真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「悦楽の性界 淫らしましよ!」(2011/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:中山敦介/撮影助手:末吉真/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協賛:ウィズコレクション/出演:西野翔・藍山みなみ・津田篤・西岡秀記・山口真里《愛情出演》・亜紗美)。
 店名不肖の飲み屋、細木数子の携帯占ひサイトを見るOLの三沢百々(西野)は、その日が天中殺から始まり、しかも十三日の金曜日で仏滅の三隣亡、おまけに大殺界などといふ、複雑で厄介なコンボを決めてゐるのにポップな悲鳴を上げる。遅れて、百々の同僚、兼婚約者の圭介(津田)が来店。キャバクラばりに胸の谷間も豪快に、天使の扮装で店の名物カクテル「天使のKiss」を注文する前から圭介に持つて来る、友情ではなく愛情出演の山口真里は、店のママ・マリちやん。圭介は百々のそこそこ以上にあるらしき預貯金を無心し、会社を立ち上げる夢を熱つぽく語る。「幸せにするからな」といふ頼もしいのだか薄つぺらいのかよく判らない圭介の言葉に、百々が浮かべた複雑な表情を押さへてタイトル・イン。
 ひとまづ入念に婚前交渉をこなした後、百々は衝撃的な告白を何気なく切り出す。病院の検査の結果、何やら難しい病気で半年の余命だといふのだ。かといつて、特段嘆き悲しむでなく、相変らず臆面もなく自身の貯へに汲々とする圭介の姿に、地金を見た百々は見切りをつける。男運のなさを嘆き、児童公園で黄昏る百々の前に、ゴス系のメイクにアグレッシブな黒尽くめの服装に身を包んだ、その割には案外愛想は悪くない兎も角奇怪な女・悪魔子(亜紗美)が現れる。観音折の無闇な名刺には“地獄推進委員会セールス担当”とある悪魔子は、自分は文字通り悪魔で、百々の魂と引き換へに、何でも悩み事を叶へてやらうといふ。尤も、常識的にはおいそれと呑み込める話ではなく、まるで噛み合はずに一旦悪魔子は姿を消す。再びマリちやんの店、取らぬ、どころではなく取れぬにも関らず、百々遺産の皮算用に相変らず余念のない人でなしの圭介に、悪魔子が接触する。百々とは異なり、圭介と悪魔―子―との契約は脊髄で折り返して成立。赤い照明が色んな意味で判り易く扇情的な一戦を繋いで、『AERA』ならぬ『AHERA』もとい『AEGI』誌を手に取つた百々は仰天する。表紙をマイクロハード社の社長に就任した圭介が飾り、加へて秘書が悪魔子であつた。頃合をジャストに見計らひ、悪魔子再登場。とはいへ、家族関係に恵まれず幼少期より不幸続きの百々の願ひといへばさゝやかな幸せで、一方悪魔子は、悪魔なので幸せだとかポジティブな言葉を聞くとそれだけで蕁麻疹が出てしまひ、矢張り折り合はない。死後の不名誉を鑑み、百々は間もなく遺品となるであらう身の回りの品々を整理する。慌ててゴミ袋に放り込んだバイブに続けて手に取つた、ボール紙製の金メダルに百々は目を細める。それは高校時代、最後の大会でも最下位になつたダメ陸上部員の百々に、絵に描いたやうな情熱家の顧問・有田(西岡)が贈つて呉れた物だつた。かういふ、一山幾らの他愛ないシークエンスに際しても、キチンと観る者の心に強い情動を叩き込めるのは、映画監督渡邊元嗣の決して馬鹿には出来ぬ、確信を伴なつた強さに違ひない。定番が定番たり得る所以は、ひとへにそのエモーション喚起の確実性の高さによるものにほかなるまい。娯楽映画にとつて最も肝要な論理と技術の神髄は、そこにこそあるとするならば、徒にツボを外すことに腐心し、新奇といふ名の珍奇を求める作家性と称した心性は、単なる器量の矮小さに過ぎないのではなからうか。話を戻して、これは正直一度観ただけでは清々しく判り辛いが、愛人の美里(藍山)から、別居中の妻・美穂(全く登場せず)との離婚届を冷たい顔で突きつけられもした有田に、百々は意を決して今生の別れに会ふだけ会ひに行く。少なくとも百々の前では、有田は感動的にまるで当時のまゝだつた。
