Dream of Sangwoo

♫드림오브상우♫
クォン・サンウ-ssiに癒されて‥
Kwon Sang Woo Fighting!!

追)クォン・サンウ ハン・ガイン『マルチュク青春通り』~「残酷な時代を生きていった青春のために...」

2016-10-14 11:16:35 | 2004 マルチュク青春通り





※今daum見たら これ今日の韓国ニュースに出てたよ~(^^;

ニュースをupされてたんだね




真ん中の写真がこの写真に入れ替えられてた。。。





このような形の教育は暴力以上の悪質だ 教育でない教化をする学校.....






▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥ ▦ ▧ ▤ ▥







naverにマルチュクの事が詳しく書かれてたよ^^



当時の時代背景とか・・・


詳しく説明されてるので長いけど読んでみてね





 残酷な時代を生きていった青春のために<マルチュク青春通り>




[古くなったレビュー] <マルチュク青春通り>




検証にならない新世代スターを前面に出したユハ監督の次期作はどうだったのだろうか? 主演だけでなく助演もほとんどの新人を抜け出すことができなかった。 監督の意図であろうか? (c)サイダス



2004年当時デビュー3年がまだならない二つの新世代スターを前面に出した映画が封切りする。

映画<同い年の家庭教師>とドラマ<天国の階段>で最高の株価を上げていたクォン・サンウ、女子高時期KBS挑戦ゴールデンベル出演後一気にCFをとってドラマ主演を横取りしてスター隊列に上ったハン・ガインがそれらだった。

そこに90年代後半ファッションモデルでデビューした後演技者の道を着実に歩いて色々なドラマと映画で顔を見せたイ・ジョンジンが主演の中心を捉えた。

今の基準として見れば非常に破格的なキャスティングといえる。



助演の面々も似ていた。

それなりに専門分野が強いキム・イングォンを除いてはイ・ジョンヒョク、パク・ヒョジュンなど経歴はもちろん認知度でもほとんど新人と違うなかった。

今は忠武路(チュンムロ)大勢俳優のうち1人であるチョ・ジンウンはこの映画で大使一言を飛ばして派手にデビュー(?)した。

監督の意図だったのだろうか、製作費などの仕方ない選択であったか。

主演、助演関係なく派手が自慢のない現在の映画キャスティング水準と比較をしてそんなに感じるということかも知れないが、経歴を離れて人気や演技面でこの映画のように確実な認知度ないこれらが大部分である場合があったようなほどだ。

独立映画ならば分からないだろうか厳然な商業映画で話だ。






壊滅的な程度の演技が惜しい



見る人にとって困惑を感じさせる二つの主演俳優の演技は、時間が過ぎてまた見るので映画の楽しみを倍加させる。 だが、当時にはどれくらい大変だったのだろうか。 (c)サイダス





<結婚は狂気である>と久しぶりに忠武路(チュンムロ)に帰ってきてなかなか良い興行と批評に成功したユハ監督は次期作で学校、思い出、暴力のアンサンブル映画を企画する。

距離3部作の開始でもある<マルチュク青春通り>だ。

ユハ監督は学生時代経験を基にシナリオを使ったというが、'男'ならば誰でも夢見てみたらしいその時その時期をすっきりと見せる。

全南(チョンナム)、宝城(ポソン)で江南(カンナム)マルチュク通りに引っ越してきた模範生ヒョンス(クォン・サンウの方),テコンドー道場をするお父さんの暴圧的な教えのおかげで勉強もしばしばと駆け足やバスケットボールもしばしばする平凡だがさまざまな面で平均以上の学生だ。

そのおかげなのか学年全体を牛耳る戦い屋ウシク(イ・ジョンジンの方)の目について友人になる。



彼はオジラブが広いのかテコンドー精神からはじまった正義感が透徹したことか考えがないのか出なかったらと思うところに立ち上がってことを自ら招来したりする。

その渦中にチョンヌンに反するウンジュ(ハン・ガインの方)を助けようとしたが日でない仕事にまきこまれたりもする。

彼女に向かった愛はヒョンスだけでなくウシクにもあった。

結局交際するようになったのはウシクとウンジュ、小心なだけのヒョンスは周囲をぐるぐる回るばかりであるだけだ。

10年がふわりと去る作品で、新人を前に出したとしても、いくら見ても思わしくない演技は笑いだけかもし出すだけだ。

その中心にはヒョンスとウンジュ すなわちクォン・サンウとハン・ガインがいる。

ヒョンスは後半での戦い開始と終わりだけでトンが上がるだけ始終一貫力なくて憂鬱なトンをした音で維持して、ウンジュは初めから最後までやはり力なくて憂鬱なトンをした音で維持する。

ここで質問を投げざるをえない。

これは意図的演技か?

