超級龍熱

香港功夫映画と共に

熱風!韓国LEGENDS(97)伝説の韓国武打星、“韓国のブロンソン”巴比金に独占インタビュー!!

2016-10-26 09:04:53 | 熱風!韓国LEGENDS
さあ、我らが「超級龍熱」ブログ開設10周年記念特別企画の第3弾は、文字通り韓国テコンドー映画の武打星の中でもLEGEND中のLEGENDである“韓国のブロンソン”ことボビー・キム(巴比金)の独占インタビューです!!
私も以前からボビー先生にはFacebookを通じて知り合って以来、様々な形でお世話になっているんですが、今年の6月にボビー先生に思い切って独占インタビューを申し込んだところ、ボビー先生は快く応じて下さいました。
いや~さすが私が韓国テコンドー武打星の中で一番好きな武打星であるボビー先生です(^。^)。
ただ当ブログをご覧の方の中にはボビー・キム先生の主演作品をまだそれほど観ていらっしゃらない方もいるかと思います。
そこで、まずは以前に当ブログの韓国映画専門セクション「熱風!韓国LEGENDS」で紹介しましたボビー先生の簡単な経歴再録に続いて、我が「超級龍熱」がお届けするボビー・キム先生の独占インタビューをお楽しみ下さい。ではどうぞ!!

巴比金は1941年(42年説も)ソウル生まれ。本名を金雄経(キム・ウンギョン)。
因みに英語名のボビーはロバートの愛称です。ボビーはウソク(原文まま)大学英文科を卒業後、米軍のテコンドーの教官として活躍し、ワシントンでは自身のテコンドー道場を経営していました。
またボビーはこの時期同じく米国で道場を開いていた李俊九師父とも交流があり、この李俊九師父が開催した武術大会でボビーはリーさんことブルース・リーと邂逅を果たしています。
この69年前後に撮影されたボビーとリーさんのツーショット写真は、ボビーが主演した朴雨相(即:朴祐箱)導演作品『死の勝負』(75)の劇場公開用ポスター(の端っこ)にも使用されていましたね。
元々映画の世界にも興味があったボビーは、泰昌興行社(原文まま)から10本の出演契約をオファーされますが、最終的に5本の出演契約を結び、前述の『死の勝負』に主演します。
その後も高英男導演作品『地獄の招待状』(75)、香港武打星である羅烈共演作品『国際警察』(76)と『王龍』(76)などに主演。
泰昌興行との5本の契約を終えたボビーは、再び朴雨相導演作品『鬼門の左脚~電撃の突き』(77)や『大敵手』(77)に主演します。
私はこの70年代後半の朴雨相作品群に主演していた時期が、ボビーの韓国武打星としての事実上の全盛期だったと思います。
余談ですが、ボビーは東南アジアでも人気が高かったそうで、それもあってかボビーはインドネシアで『空飛ぶ虎』なる作品も撮っているようです。
さらに余談ですが、ボビーが米国で主演した『満州の復讐者』(83)や『キル・ライン/復讐の弾丸』(89)はボビーの実兄であるキム・ハクキョン(原文まま)が脚本を担当しているとの事です。


ーボビー先生、今回はお忙しい中、インタビューに応じて頂きありがとうございます!

ボビー先生(以下BK)こちらこそ。さあ、何でも訊いて下さい。

ーボビー先生は韓国のウソク大学を卒業されてから、アメリカ軍でテコンドーを教えたり、テコンドーの道場を経営されていたそうですね。

BK いや私は大学在学中から韓国に駐屯していたアメリカ軍の軍人たちに教えていたんだ。その後、大学を卒業した1969年の1月にアメリカに渡ったんだよ。ワシントンで道場を開いた後、数か月後に今度はコロラドのデンバーに移って、そこでもう1度道場を開いたんだ。

ー1969年といえば、ボビー先生は李俊九師範が開催したテコンドーのトーナメント会場でブルース・リーと対面していますね。その時のブルース・リーの印象と、その場でお互いに何を話したか教えて頂けますか?

