「日米基軸」の前提




     「日米基軸」の主観的言葉は良いとしても 時と場合による。 世界を舞台に国家があることを考えるなら 全方位が基軸の前提として認識していなけならない。

   
世界が混乱している現代においては 「グローバリゼーション」を唱え推進しながら 世界に対し全方位の認識無しに臨んでいては

論理的に自己矛盾を増幅するだけだろう。 実際そうなっていないだろうか?  特に最近、国の内外で「当て外れ」が多い。

       
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預けられない下駄


   
          共依存関係が この混乱した世界を招いてはいないか。 

        目先の利益や権威が 思考停止の要因となり それが上・下 左・右に拡がっていないか。

           特に最近は 宗教や学問までもが思考停止の仕掛けになっている気がする。

            歴史的に 文化・文明に果たしてきた宗教や学問の役割は大きい。 本来的にはその必要性は今も変わらないと思うが、現代は利益や権威と


同様 宗教や学問は 儀式化・イベント化し社会に組み込まれ 現実的に解決すべく追究が陰に潜み見えない。

宗派を越えて宗教的真理の追及こそが信仰心であって、祈ることが目的的であっては 本来の信仰心ではないし
学問は」向学心あっての権威ではなく謙虚さが求められる。

               
現代社会では宗教や学問までもが共依存関係に組み込まれているようだが 人は幸福を追求する条件として共依存関係から脱する必要があるが、


 特に現代は 各個人に求め られているのではないだろうか 。 他の人に 自分の幸福追求の下駄を預けては 始まらない。


        

        

      
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