グローバル・スタンダードの最高峰資格CFAとCFPを持つ完全独立のFP・資産運用アドバイザー尾藤峰男の書評ブログ
びとうファイナンシャルサービスはお客様の利益のみに目をむけた金融機関から完全独立のFP・資産運用アドバイザーです。


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お知らせ情報
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場所:TKP東京駅丸の内会議室カンファレンス5(日比谷帝劇ビル地下1階)
http://tkpteigeki.net/access/index.shtml
(最寄り駅:有楽町・日比谷駅)


申し込みは、下記メールまたは電話にて「1月28日セミナー参加希望」
として、お名前とご連絡先をお知らせください。
E-メール: info@bfsc.jp
Tel: 03-6721-8386


講師:尾藤 峰男 びとうファイナンシャルサービス代表取締役

講師プロフィール:
米国CFA協会認定証券アナリスト、CFPR、日本証券アナリスト協会検定会員、
1級FP技能士、金融機関から完全に独立したFP・資産運用アドバイザーとして、
個人の金融資産や退職金の運用助言・ライフプランニングサービスを提供する。
2000年当社設立。グローバルな投資理論や外国株投資・国際分散投資への造詣
が深い。日本経済新聞、週刊東洋経済、日経マネーなどへのコメント多数。日経
CNBCにもたびたび出演。著書に「いまこそ始めよう 外国株投資入門」日本経済
新聞出版社。投資助言・代理業として関東財務局登録。


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30年以上の経験と資産運用の頂点の資格を持つ、FP・資産運用アドバイザー
尾藤 峰男だからこそ語ることのできる「セカンドライフを豊かに過ごすため
の資産運用法」をお話します。

日本の将来が不透明で、先行き閉塞感がつのる中、老後や家族の将来はどうな
るか、一人で考えあぐねていても、解決の糸口はなかなか見つかりません。

証券会社や銀行に相談しても、本当に役に立つ情報は提供してくれません。自
分たちが売りたい商品のための情報しか話さないのです。

一度きりしかない人生を幸せに生きるためには、資産運用で失敗はできません。
金融機関から完全独立で、お客様の利益を最優先におくびとうファイナンシャ
ルサービスだからこそお話できることがあります。土曜の午後のひと時を、「
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  わからない。

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資産運用は、やり方によって大きな差が出ます。金融機関から完全独立のFP・資産運用アドバイザーが価値あるアドバイスを提供する「無料個別相談」をお気軽にご利用ください。

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『孤独と人生』ショーペンハウアー著(白水社)を読んで−No.2


ショーペンハウアーが力をこめて説く、人生を生きる知恵の数々がこの書、第5章に51個に渡って書かれている。これらはまさに珠玉である。きっと得られるものが見つかるはずだ。これがわかりやすい言葉で書かれているので、なおさら心に響くのである。


第5章  さまざまな教訓と原則について

私は、一般にわれわれ自身に対するわれわれの態度、他人に対するわれわれの態度、それに最後に、世界の流れと運命に対するわれわれの態度にそれぞれ関連するものを三つにわけて取り上げてみる。


A  一般的なこと

・ すべての生活の知恵の中で最高の法則は、アリストテレスが「二コマコス倫理学」で述べている次の言葉にある。「理性的なものは満足ではなく、苦痛のないことを追求する。」「理性的なものは満足ではなく苦痛のないことを狙う。」この言葉の正しさは、すべての満足や幸福は消極的な性格を持つ半面、苦痛は積極的な性格を持っているという事情によっている。

このため、われわれの生活のなかでの関心事が、われわれの意図に反する一つの点を除いて、すべて思い通りに順調にいっていたとしても、そして意図に反する問題の一点がたとい大したものではなかったとしても、人はどうしてもつねにその一点が気にかかってくる。