BK あれは1970年か71年だったと思うが、李俊九師範がワシントンで開催したトーナメントで、私とブルース・リーがそれぞれデモンストレーションを行ったんだよ。
その当時のブルース・リーはまだそれほど有名ではなかったんだ。
ブルースは私に「ユーの“ジャンピング・バックキック”は素晴らしいね!」と言ってくれたよ。
私はブルースは優れた格闘家だと感じたな。その時はお互いに少し話して、一緒に写真を撮ったんだよ。

ー1970年にボビー師範は韓国に戻られて、韓国の映画会社泰昌興行と5本の映画出演契約を結びますね。その主演第1作が朴雨相監督作品「死の勝負」(75)でしょうか?

BK 泰昌興行は私に最初10本の映画契約を申し出て来たんだ。ただ当時の私は俳優経験も無かったので5本の契約を結んだんだよ。
その時に泰昌興行の紹介で私は朴雨相監督と会ったんだ。朴監督は泰昌興行に起用されて、私の初主演作品「死の勝負」を監督する事になったんだ。

ーボビー先生は朴雨相監督作品をはじめとする韓国テコンドー映画では、口髭、両手に皮手袋、皮のベスト、そしてパンタロン姿、いわゆる“巴比金スタイル”がトレードマークでした。このファッションは当時はとても斬新でスタイリッシュだったと思うのですが、誰のアイディアだったんですか?

BK 口髭は映画に出演する前から生やしていたんだけど、監督たちがそのまま剃らないでいこう、と言ってくれたんだよ。ベストなどのファッションは誰のアイディアだったかは判らないんだが、恐らく朴雨相監督だろうね。

ー私たち韓国テコンドー映画ファンにとって、巴比金と黄正利は伝説の武打星です。その2人が「死の勝負」では主演(ボビー先生)と助演(黄正利)で顔を合わせていますね。
この映画での黄正利の思い出がありましたらお聞かせ下さい。

BK 黄正利は私が韓国映画界に参入するまでは、端役での映画出演が多かったんだ。この「死の勝負」が黄正利にとって初めての大きな役柄だったんだ。
「死の勝負」での私と黄正利は、お互いに様々な形で真っ向から闘うアクションに挑んだよ。
黄正利はこの「死の勝負」に出演した事で、香港の映画会社に引っ張られたんだ。黄正利は素晴らしいキックを持っていたし、何本もの香港映画に出演して有名になった。朴雨相監督はこの「死の勝負」での黄正利のパフォーマンスをとても誇りに思っていたよ。

ー1976年にはボビー先生は香港のトップ武打星の羅烈と「国際警察」(76)と「王龍」(76)の2本の高英男監督作品で共演を果たしています。この2本は当時の韓国と香港のトップスターの共演となったわけですが、羅烈とこれら2作品について思い出はありますか?

BK そうだったね。羅烈とはその2本で共演したのを覚えているよ。羅烈は格闘映画において良い俳優だったね。この2本は殆どは韓国で撮影したんだが、幾つかのシーンは香港で撮影したんだ。
その「国際警察」の撮影中に私たちはカーチェイスの場面のリハーサルをしていたんだ。私が車を運転するシーンだったんだが、何故か監督の高英男監督が「自分が運転する!」って言い出したんだ。要するに監督が自分で運転する事で、もっとワイルドなカーチェイス・シーンを撮ろうと思ったんだね。
その車にはカメラマンと一緒に羅烈も乗っていたんだけど、高英男監督が運転を誤って3人を乗せた車が大きな木に激突してしまったんだよ(苦笑)。
高英男監督、羅烈、カメラマンの3人は大怪我して、そのまま病院に直行さ。で、その後に実は高英男監督が運転免許を持っていない事が判ってね。
高英男監督も「大変な事になった!」と心配するんで、私は国際免許を持っていたので「事故の時は私が運転していた事にしましょう」と高英男監督に申し出たんだ。
まあ警察も「何で運転していた巴比金だけ怪我をしていないんだ?」と不思議がっていたけど、結局は私たちの説明を信じたよ。
でも羅烈はその事故で目に青タンは出来るし打撲傷も負ったりで、本当に可哀想だったよ(苦笑)。私たちが韓国のソウルに帰ると、マスコミが「巴比金が車で大事故に遭った!」と新聞やテレビで騒いでいたけど、韓国のファンも含めた皆が運転手は私だった、と信じていたんだろうね。

