「「秋田藩」研究ノート」 金森正也
無明舎出版 2017.5.10
まずは、あとがきから長めに引用。
歴史研究は、時代と人間の切り結び方の特質を、史料という客観的な証拠をそろえて明らかにしていく行為である。私自身は、何がテーマかと聞かれれば藩制史と答えるが、それは、藩が近世国家を構成する重要な要素であるからであり、最終的な関心は国家に向けられている。しかし、その制度が主要なのではなく、実はそに暮らす地域の人々の、その時代ごとに克服すべき課題を明らかにしたいのである。だから、私の歴史研究の基底では、国家と「私たち」は基本的に対峙する構図のなかにある。(略)
近年、歴史学も大きく変わりつつある。国家の規定にしても、民意や「世論」などの概念を用いて「支配のための暴力装置」という国家観を「相対化」するというような研究も現れている。(略)
できるならば「美しい国」が、あらたな戦前でないことを、次世代のために願うばかりである。
さて、
これは、出版社HPに掲載したものをまとめたもの、とのこと。
専門的な要素はあるものの、史料を紐解いて、
わかりやすく語られている。
著者の思惑が綴られている箇所も興味深かった。
「藩」という言葉は、研究者が便宜的に用いている用語で、江戸時代、自治体を示すような意味での「藩」という言葉はない。
とある。
明治元年、新政府は旧幕府領を府・県とし、もとの将軍家を含む大名領を藩と公称するとこにした。秋田は久保田藩となるが、廃藩置県直前の明治4年1月に秋田藩と変更。同年7月の廃藩置県により秋田県となるので、制度上秋田藩という公称が存在したのは数ヵ月。
ただし、学問的に「藩」という言葉が用いられることはあったし、幕末になると浪士たちが自ら属する大名家のことを○○藩と言うようになった。
と、最初にあった。
この事実を、以前は知らなかったわけで、
またも、なるほど!と再認識。
著者は、
地域史の課題は、それぞれの歴史段階において、その地域の人びとが克服しなければならないものとして直面した課題を明らかにしながら、彼らがその問題とどのように対峙していったかを明らかにすることである、
と考える。
その意味では、政治制度・経済にとどまらず、文化や思想や身分の問題が関連しながら存在する藩という空間は、恰好な研究の素材、
とーー。
あとがきにあるように、
過去の研究を鵜のみにせず、
史料にできるだけ客観的に向き合う姿勢が
伝わってきた。
この手の本を読むのは、もはや荷が重くて
はじめのうちは腰が退けたけど、
思っていたより興味深く読めて良かった♪