・ われわれの目標は、生の楽しみや快適さにではなく、無数の害悪からできるだけ逃れることである。「幸福に暮らす」ということは、とりもなおさず「より少ない不幸」によって何とか暮らせるというふうに理解すべきである。もっとも幸運に恵まれたものは、精神的なもの、肉体的なものを問わず、あまり大きな苦痛なくして生を過ごすものであって、もっとも活発な喜びあるいは最大の楽しみに恵まれたものではない。後者のような生き方を生涯の幸福の尺度にしようとするものは、誤った測定器を選んだことになる。なぜなら楽しみは消極的なものにとどまるからである。楽しみが人を楽しますというのは、嫉妬心がかかえている迷妄であり、こうした嫉妬心を持った人は罰を受ける。これに対し、苦痛は積極的に感じられる。したがってこれがないことが生の幸福の尺度である。苦痛のない状態に退屈も現れないということになれば、地上の幸福の大半が達せられる。

・ 若者の生きがいは多少は頭を使いながら、積極的楽しみからなるはずの積極的な幸福を追い求めることである。その際さらされる危険によって生命を賭することにもなりかねない。それというのも、こうしたいわゆる積極的幸福の追求は、全く実在しない獣を追うことになり、普通は現実的かつ積極的な不幸に直面することになるからである。

・ これに反し、ここで観察した規則にしたがい、生活の目標を苦しみの回避、つまり欠乏、病気、それに各種の災害からの逃避におくならば、その目標は現実のものとなる。
「災いを避けようとするものは、いつもおのれが欲することをわきまえている。おのれが持っている物よりよい物を欲するものは白内障のめくらである」−ゲーテ

・ われわれとしては幸せや楽しみの追求をやめ、むしろ苦痛、苦悩の入り込む入り口をできるだけふさぐように配慮すべきである。かくてわれわれは、この世が提供する最善のものは苦痛のない落ち着いた我慢できる暮らしであることを認識し、そうした暮らしをより安全に確保するために、このことだけにわれわれの要求を制限するようになる。なぜなら、きわめて不幸にならないためのもっとも確実な手段は、あまり幸福になるよう求めないことだからである。

・ 本当に喜びが見出される時、喜びはふつう招かれずに、そしてなんらの通告もなく、何の気取りもなくやってくる。

・ この世ですばらしいとされているもののほとんどすべては、劇場の装飾のように単なる仮象であり、内容に欠ける存在である。


B  われわれ自身に対するわれわれの態度について

・ 建築工事の手助けをしながらも全体の計画を知らなかったり、いつも念頭に置いてはいない労働者と同じように、人間は、毎日毎時間を送りながら、生の全体、おのれの生のあり方については何も考えていない。ある人が、格調高く、意義深い存在であり、物事を行うに当たって計画的であり、しかも個性的であればあるほど、その人にとって縮小された形での生の基調、つまり生の計画をしばしば検討してみることがそれだけますます必要でしかも有益なことになる。もちろんその際あらかじめ必要なことは、その人が「汝自身を知れ」ということを、些細なことであれはじめに実施していること、おのれがもともと他のものすべてに先がけて、主として望んでいるものを知っていること、したがっておのれの幸福にとって本質的なものは何かということをわきまえていることである。さらに前提とされることは、その人が第一の本質的なるものにつづいて、第二、第三のものとして何が占めるかを知っていること、さらに、世界に対するおのれの職業、役割、関係のあり方を認識していることである。その人の生の計画をたしかめることによって、その人は若返った立場から、他の人以上に強力になり、正々堂々と姿勢を正し、行動への意欲に駆られ、邪道に踏み込むこともないであろう。

・ 生活の知恵の重要な点は、われわれがそのいずれもが他のものをそこなわないようにするため、われわれがその注意力をどのくらい現在に、またどのくらい将来に向けるかという正しい兼ね合いを打ち立てることである。

・ 将来のためのもろもろの計画や配慮にいつも専念して取り組んだり、過去へのあこがれに身を焦がしたりせず、われわれは現在だけが現実で、確実なものであることを銘記すべきである。さらに忘れてはならないのは、未来はほとんどの場合、予測していたのとは別の形で現れること、それに過去もわれわれが考えていたものとは違っていること、それに将来過去とも、われわれにそう思えるほどには全体として確実でないことである。

・ 現在だけが真に現実的なものである。したがって、われわれはつねに現在を明朗に受け入れてしかるべきである。

・ 過去については、こう見るべきである。
「われわれがどんなにそのことで苦しみ
心の中の不満を静めることがむずかしくとも
われわれはそれがそのまま起こるようにしておく」

