国が(政府・指導者)国民を理解する

ある本を読んでいたら、「国が国民を説得する義務」と言う記述があった。私は読み違えて「国が国民を理解する義務」と読み違え、目からうろこでないがやけに感激してしまった。そういう発想を持ったことが無かったからだ。上のものに対し不満や批判はあっても上が諸般を「理解していない」と改めて考えたことは無かった。分った上で政策なり主義主張を述べているように思ってきた。しかし国や組織も結局はその指導する立場の人の理解と判断になる。だから(国が国民を理解できない)ことは、私が国民の状況を理解していないのと同様当然である。知らず知らずのうちに国は何でも知っているかのように錯覚し期待した上でものを言ってきた。確かに小泉首相にしても彼が経験し知っていることはごくごく一部にすぎないはず。そう考えると、多くの政治的リーダーは生活経験から言うと国民の生活を理解するには我々よりかえって難しい立場にいるのではないだろうかと思う。何故なら彼等の生活の実態は多くの国民の生活と同様とは考えにくい。変な話だが、彼等の多くは高学歴でありそれなりの家庭に育ている。世の隅々のことは、想像するのも難しいだろう。それよりまともな家庭生活をしていないだろう。世の中の変化の認識にしても、景気がよかろうが悪かろうが、年金も税金も就職も家族の生活にさほど影響しない。昨年アメリカのカトリーヌの被害は貧しい黒人に多かったし、戦で命を落とすのも同様の階層に多い。地球や国がどうあれ、彼等は影響しにくい立場にいる。極端な言い方をすれば、世の中の実際を理解しにくい人たちによって、国策が考えられているにもかかわらず、国民は理解されているような錯覚をもち、せいぜい不満や批判を述べるに過ぎない。結局は国民は権威に弱いだけかもしれない。それをリーダー達はは知っているからか右も左もメディアに権威者を次々登場させる手法を用いる。私の場合それに気がつくのにずいぶん時間がかかった。本当に必要なのは空しい権威ではなく現場や現実をどれだけ具体的に知っているかどうかだろう。でなければ、診断も処方箋もまともには書けない。そのせいか、政治や行政の世界ではではヤブ医者やか土手医者が多い。多分彼等はその自覚も無く善意かつ犠牲的精神で職務を遂行しているにちがいない。養老さんの言葉を借りれば(バカの壁)は一般人よりかなり厚いはず。 だからと言って庶民なら誰でも良いかとなったら、これまたそうも行かない。
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