70年代後半を背景にしただけに声において当時の感じを生かそうとしたかも知れない。

当時映画を見ればとても演劇トンではないか。

そういうのを意図したことだろうか。

そうだと見るには他の人々の演技はとても違う。 極めて現代的だ。

この二つの主演俳優の演技、特に演技でとても重要な要素である発声がとんでもなく思わしくないことを知ることが出来る。

映画にはこの二つだけ登場する場面が結構あるが、変にその場面ではぎこちないことこの上ない。

目と耳を二ヶ所がない。

彼らも困惑しているのが感じられるほどだ。

監督はなぜそのような演技をその程度へ渡ったのだろうか。 疑問だ。






このような形の教育は暴力以上の悪質だ 教育でない教化をする学校. すべての学生が全く同じであることはないが、全く同じだと強要する学校. 今でも相変わらずだろうか? その時は真に残酷だった。 (c)サイダス




映画はヒョンスの成長ストーリーで読まれることができる。

平凡な学生が日進を全部ぶち壊して退学まで当てられる境遇になると話だ。

これがいったいなぜ成長かと疑問を持つに値する。

学校暴力を美化するのではないかとはね返すに値する。

だが、当時時代を見るならば、当時国家上を覗いて見るならば、彼らがどのように学生たちを統制したのか聞くならば、ヒョンスのそのような行動を成長と解釈できることに十分に同意できるはずだ。

時は1978年、パク・チョンヒの親衛クーデター以後の維新時代真中だ。

学生たちは登校して先導部に'忠誠'を叫んで、学校には学生教化を理由に軍人が常駐した。

学生たちに国家に対する忠誠を要求して、国家が、学校が望む人間になるように願った。 そうではない時には容赦ない暴力が飛んできた。

その暴力は物理的な暴力、精神的暴力、性的暴力、言葉の暴力、人権侵害、暴力などのすべての種類が網羅されていた。

むしろ単純無知な物理的な暴力が最も低い水位の暴力で思えるほどだった。

その年齢であれば誰もが一度やったウムジクした、やってみたいと思っ便利かもしれない行動を、学校では、想像を超越するほどの暴力で教化させようとだった。



切り替えていくのが当然であることと考えるかもしれない。

それを当然だと考えればヒョンスの成長ストーリーはこれ以上成長ではなくなる。

だが、そのような擦れ違うということは当然であることでなかった。

そのような暴力にあうのに当然すぼめて聞いてより一層国家が、学校が望む人になろうとするのが正常ではないだろうか。

多くの子供たちがそのような人間になっていった。

どんな人間になって行こうが彼らの誤りも彼らの自発的な選択でもなかったというのが重要だ。

反面ヒョンスは最小限自発的な選択をした。

反抗心と共に体力を育てていって反発した。

それでも彼が元に戻すことはできないことを犯したのでもなかった。

ただ戦いにまきこまれたし若干の争いをした。

そして成績が落ちた。 学校は彼を捉えようとしなかった。 ただ'悪質'と責め立てるだけだった。

彼が退学にあう大型事件を犯したのは、他の誰でもない学校の責任ではないのか。

最小限'君の未来のためには、そのようにしてはいけない'というジェスチャーは取るべきではないだろうか。

無条件'これ悪質だね。 ならないよ。 魂ちょっと出なければならない'と終わればそれが何の教育なのか。





残酷の時代を生きていった青春を慰める



一時台が暮れる1978~9年. 彼らが破ってきた残酷の時代も暮れるのか。 この映画はその時代を生きていったすべての青春を慰めてくれる。 だが、その傷は簡単にいえないようだ。 (c)サイダス





映画はブルース・リーで始めてブルース・リーのジャッキー・チェンで終わる。

何の話かすれば、映画の開始がブルース・リー映画が好きで陥るように見るヒョンスの幼い時期であったし、映画の終わりが映画館にブルース・リー映画とジャッキー・チェン映画が同時にかかった時ヒョンスのブルース・リー擁護と真似、そして友達ハンバーガーのジャッキー・チェン擁護と真似が対決する場面だった。

ジャッキー・チェンが本格的に名前を知らせたのが映画<酔拳>であったのに1978年に出てきて我が国には1979年に入ってきた。

<マルチュク青春通り>の背景になる1978~9年と正確に一致するが、その時までもまだブルース・リーの人気がはるかに優位にあった。

ところがまもなくジャッキー・チェンの全盛時代が開かれるところ、一時台が暮れて新しい時代が浮び上がるという言葉だ。


パク・チョンヒ維新時代も1979年に悲劇的に終末を告げるのと軌を一つにする。

また、それはまもなくヒョンスと友達の'マルチュク青春通り'もはじめて終わったとのことがでないか。

一時台が暮れて新しい時代が開かれるのはほっとする一方名残惜しくて悲しくて興奮して期待されることだ。

だがどうであることはそうでどうであることはそうではない縁だ。

ブルース・リーの時代が暮れてジャッキー・チェンの時代がくるのはそうするでしょうが、彼らの残酷の時代が行くのは少しは違う次元だ。

一生またこない、愛と友情と青春の学生時代を自分の手で消すほかはなかった彼らの裂けた心を補償する人がどこにいるだろうか。

彼らを理解さえしないこれらが大部分ではないか。

映画はそのような時代を生きていったすべての青春のためにそれなりの方式で慰めることだ。



記事元 naver



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1 コメント

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nさんへ^^ (chami)
2016-10-14 14:38:01
nさん~クォンにちは^^

私も~~~~~
頭が・・・

そそ・・・
当時はそんなにだったんですよね(^^;
監督さんすごい

今日も気を付けてお出かけくださいね^^
日が短いから大変ですね・・

ありがとうごじゃいます~^^
nさんもファイティン

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