・ 将来のことについては、
「このことはすべて神々の膝の上にある。」

・ 現在については、
「毎日毎日を特別の生命と見る」−セネカ

・ われわれは、今日という日は一度やってくるだけで二度とは来ないことをつねに心にとめておくべきである。

・ 完全に思慮深く生活し、おのれの景観からそれがもたらすすべての教訓を引き出すためには、まずしばしば反省し、さらに自分が体験したこと、行ったこと、経験したこと、さらにその際感じたことを繰り返し繰り返し想起し、それとともに、じぶんがかつて下した判断と結末を比較することが必要である。これは一人の聴講者のため経験が講師として誰にでも反復して行ってくれる私的な講義である。
「夜就寝する前に、昼間行ったことを十分に吟味せよ」−ピタゴラス

・ 意義深い時点の記憶や、これについての文書は丹念に保存しておくべきである。この点、日記は大変役に立つ。

・ おのれ自身に満足し、おのれ自身がすべてのものの中におけるすべてであること、そして「私の持ち物のすべてを、私は身近にかかえている」といえることは、たしかにわれわれの幸福にとってもっとも必要とされる特性である。したがって、アリストテレスの「幸福は満足したものにやってくる」という言葉は何度くり返しても多すぎることはない。それは一つには、人は自分以外のほかのだれにも期待することが許されないということが相当はっきりしているし、また一つには、他人と交渉することによって生じる不利益、危険、不愉快は無数にあり、しかもこれを避けて通るわけにはゆかないからである。

・ 健康についでこの世の最高の宝である真の心の安らぎと、落ち着いた気分は、ただ孤独の中だけに見出されるものである。

・ ただおのれ自身だけに頼り、おのれ自身がすべてのものの中のすべてでありうるものが、最もすぐれているものである。キケロも次のようにいっている。「まったくおのれ自身によって左右され、おのれ自身の中だけですべてをもつものが、もっとも幸福でないということはありえない。」

・ 知的にすぐれた人にとって孤独は二つの面で利益をもたらしてくれる。第一はおのれ自身でありうる利益、第二は他人といっしょにいなくてよい利益である。

・ 苦しみのほとんどすべては社交から生じ、健康についでわれわれの幸福の本質的な要素となる精神の落ち着きは、どんな種類のものであれ社交によって損なわれ、著しく深い孤独がないと得られない。

・ この世で悪者は大勢いるが最悪なものは社会である。
「この世は語るに値しない人間でいっぱいである。」−ヴォルテール

・ 嫉妬心は人間にとって自然なものである。それでも嫉妬心は悪徳であるとともに不幸である。したがってわれわれは、嫉妬心をわれわれの幸福の敵であると見、悪魔としてこれを窒息させるべく努めるべきである。
「人はおのれの持っているものについて他と比較せずに喜ぶべきである。自分より幸福なものによって苦しめられる者はけっして幸福にはなりえない。おまえがおのれに先んじているものが大勢いることを見たならば、おまえに遅れをとっているものもたくさんいることを考えよ。」−セネカ

・ 妬まれることについては、どんな憎しみをとっても嫉妬心ほど和解しがたいものはないということをよく考えておかねばならぬ。したがってわれわれは、妬まれないようにたえず熱心に努めるべきである。

・ 夜、気持ちがたるんで、分別や判断力が主観的なくらやみに包まれ、知性も疲れ果てて途方にくれ、事物に根本的に取り組むことができなくなるとき、われわれの思考の対象も、それがとくにわれわれの個人のからみ合いに関係してくる場合には、すぐに危険な表情を示し、いうにいわれない恐ろしい姿を繰り広げることになる。とくにそのありさまがいちじるしいのは、夜寝台に入った時だ。こうなると精神は全く弛緩し、判断力もおのれに課せられた仕事に取り組むことができず、それでいて空想ばかりいやに活発になってくる。それは夜がありとあらゆるものに黒い塗料を塗りたくるからだ。したがって、眠りに入る前のあるいは深夜目覚めた時のわれわれの思考は、ちょうど夢の場合と同じように、ほとんどといってよいほど事物を恐ろしく曲げたり、ゆがめたりして扱っている。とりわけわれわれ個人的な事柄については、ふつうはきわめて陰うつなばかりか、驚くべき姿を示すようになる。

