(英題:The Artist)

----これって、噂のサイレント、モノクロ映画だよね。
アカデミー賞にもノミネート…。
「うん。
フランス映画なのに、
外国語映画賞扱いじゃないのはなぜ?
なあんて、最初は思ったけど、
なるほど、この映画はサイレントだから
どう転んでも“外国語”にはならないわけだ。
もっとも、厳密な意味で言えば、
完全なサイレントとは言えない映画だけどね」
----あれれ、どういう意味?
「まあ、それは言葉どおり取ってもらうとして、
この映画は、
サイレントとトーキーの違いとは何かを教えてくれた意味でも興味深い」
----えっ、俳優のセリフがあるかないかの違いじゃないの?
「いやいや。
そればかりじゃないんだ。
むしろ画面に映っている映像に添ったサウンド、ノイズがあるかなしかと言った方がいいだろう。
この映画は、そのことを指し示す興味深いシーンがある。
主人公は
サイレントのスター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)。
時代がトーキーに代ろうとする中、
彼はある悪夢を見る。
その夢は、モノが落ちる“音”に始まる。
つまり、シーンと音が同期しているんだ。
それまでサイレントとはいえど、音楽はあった。
それは、そのシーンの雰囲気を作ったり
シーンの感情、状況を強調する効果として使われていた」
----ニャるほど…。
ところでこの映画は
トーキーに乗り遅れた古い時代のスターのお話ということでいいんだよね。
「うん。
では、簡単にあらすじを…。
大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、、
オーディションにやってきた
ぺピ−・ミラー(べレニス・ベジョ)と
ひょんなことから知り合う。
愛らしい笑顔とキュートなダンスで役を獲得したぺピーは、
撮影後、ジョージの楽屋へ。
そこでジョージは彼女に、
女優を目指すのなら目立つ特徴が必要と
アイライナーで唇の上にほくろを描く。
その日を境に、ぺピ―は快進撃を始める。
一方、サイレント映画こそ芸術、
自分は“アーティスト”との立場を取るジョージは、
トーキーに背を向け、サイレント映画を自ら初監督。
しかし、映画は大コケ。
以後、転落の道をたどったジョージは
妻からも三下り半を突き付けられ、
やがてはオークションで自らの生活の品をも売り払うようになる…」
----ニャ〜るほど。
映画は、
ぺピーの成功とジョージの転落を対比してゆくわけだね。
「そう。
今の時代だったら、
女性の描き方として、
男を踏み台にしてのし上がっていくと、
まあ、こういうことになるんだろうけど、
これは時代を1927年からの数年間に求めていること、
そしてその手法として
本作そのものをもサイレント映画を選びとっていることから、
ロマンスを軸に話は進んでいく。
それも、ふたりの表情やしぐさで
情感たっぷりに…。
ここには、今の映画にはもはや見受けられなくなった
映画の始原的な表現がいっぱいに詰まっている」
----じゃあ、あまり撮影とかも凝ってはいないんだ?
「いやいや、そんなことはないよ。
サイレントと言ってもいろいろ。
チャップリン映画を思わせる犬との絡みもあれば、
ドイツ表現主義のような映像も。
さらには、シュールレアリズムな悪夢までも飛び出す。
何より、
劇中劇はダグラス・フェアバンクスばりの活劇だしね。
そうそう、この映画は
そのフェアバンクスがモデルになっているとも言われている。
あと、音楽にヒッチコック映画には欠かせないバーナード・ハーマンを使ったり、
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースを思わせるタップダンスを取り入れたり…。
もう、この上ない贅沢。
さて、喋り始めるときりがないけど、
最後にぼくが気づいた本作ならではの手法を一つ。
それは“階段”の描き方。
主人公が落ち目になってからは、
ジョージが登場する階段でのシーンは
すべて“下り”。
これは明らかに、
それによって視覚から生まれる心理的効果を狙っている。
これもまた、言葉やナレーションを使わない
サイレントならではの文法。
何も、長回し&抑えた演技、
あるいは最新の技術を駆使して描くばかりが映画じゃないし、
この作品は、そう、語りかけている気がしたね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「サイレントのオモシロさを再発見させる映画なのだニャ」
※サイレント映画は饒舌だ度



