水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による書評・エッセイ等

『バッタを倒しにアフリカへ』 御礼

2017年06月15日 | 京都ぶらり [書 評]
下記本を謹呈頂きました。
まことにありがとうございます。

著者の経歴に興味があり、購入を予定していたので何かのご縁を感じます。

まだ、“まえがき”と“あとがき”くらいしか目を通してませんが、文章に勢いを感じた次第。
わたしの著書『高学歴ワーキングプア』にも触れてくださっており、ちょっと嬉し恥ずかし。

章立てをみると第七章に「彷徨える博士」とあります。

ああ、この方も“高学歴ワーキングプア”なのですね。。
しかし、意外にも相当に前向き。
研究業界に大きな助成金が配分されづらい時代のなかで、若手研究者らは必死で己の知とスキルを高めるべく、そして大きな社会貢献を目指してあらんかぎりの知恵をもって日々研鑽を積んでおられ頭の下がることです。

それにしても、光文社新書編集長の三宅氏は、活きのよい若手や中堅研究者に光を当て世に出るチャンスを与えるのが実にうまい。わたしも十年前にこの方と出会い、人生の向きが大きく変化したことを実感しています。
もし出会わなければ、どうなっていたことやら。。

このごろつくづく思うことは、評価をされる場に身を置くことの重要性でしょうか。
どんな才能もそれを適切に評価してもらえる場がなければ埋もれた石のままです。
だからこそ、「評価されるよう努力しろ」などと、世間ではよく叱咤されたりするわけですが、これは少しずれているような気もします。
「評価される」ことは、たまたまの巡り会いのなかでのご縁であることも多いからです。
計算ずくでそうした立場に身を置こうとしてもなかなかうまくいきません。

下記本の著者は、著書のなかで“評価されるよう”知恵を絞ったエピソードを紹介しています。
しかし、結局そうしたテクニック的なことはあまり関係なく、本人の地道に取り組んできたことが評価の決め手になり京大白眉研究者に採用されたようです。

ここからは、表面だけをうまく輝かせようとしてもそれこそそれは表面的に過ぎず、内面をどう磨き抜くかということこその重要性が教えられるわけです。

著者の「前野 ウルド 浩太郎」さんは、研究者として何がしたいのかを突き詰め己の使命感のようなものを軸にして、できることをただ必死で積み上げてきたようです。たとえ途中で(常勤の専任大学教員としての)道が断たれようとも、後悔などしない。ただ自分の研究を必死でやるだけ、という覚悟はなかなかもてないものです。その輝きが評価する側の網膜に刺さったのでしょう。

いま、こうした不屈の闘志をもった若手研究者が数多く出現しています。
一方で、中高年となったかつての高学歴ワーキングプア状態の研究者たちは静かに姿を消しつつあります。
せっかくの博士号がもったいない。ここは踏ん張りどころ。まだまだ枯れてはなりません。
ここ数年、四苦八苦しながらも道をつなげている若手研究者の姿や、辛くもアカデミア業界に職を得た生き残り組の中年研究者から、はたまた博士号を別の形で活かしている方々から、私は多くのことを学ばせていただきました。
高学歴ワーキングプアを生産してしまうようなアカデミアをめぐる社会構造は仕方ないにしても、心や生き方までもがその罠に陥ってしまうのは惜しいものです。ある意味、少し厚かましく生きる、そうした知の用い方と縁のつかみ方が閉塞感を破るきっかけとなるはずです。
『バッタを倒しにアフリカへ』は、そうした部分をユーモアを交えた勢いのある筆致で読者に提示しています。

自分自身のことで恐縮ですが、現在『高学歴ワーキングプア』シリーズの最新刊をだすべく執筆中です。
おそらくこのシリーズではこれが最後になるでしょうが、若手中堅研究者の励みになる書を目指しています。
よろしくご期待下さい。


バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
前野 ウルド 浩太郎
光文社



高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
水月昭道
光文社
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