想い・思い・おもい ver.2

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第460回 「見守り」という援助~twitterより PART3~

2010-05-25 01:05:57 | twitterより
ブログの方拝見しました。介護保険における「見守り」と言う話。不思議な感じで読ませていただきました。どこが不思議か?自分でも良くわからないので、今のところは「見極め」と「見守り」と言う言葉が浮かんだとだけつぶやいておきますね。

dream:iwatyanさんが支援されている方々の場合、例えばご本人が調理をしたり入浴したりするのに、危なくないように、すぐ横についていたり、必要により一緒に行う、ということはあるのでしょうか?

その答えにはまず、「人それぞれ」と言っておきます。例えば調理について、身体的には何ら障がいからと教えると言う事はまずしません。でも、教えて欲しい、自分でやりたいならその事に付き合いますね。

本人がやる気になるようなアプローチはあると思いますが、やらないからと言ってダメとは思いません。自分でできることが大事なのではなく、自分の想いを実現する事が大事だと思うからです。なので、人に頼む事の必要性を結構伝えるよう、当事者にあの手この手を使ってます。

なぜそう思うのか?たぶん、「やりたい/やりたくない」「好き/嫌い」と言う本人の想い抜きに、知的当事者は見た目でもって周囲から常にできるようになることを求め続けられているからです。

「危険」なことについても、危険を冒せばそのリスクを負うのは本人自身と言う視点に立って止める事はあります。でも、一般常識から「危険」と言う立ち方をすると、本人には伝わらないし、常に私たちは本人を抑制する立場になってしまうように思います。

dream:「自分の想いを実現させることが大事」という支援の根っこは同じでも、利用者さんの状況、支援者の立場などの諸々により、見守りも様々と改めて思うと共に、では「共通言語」を持てるのかと、連携の難しさへも想いは飛んでいきます

近況を伺うと「共通言語」の必要性を感じてる事を感じます。その辺りでは、私の方がdream3443さんの後追いなので、先輩の今後の展開に興味津々です!!


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4 コメント

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追加 (bonn1979)
2010-05-25 05:26:58
拙ブログ「資料編」
にPART3
追加しました。

よく読まないと
わからなくなりました。

でも
このような蓄積は
かならず残ると思います。
私もよくわかってないので・・・ (iwatyan1963)
2010-05-25 08:21:04
再びにブログ掲載ありがとうございます。
私自身もどう言葉化すれば良いのか?
なんとなくわかっているようでわかっていない事だらけなので、一緒に考えさせてもらえればと思います。

誤字発見
身体的には何ら障がいからと⇒身体的には何ら障がいがないからと

高齢者の場合は、数々の経験を持って今を生きている方々。私にとっては大先輩。
知的当事者の場合は、数々の経験(あたりまえの経験)を奪われてきた人たち。

「人として同じ」と言うのは簡単ですが、障がいの故に奪われている(私たちが奪っている)者が何なのか?
その中で多数の価値観を一方的に押し付けたり解釈されたりされている障がい当事者たちとどう向きあっていくか?

その辺りが、「見守り」と言う言葉で何か表現できるような気がします。
まだまだ、私も教えてもらっています (どりーむ)
2010-05-26 00:03:18
bonn1979先生、再び、コメント&リングをありがとうございます。

先生は、知的障害者の介護の現場をご覧になったことはありますか?
私も、彼らのことはほとんど知らないといっていいのですが、
例えば、先生や私が「鉛筆」と言えば、同じものが想像できます。
しかし、知的障害者のAさんは、
「鉛筆」というものを「■☆♭∀●」と表現し、
Bさんは「【★ξ§※▲」と表現します。

そして、彼らの理解の仕方を私たちがわからないからと、
彼らから、当たり前の生活を奪ってきてしまっているのが、
今なのだと思います。
修行は続きますね (どりーむ)
2010-05-26 00:07:45
iwatyan様、コメントをありがとうございます。

私の先生が、
「考えることと、話すこと、書くことは、
それぞれ、違う能力なのです」と
教えて下さっています。

どれも、大事なこと。
blog、twitterで、そしてリアルで、
「言語化」しあい、
もまれあいましょう!