超級龍熱

香港功夫映画と共に

伝説の女ドラゴン、大島由加里インタビュー② 『92末路狂花』から『女ドラゴンと怒りの未亡人軍団』へ!

2013-05-01 08:27:44 | その他
ー続いて、ボーイッシュな黄泉役で出演なさった『力王/RIKI-OH』(91)ですが、力王役の樊少皇は如何でしたか?

大島 ああ、樊梅生の息子さんですよね?樊少皇は物凄く真面目な男の子って感じでした。まだ新人さんだったし現場では演技でもアクションでも本当に真面目に取り組む人でした。あと樊少皇が当時日本語に興味があったので、私が彼に日本語を教えたりとか(笑)。

ー樊少皇はあの当時から身体を鍛えていてムキムキでしたよね。

大島 そうでしたね。『力王/RIKI-OH』は監督の藍乃才さんが私がたまたま嘉禾公司に他の用件で行った時に「大島、お前その髪の毛切る気ないか?」って(笑)。私が「ないです!ないです!」って言っても「(黄泉に)似てるんだよなぁ!」って。で、その後すぐに蔡欄さんから「監督が貴女にどうしても男役やってくれって言ってるから、貴女やりなさい!」って。それで美容室連れて行かれて髪の毛切ったんですよ。それから「これ台本代わりに読んでおいて!」ってポン!と渡されたのが『力王/RIKI-OH』の漫画(笑)。

ーや、やっぱり当時の香港映画に脚本は無かったんですね(苦笑)。

大島 無かったですねー!、はい(笑)。

ーあと大島さんが仇雲波(当時の芸名は威龍)やシンシア・ラスロックと共演した『縦横天下』(93)は如何ですか。

大島 はいはい、羅芙洛さん。羅芙洛さんは『上海エクスプレス』でも一緒でしたし、現場でも羅芙洛さんに対する周囲の扱いが別格だったので、ああ、この世界では彼女が女性ではトップなんだなぁ!って感じでした。でも『縦横天下』では私と羅芙洛さんが一緒のシーンって無かったんじゃなかったかな?

ーはい、この映画は欧米版と香港版とでは編集が違っていたと思います。でも良くそこまで細かく覚えてらっしゃいますねー!

大島 確か仇雲波と一緒に撮ったのは覚えてるんですよ。あと羅芙洛さんがシンシアでしょ?で、その後にフィリピン側が私を同じように売り出したくてシンシア・ラスターと。で、そのまた後にフィリピンに来た楊麗青がシンシア・カーンとなっていくんですよ。

ーなるほどー!フィリピンでシンシアという芸名にはそういうプロセスがあったんですね!

大島 ただムーンちゃんだけは前からムーン・リーという芸名があったのでそのままだったんですけど。私たちは英語名が無かったのでシンシア・ラスロックからシンシアを取って、プロデューサーがラスロックがなまってラスターで、さらにシンシア(大島)を輝かせよう!との意味も込めてシンシア・ラスターになったんです。私自身は自分のフィリピンでの芸名がそんなプロセスで決まったなんて知らなかったんですけど。

ーいやシンシアの芸名にはそんな歴史があったんですねー!あと同じ白人女武打星だと蘇菲亞ことソフィア・クロフォードとも『黒星風雲』(92)で共演しています。

大島 ソフィアは西脇美智子さんもそうでしたけど凄い真面目で努力家でしたね。もう現場でも暇さえあったらキックとかアクションのトレーニングをしていました。ソフィアには黄正利さんや劉家輝さんが蹴りの角度とか教えてあげてましたし。あの頃は私の事務所でソフィアともう1人の日本人の女の子を預かってたんですよ。

ーいま大島さんが仰った西脇美智子さん、李賽鳳、楊麗青、そして大島さんの4人が勢揃いする『霸海紅英』(93)もありました。

大島 あ~全員が銃を持ってバイクに跨って並んでる写真を撮りましたね(笑)。西脇さんとは何本かご一緒しましたし、ムーンちゃんとは現場では何時も一緒に座ってたり仲良くしてましたね。シンシア・カーンとはそんなに沢山共演していなかったと思うんですけど、彼女は台湾出身の人でいまヨガとかやってるんじゃなかったかな。

