最近、みつけた「方言に関するブログ記事」。
「言戯」(ことざれ)というサイトに掲載されている記事で、題して「方言はキモチイイ。」。
読んでみて「なるほど」と相づちを打ってしまう軽妙なタッチで「方言」について語られている。
<引用>
昔は、「カッコワルイもの、ダサいもの」として、会話の中でつい出てしまった日には、赤面してうつむかざるを得なかった方言。
そう、方言は、いわば「言葉の放屁」であり、突発的な事故であり、忌むべき存在であった。
しかし今はどうだ。
会話の中で、上手く方言を織り込み、そのリズムがバッチリ決まった時の気持ちよさは、「今のオレの方言、グッジョブ!」と誉めてやりたくなるほどである。
<引用終わり>
方言調査と称して出かけていって、話者がまったく方言で話をしてくれなくて困ったことがあった。おそらく話者は「カッコワルイもの、ダサいもの」として、語ってくれなかったかもしれない。そんな思いにかられた一節だ。
「方言は、いわば「言葉の放屁」である」と筆者は語る。この言葉の操り方が実にいい。なるほど、「突発的な事故」とは言い得て妙だ。
さらに筆者(ハンドルネーム「そんちょ」さん。現在は改名されて「寿」(とし)さん。この記事を書かれたときは「そんちょ」さんだった。)は、「方言とは「リズム」でないかな」と言う。
「そのリズムは、「風土の鼓動」なんでねーか」と続ける。
父祖が生活の中から編み出した方言は、その土地の風土の鼓動だったのだ。
方言はこのようにして脈々と引き継がれていくのかもしれない。
うん、方言は消えゆく運命には違いないが、こうして少しでも引き継がれていくことを望みたい。
「言戯」(ことざれ)というサイトに掲載されている記事で、題して「方言はキモチイイ。」。
読んでみて「なるほど」と相づちを打ってしまう軽妙なタッチで「方言」について語られている。
<引用>
昔は、「カッコワルイもの、ダサいもの」として、会話の中でつい出てしまった日には、赤面してうつむかざるを得なかった方言。
そう、方言は、いわば「言葉の放屁」であり、突発的な事故であり、忌むべき存在であった。
しかし今はどうだ。
会話の中で、上手く方言を織り込み、そのリズムがバッチリ決まった時の気持ちよさは、「今のオレの方言、グッジョブ!」と誉めてやりたくなるほどである。
<引用終わり>
方言調査と称して出かけていって、話者がまったく方言で話をしてくれなくて困ったことがあった。おそらく話者は「カッコワルイもの、ダサいもの」として、語ってくれなかったかもしれない。そんな思いにかられた一節だ。
「方言は、いわば「言葉の放屁」である」と筆者は語る。この言葉の操り方が実にいい。なるほど、「突発的な事故」とは言い得て妙だ。
さらに筆者(ハンドルネーム「そんちょ」さん。現在は改名されて「寿」(とし)さん。この記事を書かれたときは「そんちょ」さんだった。)は、「方言とは「リズム」でないかな」と言う。
「そのリズムは、「風土の鼓動」なんでねーか」と続ける。
父祖が生活の中から編み出した方言は、その土地の風土の鼓動だったのだ。
方言はこのようにして脈々と引き継がれていくのかもしれない。
うん、方言は消えゆく運命には違いないが、こうして少しでも引き継がれていくことを望みたい。