「ごんたくれ」 西條奈加 光文社 2015.4.20
池大雅、円山応挙、伊藤若冲……
京画壇華やかなりし頃を舞台に、
天才絵師の矜持と苦悩、数奇な生きざまを描く。
強情、偏屈、へそまがり。引くことを知らず、会えば喧嘩ばかりの二人の絵師、
深山箏白と吉村胡雪。
それでも互いの力量には一目置くところもあって……
箏白は曽我蕭白(1730-1781)、胡雪は長沢炉雪(1754-1799)がモデルか。
両者とも、どんな絵だったか記憶になくて、調べた。
なるほど、奇才か。
応挙に師事し、師と自らの絵の距離感に迷い悩む胡雪。
開き直って奔放な箏白。
胡雪を若冲のところに誘って、箏白は言う。
(この先生は)人とはまるで異なったものの見方ができる。
伊藤若冲の面白さは、そこにあるんや。
ところが当の先生は、いたって大真面目でな。笑わせるつもりらなぞ、
毛ほどもあらへん。その食い違いが、いっそうおかしみを増すんや。
おまえの師匠はな、他人の目に映るとおりに物を見る。せやさかい、
世間から、人の分別いうもんから、どないしても逃れられんのや。
対してここの先生は、己の目に映るとおりに物を見る。
胡雪は、始めて見た若冲の絵に圧倒される。
画面からいっぱいにほとばしるものは、強い生命力だった。
応挙は言う。
「いつもいつも迷うている。これまで数多描いてきたが、
迷いなく仕上げたものなぞ一枚もない。しかしな、意に染まぬからといって、
注文をお断りしようとか、ましてや絵師をやめたいなどと思ったことは、
一度もない」
「迷いとは、贅沢なものだ。私はそう肝に銘じている。えらぶ気ままが
あるからこそ、迷う。裏を返せば、それは幸せなことだ」
「私はな、彦九郎、絵の大家なぞではなく、常に一介の職人でありたいのだ」
豊蔵(箏白)は思う。
「わしらはとどのつまり、人が好きで好きでたまらんのや」
奇異だ、醜悪だと罵られながら、箏白も胡雪も、ただ人だけを描き続けた。
化け物じみた姿であったり、妙に人くさい動物であったり、
形はさまざまながら、それらはすべて偽らざる人の姿だ。
「わしもおまえも、ほんまにごんたくれや」
人を乞うて、人に容れられず、それでも人を乞う。
愛おしく、そして悲しかった。
気負いやしがらみを吹っ切って、すべてから解き放たれた豊蔵が、
潔く清々しい。
それにしても……
絵を探して観ながらで、
随分、手間取った(笑)