 正月第二弾、の中でも更に第二弾の渡邊元嗣2011年第一作は、中盤までは全く完璧であつた。徹底して幸薄く、しかも僅か半年後には終る儚い生涯にも関らず、健気さと可愛らしさを失はぬ百々と、悪魔にしては随分と人の好い悪魔子が繰り広げる軽妙な遣り取りは、正統派アイドルとして十二分に通用しよう魅力を湛へる西野翔を、コメディエンヌとしての地力も誇る亜紗美が頑丈に牽引し、抜群に見応へがある。有田絡みのエピソードも、陳腐極まりないものながら、それでも思はずグッと来させられる。有田が悪魔子のナビゲートで百々の現住所に辿り着き、主演女優の濡れ場を二度目に見せるところまではひとまづ磐石。ところが、百々の文字通りの徹頭徹尾の悲運を表現するために、戯画的な熱血漢といふ相の影で、実は有田が―百々が元々入つてゐるといふ描写は一欠片たりとて見当たらない上で―死亡保険金の入手を目論む卑劣な好色漢であるだなどといふ、恩師の薮蛇な素顔を悪魔子が百々に晒してから以降が、俄に雲行きと、軸の所在が怪しくなつて来る。ここで大絶賛三番手の藍山みなみの絡みは、そんな有田に、美里が如何にも毒婦然と寄り添ふ形で仕出かされる。ここはいつそのこと清々しく木に竹でも接いでみせた方がまだマシで、下手に三人目の女優の裸をドラマの進行に取り込まうとして失敗した分、いふならばピンク映画固有の論理に負けてしまつたといへよう。なほも変化の窺へぬ、何処までも純粋な百々をそれでは最後の手段だと、悪魔子が黒百合の花咲かせ篭絡する展開は転じて正方向にジャンル的で麗しいものの、その後の着地点が逆の意味で見事にちぐはぐ。百々はAKB改めOPB48のメンバーにスカウトされ栄華を極めつつ、予定通りの一生を終へる。そこから、渡邊元嗣の抑へ切れなかつた趣味性の発露と捉へれば微笑ましくあるのかも知れないが、直截には蛇足感を爆裂させるエピローグとの間に挿まれた、そこだけ切り取れば超絶の一幕。雑踏の中、物憂げな悪魔子が空に消え行く赤い風船を捕まへ、煩型らしいゴッド担当の寿命を曲げる真のラスト・シーンは劇的に美しいのだが、ただこれでは前後を、OPB48の人気投票で一位を獲得し冗長にはしやいでゐるだけの百々は綺麗に何処吹く風。ヒロインの座が何時の間にか、藪から棒に改悛した悪魔子に横滑りしてゐる。幾ら要所要所は決まつてゐるとはいへ、如何せんこれでは流石に物語が形にならぬ。傑作の前髪を何度か掴みかけたとは思しき、何度も掴みかけたのに画期的に惜しい一作。牽強付会気味に繰り返すが、勝敗の分かれ目は、有田の変心まで含め無理して西岡秀記と絡ませた藍山みなみの起用法に求められるのではないか。さう考へた時、それはそれで潔いが、女の裸を銀幕に載せることにのみ全力を注ぐ裸映画、ではなく。女の裸ばかりに囚はれるでなく、裸込みの裸の劇映画といふ志向、より理想的には女の裸によりより加速される劇映画、でもなく。端的には女の裸に足を引かれた劇映画、といふ評価が相当するやうに思へる。


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