・ なんといっても朝は一般に例外なく、精神的ならびに肉体的な仕事すべてに適した時である。なぜなら朝はすべてが明朗、新鮮、容易だからである。朝のうちはわれわれは、おのれを力強く感じ、われわれの能力すべてが完全に出そろった状態になる。寝坊して朝の時間を縮めるべきではないし、あるいは無駄な仕事やつまらぬ会話で朝をいたずらに過ごすべきではない。われわれは、朝を生の本質と見て、これを神聖に扱わなくてはならない。

・ これに反し夕方は、一日のうちの老年期である。われわれは夕方になると疲れ、口が軽くなり、軽はずみになる。−毎日はそれぞれ小さな生命である。−目覚め、起床することは、いずれも小型の誕生であり、新鮮な朝は小型の青年期、そして寝台に上り眠りに入ることは小型の死である。

・ よい気分に注意せよ。なぜなら、それはめったに来ないからだ。−ゲーテ

・ 空想抑制のために奨励されることの一つに次のようなことがある。すなわち、かつて経験させられた不正、損害、損失、侮辱、冷遇、それに無礼などを再び思い浮かべたり、その細かい点を脳裏に描いたりすることをおのれの空想力に許さないことだ。


C  他人に対するわれわれの態度について

・ 人はだれでも自分の話し相手になったものと同じ水準に身を落とす。

・ 人間は甘やかされると行儀が悪くなる。友人に対して尊大な、あるいは粗略な態度をとったからといって、すぐにその友人を失うことはないが、友人に対してあまりに親しそうな、相手の言いなりになるような態度を示すと、その友人は尊大で耐え難いものになり、これによって絶交ということにもなってくる。

・ 時に応じて、自分はなにもその相手がいなくても十分やっていけることを相手に感じさせるようにすることが望ましい。そうすれば友情は確立する。

・ 大多数の人にあっては、ときには相手に対していくばくかの軽蔑をあらわにすることもけっして具合の悪いことではない。そうすれば相手はわれわれの友情にいっそう大きな価値を置くようになるであろう。「(友人を)尊敬しないものは(友人に)尊敬される。」

・ 相手がほんとうにわれわれにとって価値がある場合には、われわれは相手に対する軽蔑の気持ちを、それがまるで犯罪ででもあるようにひた隠しにしなければならない。

・ 新しく知り合いになった人については、あまりにも好感を抱かないようくれぐれも注意すべきである。さもないとほとんどの場合、恥ずかしい思いをするか、あるいは大きな被害を受けたあげく幻滅を味わわなくてはならなくなる。−この際次のことをよくわきまえておく必要がある。つまり、あまり熱心に取り組むこともないような些細な問題の中でこそ、人びとはおのれの性格をあらわにするということだ。さらに、まったく取るに足らないつまらない行為やちょっとした態度から、他人のことなど少しも気にかけようとしない法外なほどのその人の利己主義を、適切に観察することができる。こうした利己主義は、その人のより大きな行動の時にも、たしかにひた隠しにされてはいるものの、けっして否定できるものではないことがわかる。

・ ある人が本当の友人かどうかを確かめるためには、自分が緊急非常の援助や犠牲を求めている時と並んで、自分が今しがた遭遇した不幸についてその人に報告する時が、もっともよい機会である。その時には、相手の表情は、あるいは心からなる混じりけのない真の悲しみを表すか、それとも単に平然たる落ち着き、それともちょっとした変化を見せるだけで、次のラ・ロシュフローの言葉の正しさを確証するにとどまるかのいずれかである。「われわれの最良の友人の不幸に直面すると、われわれはつねに不愉快でない何かを感じる。」

・ 人は誰の意見とも論争してはならない。さもないと、人は相手が信じているすべての不合理さを相手方に納得させるのにはメトシェラ(旧約聖書ノアの父、969歳まで生きたという)の齢に達せねばならなくなり、しかもそれでも十分ではないということを考えるべきである。

・ 相手と話し合う時は、たとい好意から出たものでも相手方を矯正することのような指摘を差し控えるべきである。それというのも、人びとを怒らせるのはたやすいが、人びとを強化することは、たといできないことではないにしてもむずかしいからである。

