば2泊以内にと考えていたのでチャンスは今日だけだ。
 
 幸いにして今日は快晴といって良いだろう。昨日は神秘のベールに包まれていたこの村の姿を・・・

 これから数枚の写真を持って紹介しようではないか!

広場と街の中心。
 

博物館。そして光と影の明暗で残雪のラインがきれいに出来ているところ。
 

ヤーガン族の末裔が住むウキカの集落とそこにいたるまでの海岸線。
 

そして夜景・・・
 


 人口約2300人、人間の居住区の南限界であるこのプエルト・ウイリアムス・・・


 私はプロフェッショナルとしてはっきりと分かったことがある・・・



 『なんだ、ただの村じゃんか!!』


 ということを・・・







第6章 最南端脱出

2008.06.09(月)

 私はプエルト・ウイリアムスに到着した日からこの最南端をどう抜け出すか?そればかり考えていた・・・

 私の読みで行ったら確実にローカルの交通手段はあるはずだった、この2日間、当たれる限りの旅行会社をあたり聞き込みもし、宿にもお願いして船を捜したのだが・・・

 聞き込みの成果は芳しくない、というか・・・そんなものはついぞ発見できなかったのだ!!

 夏のシーズンなら船がウシュアイアから船が来ていたそうなのだが・・・

 そして・・・ここを脱出するには・・・

 海路でプンタ・アレーナスに戻る。飛行機でプンタ・アレーナスに戻る

 そしてもうひとつ・・・

 セスナをチャーターしてウシュアイアに行く・・・

 この3通りしかなかったのだ!!


 決断は容易だった。

 もうプンタ・アレーナスに戻る気はなかった。
 
 それにセスナのチャーターは200ドル、そしてもしもう一人誰か行く人間が見つかれば100ドルと半額に・・・

 少なくとも陸路にこだわってフェリーでプンタ・アレーナスに戻るよりは安い・・・

 だが・・・

 今まで南米大陸で続けていた陸路と海路による移動・・・

 これが・・・

 この100kmにも満たない移動で飛ばなければならないとは・・・


 ただ、このプエルト・ウイリアムスは決して安い村ではない。時間の経過は私の味方にはなってくれないのだ・・・


 この日の朝も私は泊まってるホテルにお願いして方々当たってもらったが・・・
 残念ながら・・・ついぞ海路の道は私に開かれなかったのだ!

 私は陸路と海路による南米大陸1周を諦め・・・

 空路をとる事にした・・・

 できれば相棒がいれ安くつくとは思ったが・・・

 その可能性も無く・・・

 私は一人寂しくセスナをチャーターするという、東城史上かつてない大技での脱出となったのだ!!


 私のロジックに非の打ち所など無かった筈だ・・・

 ただ・・・

 季節が・・・


 そう天が私に味方してくれなかったのだ!!



 ぐぅぅぅぅぅ~・・・





 ホテルを出発して空港へ向かう。

空港とそこから見た村の景色。軍艦も停泊している。 
 


 ウシュアイアからのセスナが到着したのは1130時頃。イミグレとカスタムの人間が昼食で空港に不在だった為にしばらく待って出発したのは1230時。

 到着したセスナとコクピット
 


 天気にも恵まれ道中の景色は確かに良いものだった。


 


 そしてたった20分のフライトを終え空港へ・・・
 


 一度空港について入国手続きをすませるともう一度セスナに乗れと

 私がいぶかしがっているとセスナの拠点はまた別の場所らしい。

 セスナはもう一度大空を舞い上がり・・・

 と思ったら舞い上がり切らずにすぐに着陸・・・


 これがセスナのあるアエロクラブ。
 


 ここで私はセスナのチャーター代200ドルを支払い・・・

 街まで歩いて出ることにした・・・


 道中の景色を眺めながら・・・私は大きな感慨に浸っていた・・・

 アエロクラブから市内への道中。市の中心までは15分ぐらいだろうか。
 ちなみにこれだけいっぱい船があるのにこの内の一艘たりともプエルト・ウイリアムスには行かなかった。




 最果ての村から最果ての街へのこのフライト・・・



 目からうっすらと涙が滲んでいる・・・



 だが、この涙は別に何かに感動したからなどでは決して無い!


 そう、旅行末期で金銭的な余裕がなくなってきているこの時期に・・・

 大陸の陸路&海路一周の野望を絶たれた挙句にたった一人でセスナをチャーターしなければいけなくなり・・・

 200ドルもの大金を支払った、その料金の高さからなのだ!!


 あぅぅぅぅ~・・・





そしてエピローグ。


 私は冒頭あたりにも書いたがそもそも最南端と私との付き合いは古い・・・

 だが今までの最南端行を振り返ってみると・・・


 本州潮岬では到着日には台風・・・、足摺岬は悪天候の為に殆ど何も見れず・・・
 千葉から九州最南端を自転車でと考えて行った佐多岬では、岬の入口からは自転車不可でバスを待たされる羽目になり・・・

 アフリカ最南端のケープアグラス、レンタカーを借りていたのだが有名なケープタウンにのみ興味を示す旅行者が圧倒的で誘っても誰一人として一緒に行ってくれずに結局一人で行く羽目になり・・・
 インド亜大陸最南端コモリン岬、朝日と夕日が同じ場所で見れるこの場所でも雲が多くついぞ朝日も夕日もばっちりと眺められずに・・・




 そして今回の地の果ての村プエルト・ウイリアムス・・・
 
 私は南米大陸陸路&海路で一周の望みをたたれたばかりかセスナの一人チャーターなどというかつてない手痛い出費を強いられる羽目となったのだ・・・






 私は今、今回のこの狙撃を振り返り、そして強くこう確信する・・・













 "最南端"だけにまたしても"災難だった"






 と・・・




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