ーで、いよいよ大島さんが善良な母親役で、李賽鳳が狂気の殺人鬼役に挑んだ異色作品『92末路狂花』(92)についてお訊きします。

大島 うんうん!そういう映画ありましたね。あの映画は社長の呉明才が「今回は大島と李賽鳳の2人に何時もとは逆のキャラクターをやらせてみたい!」って言い出して。ただやっぱり最初はムーンちゃんも自分の役を嫌がってて。私も「悪役のムーンちゃんとは闘いたくない!」って思ったし。
でも現場で機嫌が悪いムーンちゃんを監督の建國が「この役をやって評価されるのは君なんだ!」って何度も説得してました。でも悪役やっててもムーンちゃんは可愛かったけど(笑)。

ー私はどうしてもアクション重視で脚本が弱くなりがちな“女特警系列”作品の中でも、この『92末路狂花』は実に斬新なキャラクター設定&物語の作品だと思うんですが。

大島 なるほどぉ!あとあの頃の女性アクション映画ってマネージャー同士でも写真撮りで「何でウチの子が端なんだ?」って並び方で揉めたりとか色々ありましたね。

ーあと楊紫瓊主演『プロジェクトS』(93)の冒頭にも大島さんがカメオ出演していて、楊紫瓊と闘う際の「てめえ!?」の台詞が印象的でした。

大島 アッハハ!あの時は同録(同時録音)だったんで、あれは私の声ですね(笑)。この映画は監督(唐季禮)がどうしてもここで女性同士のアクションを入れたいって事だったんです。あのシーンでは私がミシェールの頭部を蹴るシーンがあったんですが、ミシェールが私に「大島ね、私のポニーテールは蹴ってもいいけど頭は蹴らないでよ?ね、蹴らないでよ?」ってズ~ッと言ってるんですよ(笑)。

ー以前に『ジャッキー・チェンを超えたい!香港の日本人アクション女優奮闘記』というドキュメンタリー番組で、大島さんが当時撮影中の『フィスト・オブ・レジェンド』(94)の道場のセットを訪れるシーンがあって、大島さんが李連杰や周比利と挨拶するんですが、その時の周比利がもう可愛い笑顔が満開でアレレッて?(笑)。

大島 アッハハ!ビリーさんて普段は物凄い優しいんですよ(笑)。やっぱり本当に強い人は普段は優しいんですね。ビリーさんは共演した時も「いや~大島は女性だから俺は蹴れないよぉ!」って言ってて、もうスイートって感じ?(笑)。ただいざ映画の撮影でスイッチが入った時はもう“キックボクサーの周比利”になるんですけどね。私はビリーさんとのファイト・シーンで、ビリーさんに何度も蹴られた箇所はもう皮が剥けて火傷みたいになってますから。

ー大島さんが香港や台湾、またはフィリピンで出演された映画でご自身が一番お好きな映画はありますか?例えばフィリピンで一番最初に撮られた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・マニラ』とか。

大島 あの映画は香港とかと撮り方も違うし撮影自体は楽しかったんですけどブラック・コメディだったので。ええっと郭富城のデビュー作品で莫少聰も出てる『飛越危牆』(89)だったかな?
この映画がアクションもあってストーリー性もあって思い出に残ってて好きですね。あとは私、お化け物のコメディー映画も出てるんですけど、ほらあのすぐお尻出す人で・・・呉耀漢!呉耀漢と一緒に出た映画とかも良かったな。あとは台湾で撮った『妖魔伝』(86)も撮影が大変だったという意味で思い出がある映画で、ズ~ッと夜の撮影で、1日中ワイヤーで吊られて、しかも撮影が夜なんで昼間に寝ようと思っても寝れない!で、夜の撮影ではワイヤー・アクションがあるのでご飯食べれない!それで途中で栄養失調で倒れて病院に連れていかれて点滴打ったりして(笑)。

ーいや壮絶ですね!大島さんは日本のテレビでも『マスクド・ママ』や『聖龍伝説』へのゲスト出演と幅広く活躍なさって来ましたね。

大島 そうでしたねえ。私もこうやって思い出すと色々な事をやって来たんだなぁって。実は私、今年で女優生活がちょうど30年なんです。19歳でこの世界に入って20歳で香港に行ったんですね。30年って言っても、私ってこれまでの人生の周期が10年ずつで、最初の10年が香港。次の10年がフィリピン。そして今の10年で今度は私が周りの方にお返しをする10年にしたいなぁって。今後は自分も後継者を育てるというか、自分が教えている人間も皆「東京に行きたい!行きたい!」って言ってるんですよ。私自身も最初は東京に出てきたんですけど、でも福岡って物凄くアジアに近いんです。人の気性も香港とかフィリピンにとても似ていて、そういう部分を生かして「福岡発→アジア」という橋渡しをやっていきたいし、実際今もやっています。
要するに東京に行きたい人間がいるなら逆に福岡経由で出してあげたいなって。私が住んでるこの福岡を拠点にこれから行動を起こしてみよう!と思ってるところなんです。