・ 自分の判断を信じてもらいたいものは、それを冷静になんらの情熱をもこめないで語ることだ。なぜならすべての激しさは意志から発生するからだ。したがって人びとは、判断の元は意志であって、その本性からして冷静である認識ではないと考えるだろう。

・ 「沈黙の木には果実が実る。つまり平和が。」

・ 怒りや憎しみを言葉や態度にあらわにすることは、不必要であり、危険であり、愚かであり、笑うべきであり、しかも下品である。したがって怒りや憎しみは、行為を通じて以外には他人に示してはならない。怒りや憎しみを言葉や態度で現わすことを完全に避ければ、それだけこれを行為で示すことがより完全にできるようになる。毒のあるものは冷血動物だけである。

・ アクセントをおかないで話すことという世知に長けた人々の古い規則は、自分が話したことの理解を相手の分別にゆだねることを狙っている。分別はのろいけれども、それが働きを終えないうちに事が片付いてしまう。多くの人びとに対しても、人はみやびやかな物腰、親しそうな調子で、本当は失礼な言葉でもなんら直接の危険を冒すことなく話すことができる。

・ どんな出来事が起こっても、過度に喜んだり過度に悲しんだりしてはならない。それは一つには、どんなできごとも一瞬のうちに他の姿に変えてしまうほど事物は変化しやすいものであるからである。また一つには、われわれにとって利益があるものあるいは不利益なものについてのわれわれの判断は誤りやすいからである。
「あまりにも多くの喜びと悲しみの発作を私は痛感した。そのため私は、二つのうちどちらか一つが起こる機会にあっても、もはや女のようにすぐには感動しない。」
−シェイクスピア

・ われわれにふりかかる不幸に平然と耐え抜くには、次のような真理を確信するほどたしかなことはない。それは、「生起するものは、最大のものから最小のものにいたるまで、すべて必然的に生起する。」ということだ。なぜなら避けることのできない必然的なものの中では、人間はじきに身のおきどころを見つけることができるし、私のかかげた真理を認識していさえすれば、人間は全くの偶然によってもたらされたものですら、きわめて知れ渡っている法則どおりに、完全な前提のもとに生起したものと同様にすべて必然的なものとみなすようになるからだ。

・ それこそ毎時間ごとにわれわれをまどわすささやかな災厄については、それはわれわれを鍛えるものであり、そして大きな災いに耐えるだけの力を幸福なときにも弛緩することのないようにするためのものであるというように見ることができる。日々のつまらない災い、人間と付き合っているうちに生じるいさかい、物の数にもはいらないような争い、他人のあつかましさ、陰口などに対しては、人はおのれのからだを角のように堅いものにしたジークフリードにならなくてはならない。すなわち、この種のものを気にかけたり、まして心をわずらわし、これについて思い悩んだりしてはならず、むしろこの種のものすべてにとらわれることなく、道端にある石のように思い切りよく投げ飛ばし、けっして胸の中におさめて繰り返し頭を悩ましたりすることがあってはならない。

・ 賢さとならんで、勇気はわれわれの幸福にとってきわめて本質的な特性である。「さいころが鉄のように冷酷な目を出す」この世の中で必要なのは、運命にも人間にも、あえて耐えることができるよう武装された鉄のような感覚である。なぜならすべての生は戦いであり、あらゆる歩みはすぐにいさかいの元になるからだ。ヴォルテールは正しくも次のようにいっている。「人は剣をかざすことによってだけこの世に耐えていくことができる。そして剣を手に死んでいくのだ。」したがって雲が群がってくるだけで、あるいは雲が地平線に姿を現わしただけで、踏み迷い嘆き悲しむものは臆病者である。むしろわれわれのモットーはこうだ。
 災いを避けることなく、勇敢に災いに立ち向かえ。


第六章  年齢の違いについて

・ われわれのすべての認識の基盤ならびにその真の内容は、直感的な世界の把握の中に存在する。だがこれはただわれわれ自身によって得られるのであって、何らかの方法で、外からもたらされるものではない。したがってわれわれ自身の道徳的な価値も、はたまた知的な価値も、外からわれわれの中に来るのではなく、われわれ自身の本質の深奥から湧出するものである。


『孤独と人生』ショーペンハウアー著(白水社)


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