こどもたちの様子をみていると、
大人の社会がそのまま反映されている
言動や行動に気がつきます。
年上の言うことを聞かないといけないとか、
理由なく休んだら「ずる休み」とか。
年齢関係なく、誰でも対等に尊重しあいたい、
自分がその日一日をどう過ごすのか、
空に来るか、家で過ごすか、他の選択肢を選ぶかは
自分で決めればいい、と思います。
最近はいろんな面で「ずる〜い」という声を
よく聞きます。
ずるい・・・
例えば、自分はちゃんと着替えて来てるのに
いつまでもパジャマでいる子に対して「ずる〜い」
例えば、自分はちゃんと掃除してるのに
さぼってる子に対して「ずる〜い」
自分に「やりたいけどできない」ことがあるから
「ずるい」=うらやましい、不平等に感じる、という
感情がわくのですね。
できるだけ制限をなくして、やりたいようにやってみる、
その中からいろんなことを感じるという体験が大切だと
思います。
子どもたちは隔離されて生きているわけではありません。
空(スクール)のやり方、家庭のやり方、地域の目、
いろんな体験すべてを学びとして成長していくのです。
その中で、空は最大限、自分らしくいられる場所で
ありたいと思っています。
(カミイチ)
大人の社会がそのまま反映されている
言動や行動に気がつきます。
年上の言うことを聞かないといけないとか、
理由なく休んだら「ずる休み」とか。
年齢関係なく、誰でも対等に尊重しあいたい、
自分がその日一日をどう過ごすのか、
空に来るか、家で過ごすか、他の選択肢を選ぶかは
自分で決めればいい、と思います。
最近はいろんな面で「ずる〜い」という声を
よく聞きます。
ずるい・・・
例えば、自分はちゃんと着替えて来てるのに
いつまでもパジャマでいる子に対して「ずる〜い」
例えば、自分はちゃんと掃除してるのに
さぼってる子に対して「ずる〜い」
自分に「やりたいけどできない」ことがあるから
「ずるい」=うらやましい、不平等に感じる、という
感情がわくのですね。
できるだけ制限をなくして、やりたいようにやってみる、
その中からいろんなことを感じるという体験が大切だと
思います。
子どもたちは隔離されて生きているわけではありません。
空(スクール)のやり方、家庭のやり方、地域の目、
いろんな体験すべてを学びとして成長していくのです。
その中で、空は最大限、自分らしくいられる場所で
ありたいと思っています。
(カミイチ)










掃除してるのに人がサボってたらずるいって思うのは普通だと思うけど、
お休みしてずるいって思う感覚は、「ふむふむそうなのね」と思っていました。
その子はは、たまには休みたいけど空に来なければならないと思っているのかな。
外から強制されることが多いのかな。
あるいは、そういう経験から強制されていると思い込んでいることも多いかもしれないね。
微妙だけど、子どもたちの中には何か揉め事がオトナに言いに来ることがあるけど、それは大人の反応によっては、言いつけに来た、というふうに完了してしまうことにもなるし、まったく違ってオトナ(=スタッフ)を使って解決したという風にもなるよね。
だから、そのような発言があった後に誰が何を思い、発言(表現)するのかということも大事なのかなと思いますね。