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----これって、噂のサイレント、モノクロ映画だよね。
アカデミー賞にもノミネート…。
「うん。
フランス映画なのに、
外国語映画賞扱いじゃないのはなぜ?
なあんて、最初は思ったけど、
なるほど、この映画はサイレントだから
どう転んでも“外国語”にはならないわけだ。
もっとも、厳密な意味で言えば、
完全なサイレントとは言えない映画だけどね」
----あれれ、どういう意味?
「まあ、それは言葉どおり取ってもらうとして、
この映画は、
サイレントとトーキーの違いとは何かを教えてくれた意味でも興味深い」
----えっ、俳優のセリフがあるかないかの違いじゃないの?
「いやいや。
そればかりじゃないんだ。
むしろ画面に映っている映像に添ったサウンド、ノイズがあるかなしかと言った方がいいだろう。
この映画は、そのことを指し示す興味深いシーンがある。
主人公は
サイレントのスター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)。
時代がトーキーに代ろうとする中、
彼はある悪夢を見る。
その夢は、モノが落ちる“音”に始まる。
つまり、シーンと音が同期しているんだ。
それまでサイレントとはいえど、音楽はあった。
それは、そのシーンの雰囲気を作ったり
シーンの感情、状況を強調する効果として使われていた」
----ニャるほど…。
ところでこの映画は
トーキーに乗り遅れた古い時代のスターのお話ということでいいんだよね。
「うん。
では、簡単にあらすじを…。
大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、、
オーディションにやってきた
ぺピ−・ミラー(べレニス・ベジョ)と
ひょんなことから知り合う。
愛らしい笑顔とキュートなダンスで役を獲得したぺピーは、
撮影後、ジョージの楽屋へ。
そこでジョージは彼女に、
女優を目指すのなら目立つ特徴が必要と
アイライナーで唇の上にほくろを描く。
その日を境に、ぺピ―は快進撃を始める。
一方、サイレント映画こそ芸術、
自分は“アーティスト”との立場を取るジョージは、
トーキーに背を向け、サイレント映画を自ら初監督。
しかし、映画は大コケ。
以後、転落の道をたどったジョージは
妻からも三下り半を突き付けられ、
やがてはオークションで自らの生活の品をも売り払うようになる…」
----ニャ〜るほど。
映画は、
ぺピーの成功とジョージの転落を対比してゆくわけだね。
「そう。
今の時代だったら、
女性の描き方として、
男を踏み台にしてのし上がっていくと、
まあ、こういうことになるんだろうけど、
これは時代を1927年からの数年間に求めていること、
そしてその手法として
本作そのものをもサイレント映画を選びとっていることから、
ロマンスを軸に話は進んでいく。
それも、ふたりの表情やしぐさで
情感たっぷりに…。
ここには、今の映画にはもはや見受けられなくなった
映画の始原的な表現がいっぱいに詰まっている」
----じゃあ、あまり撮影とかも凝ってはいないんだ?
「いやいや、そんなことはないよ。
サイレントと言ってもいろいろ。
チャップリン映画を思わせる犬との絡みもあれば、
ドイツ表現主義のような映像も。
さらには、シュールレアリズムな悪夢までも飛び出す。
何より、
劇中劇はダグラス・フェアバンクスばりの活劇だしね。
そうそう、この映画は
そのフェアバンクスがモデルになっているとも言われている。
あと、音楽にヒッチコック映画には欠かせないバーナード・ハーマンを使ったり、
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースを思わせるタップダンスを取り入れたり…。
もう、この上ない贅沢。
さて、喋り始めるときりがないけど、
最後にぼくが気づいた本作ならではの手法を一つ。
それは“階段”の描き方。
主人公が落ち目になってからは、
ジョージが登場する階段でのシーンは
すべて“下り”。
これは明らかに、
それによって視覚から生まれる心理的効果を狙っている。
これもまた、言葉やナレーションを使わない
サイレントならではの文法。
何も、長回し&抑えた演技、
あるいは最新の技術を駆使して描くばかりが映画じゃないし、
この作品は、そう、語りかけている気がしたね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「サイレントのオモシロさを再発見させる映画なのだニャ」

※サイレント映画は饒舌だ度




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階段の使い方はサイレントならではの演出の一つに思えましたね。
ぼくは、犬が助けを求めに走るシーンに
サイレントの香りを強く感じました。
映画を勉強し始めた頃に観たサイレントよりも
さらにオモシロく作ってあるのが
ちょっと不満でしたが、
これは贅沢な悩みというものでしょう。
なるほど、階段の下りを使って表現していたとは気が付きませんでした。
ほかに自分が輝いていた頃の肖像画に見下ろされているジョージを絵画からの目線で撮ったところも、同じことなのでしょうね。
階段の下りは、ふと気づいて
もしやしたら…と、その後、意識して観ていたら、
案の定、そうでした。
いかにもサイレントならではの手法ですが、
ピタリとハマっていて、
嬉しくなりました。
そこまで気が付きませんでした。 でも確かにそうだし。
ベテランのプライドほどやっかいなものはないんでしょうね。。。
セリフがない分、より視覚的メッセージを込めたシーンが多いのがサイレント映画。
3Dが氾濫するこの時代にこんな映画体験が出来たことがすごくうれしかったですよ。
この映画、サイレントならではの手法を
たっぷり取り入れ、その楽しさを
改めて教えてくれた作品でした。
内容も内容だし、たまりませんね。
でも、二匹目の…はないでしょうね。
それでも、随所に、監督の映画愛、そしてサイレントを研究したあとが伺え、
思わず頬がゆるみました。
ただ、柳の下にドジョウはいないでしょうね。
気がついて〜(笑)
私も階段のシーンは、とても印象に残っていて
二人が久々に出逢った時に、ジョージは下、ぺピーは上から話してたので、もしや・・・思って観ていたら、ジョージが階段を使うシーンでは下りばかりで、ぺピーは上がりばかりで
もしや・・・と思っていた通りになって嬉しくて(笑)
サイレント映画にもお詳しい、えいさんですから、オマージュがたくさんあって、楽しめたんでしょうね。私は、オマージュはあまりよくわかりませんでしたが、それでも、楽しめた作品でした!
えいさんの評価4って久々に観たような気がします(笑)
こんなにリスペクトされたら、そりゃ賞もあげたくなるかも(笑
しかし、映像も物語りも、シンプルながら良く考えられていて、とても楽しめました。
階段のシーンは、その後、
いろんな方が指摘されているようで、
嬉しい反面、
なあんだ、みんな気づいていたのか…と。
そうか、四つって久々か…。
ていうか、それに気づいてくれたって嬉しいです。
あれが、星の代わりと分かっていただけていただけでも光栄!
o(^▽^)o
この映画で感心したのは、
フランス映画には見えないというところ、
ほんとに、よくあの頃のハリウッドを研究したもの。
日本の監督の中にできる人いるかな?
やはり、『夢見るように眠りたい』みたいな方向に
いっちゃいそうですね。