覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

ダービーと横綱

2012年05月08日 04時19分35秒 | Weblog
 ダービー馬は、一年に1頭、誕生する。要するに毎年新たに生まれる。

 しかし、大相撲の横綱はどうか。毎年どころか、実にこのところ、2007年7月以来、もう5年近く、新横綱誕生の声を聞かない。

 現在、日本ダービーは第79回目を迎えようとしており、史上一度も同着優勝が無いから、過去78頭のダービー馬が現われたことになる。それに比し、横綱はどうか。今の最も新しい横綱・白鵬が、第69代横綱である。

 この両者の生み出されるペースを見比べると、例えば、1997年 第64代ダービー馬 サニーブライアン これに対し、第64代横綱 曙太郎 はその4年前、1993年3月に誕生日している。ダービーが毎年五月末辺りなのは云うまでも無い。

 即ち、かつては横綱の誕生の方が先で、歴代ダービー馬がこれを追いかけて、誕生していたことになる。今は、今年79代目が誕生しようとしているダービー馬に対し、横綱は69代で止まっているのである。

 言葉を換えれば、かつては64代横綱の誕生、これを見届けてから、ダービー馬、第64回の優勝馬が生み出されていたことになる。今は、逆に、横綱誕生を見なくとも、毎年ダービー馬だけ、次々に輩出される。この、ダービー馬、大相撲横綱の誕生の前後関係が逆転したのは、68代目 朝青龍 の時点からである。

   第68代 ダービー馬  2001年5月 ジャングルポケット  

   第68代 横綱      2003年3月昇進   朝青龍 

 ということで、では、この2000年 ダービーまで、横綱の後を追って誕生するダービー馬の選定に、先輩である横綱が、果たして関与していたのかどうか。答えは 大いに、あった である。

 ご紹介申し上げる。

 1987年11月昇進の第62代 大乃国 この横綱の名前は、大乃国康(おおのくに やすし)だが、8年後、1995年 第62代ダービー馬は、タヤスツヨシ だった。やすし と たやすつよし 偶然か、意図か。

 1990年9月 第63代横綱 旭富士正也 が誕生し、6年後、1996年 第63回ダービーは フサイチコンコルド 無関係だろうか。実は、旭富士に対し、優勝騎手が藤田伸二。同じ、フジ この折は、三歳年上の「天才」と呼ばれていた、武豊の1番人気 ダンスインザダーク を差し切っての後輩騎手の先取りの優勝だった。ダービー馬、即ち国技大相撲の横綱の重みが解かる。

 1993年3月 第64代横綱 曙太郎 の昇進。4年後1997年 第64回ダービー サニーブライアン の優勝。

     曙    朝、射し初める日光

   サニー   太陽の陽光の燦々たるさま

 1995年1月、1998年7月 大相撲界でも、史上初のことが起きた。連続して、昇進、誕生した横綱。これが実の兄弟だったのである。

   1995年1月昇進  第65代横綱  貴乃花光司

   1998年7月昇進  第66代横綱  若乃花 勝

 ダービー、 第65回 第66回 も、日本競馬史上初のことが起きた。しかも、最高のスターを通してである。ずばり、天才・武豊の連勝である。


   1998年 第65回 ダービー    スペシャルウィーク   武豊   優勝 

   1999年 第66回 ダービー    アドマイヤベガ      武豊   優勝


 皆様、これらは総て偶然だと思われるだろうか。若貴兄弟の横綱誕生、これと武豊のダービー連勝の合致。

 日本ダービー 第1回優勝馬 これは ワカタカ と云う馬である。1932年 目黒競馬場、ジョッキーは函館孫作。

 1999年7月 第67代横綱 昇進したのは、武蔵丸光洋 である。これに対し、2000年 第67回ダービー 武蔵丸だからまた武豊と云うのは読み浅く、武は2着。優勝は アグネスフライト 河内洋 である。光洋と洋。

 これを最後に、中々現われない横綱を、ダービー馬の数が逆転したことは既に申し上げた。

 最も新しい、即ち最も近い横綱昇進が、2007年7月 第69回 白鵬翔 

 実は、この7月に昇進とは、7月場所で初めて横綱を名乗り、番付に登場したということであり、実際はその前の場所、5月場所の実績、白鵬の場合は2場所連続の優勝を全勝で飾り、実質昇進を決定したものである。
 すると、その5月末、2007年ダービーで、当然、この新横綱誕生を寿ぐ、何らかの演出が凝らされなければならない。歴史的経過を踏まえ、そのはずである。だが、申し上げた通り、回数で逆転してしまっている。で、どうだったか。この時期に戻り、見据えよう。

   2007月5月場所  第69代横綱  白鵬翔  全勝優勝で決定付ける 

   2007年5月末   第74回 ダービー 

 で、その反映とは、本来、69代目ダービー馬、既に誕生したしまっていたダービー馬の映し出しでなければならない。見事、競馬会は、これをやった。

    第69代ダービー馬   タニノギムレット    2002年優勝 

    第74回ダービー馬   ウオッカ          2007年優勝 
                     父 タニノギムレット 

 ご記憶のように、優勝位置は同じ 2枠3番 無論同一馬主、谷水雄三氏の所有馬。稀に見る牝馬のダービー制覇は、この白鵬の登場で決定付けられた。

 翻って、何故、このところ、

    2008年 第75回ダービー  1枠 1番 ディープスカイ     優勝
    2009年 第76回ダービー  1枠 1番 ロジユニヴァース   優勝 
    2010年 第77回ダービー  1枠 1番 エイシンフラッシュ   優勝
    2011年 第78回ダービー  1枠 1番 ウインバリアシオン   2着

 何故、稀に見る、3年連続 1枠1番優勝 4年連続 1枠1番 発射 これが続いているのか。

 はっきり断言できる。横綱出現停滞 白鵬翔時代継続  白=1枠 の天下が続いたからである。08年 10年 と2回、枠連 1-4 白と青 が出ているのも、白鵬 朝青龍 頂点に並び立った有様の反映である。要するに、大相撲の映し出しだったということだ。

 5年連続となるのか、今年。わたくしが、把瑠都、また鶴竜に注目したのも当然である。殊に、先場所で把瑠都の圧倒的活躍ともなると ・・・ 今このような状態だから、ここまでお話した。
 結論は出ている。

 日本競馬の最高の祭典、日本ダービー、その優勝馬選定の最も重要な要素とは、何だったのか。お解かり頂けただろうか。

 今年はどうなるか、もう解かっているからこのことを申し上げた次第である。

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 わたくしは、今年のダービー馬。その優勝位置も知っている。

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