ー大島さんは以前にも福岡のCMに出られて、そのCMの中でも「私が生まれ育った福岡においでよ!」って。

大島 はい、私は香港で活動している時は私自身が日本人である事をプラスに思えた事って少なかったんです。映画の中で日本人の役をやる時は悪役が多かったし、決して悪役を演じるのが嫌だったわけではないんですが、あちらでは日本人が嫌われてるという感覚がやっぱりあるわけなんですね。
逆に私が映画の中で中国人の役を演じてる時は「あの日本人め!」的な台詞があったりするんですよ。要するにこういう経験をすると、自分が日本人である事が余り好きじゃなかったって言うか・・・。フィリピンに行った時も「私は日本人です」って言っても、皆は「いやシンシアは自分では日本人って言ってるけど本当は香港人なんだろう?」ってリアクションで。これって私が日本人だって言ってはいけないのかな?って。芸名も大島由加里だと日本人っぽいし色々あるんでシンシア・ラスターにしたりとか。だったらもう私も日本人だとか言わないで、私はアジア人であると!そして今は福岡にいるんで私はアジア人であり福岡人なんだ!と。

ーアジア人、または海外で以前から活躍する日本人といえば、倉田さん、染野行雄さん、鹿村泰祥さんがいますね。

大島 あー染野さん!お元気でいらっしゃるでしょうか。染野さんには最初色々とお世話になりましたし、染野さんと当時の師匠の齊藤一之先生が親友で、私が香港に行くオーディションなどのきっかけを作って下さいました。皆さんがいらっしゃらなかったら私も香港に行ってなかったと思います。

ー大島さんが当時香港に行かれる前に、染野さんの前で大島さんが剛柔流空手の型を披露したんですよね。

大島 はい、やりましたねー!どうかよろしくお伝え下さいね。

ー最近では『女ドラゴンと怒りの未亡人軍団』(11)に出演なさっていますね。

大島 この映画の時は私自身が香港映画で自分が満足出来るアクションを見せる自信がなかったんですが、監督の陳勲奇が福岡に隠れてる私を探し出して電話で「大島、ちょっと来ない?」って(笑)。私が「すいません、出来ません!」って言っても、「何言ってるんだ、昔のアクションと今のアクションは全然違うから。もう今はCG使うから昔みたいに君にキツイ思いは絶対させないから!君も昔の懐かしい友達に会いたいだろう?皆が大島を待ってるぞ!」って。それで私もつい「ホント?」って中国のロケ地に行ったら、もう初日からワイヤーで吊られてましたから(笑)。

ーうう~ん(笑)。メイキングを見たら大島さんクルクル廻されてました!

大島 はーい!頭から落ちてますしね(笑)。自分としては撮影の3日目辺りからアクションの感覚が戻って来て「これだ!」って。カメラマンさんやアクション監督さんも香港の方だったので、皆さん昔の私を知ってて、昔の私がどんな動き(アクション)が出来たのかも知ってますし、それこそ皆さん一緒に年齢を重ねて来てるわけです。だから私のためにちゃんとスタントマンも用意してくれたんですが、監督が「結局は大島と武師と両方やらせて見て良い方のテイクを使うんだから、大島にやらせろ!」って。

ー陳勲奇監督といえば、武打星時代に元彪と共演した『ドラ息子カンフー』(81)が印象的でした。

大島 私もフランキーさんとは『龍之争覇』(89)や『最佳賊拍檔』(90)とか何度か共演してるんです。

ー最後に大島さんとマネージャーの中川さんはどのような経緯でお知り合いになったんですか?