ー同じ朴雨相監督作品「大敵手」(77)は、私が一番好きなボビー先生の主演作品です。もし興味深いエピソードがありましたら、是非お聞かせ下さい。

BK ある日「大敵手」でオートバイで走るシーンを撮影中の事だ。その日の撮影予定分が撮り終わり、私はオートバイの後ろに権永文を乗せて田舎道を走っていたんだ。
そうしたら走っているオートバイの前輪が道の窪みにぶつかって、その衝撃と反動で後ろの権永文が私を飛び越えて前方に4、5メートル吹っ飛んでいったよ(笑)。
私たちが大怪我した権永文を病院に連れて行ったの事を覚えているよ。「大敵手」に関しては他に特別な事は覚えていないな。


ー80年代に入りますが、アメリカで撮影した「満洲の復讐者」(83)でビル“スーパーフット”ワラスと共演なさっていますね。
この映画でボビー先生はご自身の映画キャリアにおいて初めて西洋人の格闘家と闘う事になりました。実際に劇中で拳を交えたワラスはどのような印象でしたか?

BK ビル・ワラスはアメリカではかなり有名な空手のチャンピオンだった男だよ。特にワラスの左の蹴りは素早く、そして正確で本当に素晴らしかった。

ーそれでは最後の質問になります。近年の韓国映画は同じアジア圏の香港映画を凌駕すると言っても良いほどの高いクオリティーを誇っています。
ただそれでも私たちは70年代にボビー先生たちが主演した古き良き時代の韓国テコンドー映画を愛しています。近年の韓国映画人にもしアドバイスされる言葉がありましたら、お願いします。

BK 私が映画を撮っていた時代の韓国の映画会社は自分たちが作る映画に余りお金をかけなかった。彼らはあらゆる箇所で経費を削ろうとしたし、撮影するためのフィルムも十分に用意していなかったんだよ。もし当時の私たちに十分な量の撮影フィルムが与えられたなら、もっと良い映画を撮れたと思うんだ。
最近はデジタルなどのテクノロジーによって、高いレベルの映画制作とさらなる高水準の撮影&編集過程が許されていると思う。
それもあって、彼らは自分たちが撮っている物が何かをちゃんと理解しているわけなんだ。
私が思うに、近年の韓国映画の製作者たちは素晴らしい仕事をしていると思う。出来る事なら、私も今の時代に生まれたかった。そして若々しく、今の韓国映画に出演してみたかった。

ーグランドマスター・ボビー・キム、素晴らしいインタビュー、ありがとうございました。

Bk 二郎、私こそありがとう!

以上、2016年6月15日に収録。

さて、“韓国のブロンソン”ことボビー・キム先生の独占インタビュー如何でしたでしょうか。ボビー先生の口から朴雨相監督、黄正利、権永文、羅烈、高英男監督、ビル・ワラスといった名前が次々と出てくる辺りは、もうワクワクしちゃいましたよね(^_^)。
特にリーさんことブルース・リーとボビー先生が対面した際の2人の会話の詳細をボビー先生本人が語った事は、恐らく世界で初めての事だと思います。
ボビー・キムは韓龍哲と共にアメリカから韓国映画界に逆上陸する形で、その類い稀なるテコンドーの蹴りと共に韓国映画に一時代を築いた、言わば韓国アクション映画の功労者の1人です。
その功労者のボビー・キムに、そして私が韓国テコンドー映画の武打星の中で一番好きなボビー先生にこうして貴重なお話を訊けた事は、私自身本当に万感迫る思いです。
ちなみに今回掲載しましたボビー先生の近影は、ボビー先生ご本人が当ブログにご提供下さった1枚です。
改めて、今回我が「超級龍熱」の独占インタビューに快く応じて下さったボビー・キム先生に厚く感謝致します。ありがとうございました!
という言うわけで、韓国映画のレア映像&新事実を追い求める「熱風!韓国LEGENDS」、次回もどうぞお楽しみに!

We would like to huge thank to Grand Master Bobby Kim for answering our great interview and provided wonderful photo.
Master Kim,you are always kind to your fans!! Thank you so much sir.

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