中川 最初はアクションをやりたい!という学生さんがいて、その学生さんの担任から相談を受けまして。実際にその学生さんに会って話を聞いて見ると「自分はスタントマンになりたい!」と。ただ当時は私も大島さんが福岡出身とは知らなくて、その事を龍熱さんのお書きになった本を読んで初めて知ったんですね。
ちょうどその時に地元のテレビで大島さんが取り上げられて、シンシア・ラスターは時々香港やフィリピンから故郷の福岡に帰って来て後進を指導していると。それで「だったらこの大島さんに訊いてみようか?」と思って、テレビ局に問い合わせて大島さんにメールを送って見たんです。そうしたら次の日に返事が来たんです(笑)。

大島 そうそう、私もその時やっとパソコン覚え立てだった所にテレビ局からの転送で中川さんからメールが来てて(笑)。その学生さんの事は当時はまだ私がフィリピンで活動していましたので、知り合いのアクション・チームをご紹介したんだと思います。それからは中川さんとは毎日のように連絡を取り合ってますから。

ー私もこれまで色々な女性の武打星にインタビューする機会があったんですが、何故か大島さんには中々お会いする機会が無くて、今回中川さんのご尽力でやっと大島さんにお会い出来ました!

中川 私もこれでやっと龍熱さんと大島さんをお引き合わせする事が出来ました。

大島 また何かありましたら、何でも訊いて下さいね!まだまだお話したいなぁー♪

ー大島さん、中川さん、今日は貴重なお話を聞かせて頂きまして、本当にありがとうございました!

2013年4月20日、都内は新宿で収録。

さて、「超級龍熱」がお届けしました大島由加里さんの独占インタビュー、如何でしたでしょうか。これまでも大島さんご自身が香港&台湾、そしてフィリピン時代の主演作品をここまで詳細に語ったインタビューは無かったと思います。
また聞き手を担当した私も過去には苗可秀、茅瑛、高麗虹、楊紫瓊、あるいは水野美紀など何人ものアジアの女武打星に取材を通して会う機会がありましたが、何故か日本が誇る“伝説の女ドラゴン”大島由加里さんにはインタビューする機会が中々ありませんでした。
それを今回、大島さんのマネージャーである中川健太郎さんのご尽力もあり、こうして大島さんにジックリとお話をお訊きする事が出来た事は本当に嬉しい限りでした。
実は15年ほど前に私が発行していました同人誌「龍熱」の現時点における最後の号である「女武打星の逆襲!」特集号で表紙を飾っている女ドラゴンこそが大島さんでした。まさにこれこそが「龍熱」と大島さんの素晴らしいほどの“奇跡的な縁”でした。
今回のインタビュー取材の際に、大島さんと中川さんにその在庫が残り僅かである「女武打星の逆襲!」特集号を直接お渡しする事が出来たばかりか、私の分の「女武打星の逆襲!」特集号の表紙に大島さんに直筆サインを入れて頂いた時は本当に万感迫る思いでした。
大島由加里さん、本当に楽しい時間をありがとうございました!また機会がありましたら是非お話を聞かせて頂きたいと思います。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伝説の女ドラゴン、大島由加... | トップ | 大島由加里が表紙を飾る“幻の... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしい!! (よしだ まさし)
2013-05-01 12:49:48
大島由加里さんのインタビュー、むさぼるように読ませていただきました。
マニラのテレビで『上海エクスプレス』の予告編を見て、「だ、誰なんだ、このものすごいアクションをこなす女性はあ!」と興奮して以来のファンなんです。
『ジャッキー・チェンを超えたい!香港の日本人アクション女優奮闘記』の時に、サモ・ハンからきついセリフを投げつけられて涙を流していたように記憶しているのですが、あの時の心境なども聞いて欲しかったなあ。次の機会にはぜひ!
返信する
大島由加里さん (龍熱)
2013-05-02 11:40:36
よしだ まさしさん、

こんにちわ。
インタビューのご感想ありがとうございます。
ああ、あのドキュメンタリーのサモ・ハンと大島さんの
やり取りは印象的でしたね。
また機会がありましたら、大島さんに訊いてみたいと思います。
返信する
ジャッキーチェンを超えたい (ドラ道)
2013-05-02 12:03:42

 龍熱さん、よしださん、こんにちは。

 サモ・ハンと大島さんは2年前に会ってるんですが、
 その時はサモ・ハンはすごく喜んで優しかったのが
 印象的でした。

 龍熱さん次の機会に是非訊いてください。
返信する
サモ・ハン (龍熱)
2013-05-04 10:54:13
ドラ道さん、

こんにちわ!
おお、そうでしたか!先日のインタビューでも大島さんの『上海エクスプレス』時のサモ・ハンのエピソードは興味深かったです。次の機会には是非大島さんにお訊きしたいです。
返信する