ケガレと銅鐸 通信

ケガレ、銅鐸、このふたつの日本史上の謎を解明します。ケガレの起源とは何か、銅鐸とは何か、これらは大いに関係があります。

ケガレと銅鐸 2号 なぜ餅を焼くのか

2018-02-11 21:06:08 | 通信
なぜ餅を焼くのか
 
近況報告
1号の反応
「豆あげましたか~~」
 1号で紹介した「十五夜ください」をお読みになった青森県出身のMさんの話です。戦後間もないころのことで、現在はどうかわからないということですが、青森では十五夜にススキや団子とともに枝豆を供える習慣があったそうです。子どもたちが近所の家々をまわって「豆あげましたか~~」と声をかけながら訪ねて歩き、各家からお供(そな)えの枝豆をもらうのだということです。
 この話は、供え物が月見団子など米由来のものだけでなく、枝豆つまり大豆もそうであるという例です。節分の豆まきも同じく大豆です。豆まきは「鬼は外」といって鬼というありがたくない者、つまりケガレを祓(はら)っているのです。

新聞からラジオから
子供強飯式
2017年11月26日 日曜日
NHKラジオ第1 「マイあさラジオ」7時18分ころ
 「子供強(ごう)飯式(はんしき)」という栃木県日光市の行事を紹介していました。山伏に扮した子どもが山盛りにした里芋を大人に無理やり食べさせるという行事です。インターネットで検索してみると、子供強飯式は日光市の生岡神社に伝わる神事で、凶作の年に神様が里芋をもって現われ村人を救ったと言い伝えられているということです。
強飯式は日光の輪王寺が有名ですが「強飯」というように、元は飯を山盛りにして食べさせる行事で、全国各地にあります。上の例はその変化型でしょう。米を使うこと、それをふるまうこと、全国的にあることなどから、もとはケガレ祓いであったと考えられます。もちろん民俗学の解釈ではケガレ祓いとは言ってません。
 
『散歩の手帖』から
なぜ餅を焼くのか

 焼かないとかたくて食べられない。だから焼く。
 その通りです。あたり前です。
 ところが食べないのに焼く例があるのです。それが民俗行事のなかにたくさんあるのです。なぜでしょう。これをどう考えたらいいのか。それが今回のテーマです。
 1号の「餅なし正月とは何か」のなかで私は、餅はケガレの象徴だったと述べました。だから正月の前に祓って、ケガレのない正月を迎えるのが本来の正月だった。それが餅なし正月であるという話でした。ならばその餅は黒く焦がしたほうがケガレっぽくていいではないか。それが今回の話です。
 餅を焼くことには意味がある、というテーマは『散歩の手帖』28号で書いています。そのときに使った民俗事例で、餅を焼く例をここに引用します。使った資料は文化庁文化財保護部の『無形の民俗資料 記録 正月行事』全4冊です。餅を焼いてそれをどうしたか、という点だけ紹介します。

 事例2 岡山県真庭郡新庄村
焼き初め(正月4日)この日、餅を焼いて歳(とし)神(がみ)に供えるとともに、ぜんざい(しるこ)をつくって食べた。〔美甘村田口〕の一町田家では、山入り木に切り目をつけて焼き初めの餅を押しこんでいた。
(山入り木とは)
山入りは、山の口明け、若木迎え、初山などと地方によって言い方がちがいますが、正月に行なう仕事初め行事です。事例2の地方では、その際に木を2本切り、枝を落して「稲が穂首(ほくび)をたれたかっこうに先を曲げ、笹を4、5本つけてシメでしばる」、これを山入り木と呼びます。
 事例9 鹿児島県薩摩郡甑島
磯餅焼き、竈焚き 〔里の村東〕旧暦正月の16日に、今でも竈焚(かまどた)き、磯(いそ)餅(もち)焼き、をおこなっている。男の子も女の子も、何人かずつでもやって海岸にいき、持ってきた瓦と石を使ってジロ(地炉)を作り、そこで餅を焼いて食べる。家で子供の数だけのお重を作ってもらいそれを持って集まり、海辺でカイビナ(貝)をとり、鍋で雑煮を作ることもある。焼いたり煮たりした餅は、はじめのものだけ皆でよく拝んでから、海の波の遠くに投げ入れる。これは竜宮様にあげるのだという。
 事例10 岡山県笠岡市陸地部
トンド トンドの残り火で餅を焼いてその餅を歳神様に供え、それをとっておいて、大風が吹いたり、ドンドロ(雷)が鳴ったときに出して焼いて食べると大風があたらないし、ドンドロが家の上で鳴らずよそへ逃げるという。トンドの灰と焼き餅を屋根の棟におくと類焼を免れるという。
 事例11 岡山県岡山市円山
14日お飾りまかり ドンドの餅(正月の餅をつくとき、つくっておく)を焼く。このドンドの餅を焼いたのを切って、家の内外の神に供える。このドンドの餅は食べないで、フェエト(こじき)、猿まわし、人形つかいなど、正月にやってくる人たちにやったものである。
 事 例12 島根県島根半島
〔諸喰(もろくい)〕トンドの火で焼いた餅は新藁(しんわら)に包んでとっておき、6月1日にとり出して氏神に供える。
 事例13 岡山県笠岡市北木島
〔金浦から大井一円〕にかけては、14日の夕方、日の入りと同時にドンドをする。餅を焼いて食べる。焼いた餅を歳神様に1個お供えをすると、雷が落ちないという。
 事例14 岡山県邑久(おく)郡牛窓町平山
ドンド 歳神様に供えたお餅をちょっとこがして、枡にいれて持って帰り、小さく切って神様ごとに供え、雑煮にいれて食べる。
 事例15 岡山県和気(わけ)郡備前町友延
15日トンド このトンドの火でトンド餅を焼く。そして藁灰を餅の上に載せて家に持ち帰り、灰は入り口や雨だれおちへまくと、長虫や百足(むかで)の魔よけになる。(略)トンドの餅は切って小豆(あずき)粥(がゆ)の中へいれる。この粥をまず神に供えて、あと家内一同が粥を食べる。
 事例16 秋田県男鹿半島
セド 氏子が夜中に真山神社に集まり、神酒(みき)・餅・煮た大豆などを供えて神官が祝詞(のりと)をあげてから餅焼きをする。社殿のそばに餅焼き場があり、そこに用意された生の薪木一棚ほどに火を点ずる。その燃えさかる中で神に供えた大餅を焼き、真黒焦げになったのを数十片に切断して、災難除けに村中に配る。

 これらはいずれも食べるためだけに焼いているのではないのですね。では焼いた餅をどうしたか。
 上に引用した事例は28号第2章で、餅を焼くには、「さあこの日からは餅を焼いてもいい」という解禁日があるということを紹介して、その事例を16例だして説明したものです。その16例の焼いた餅のなりゆきは次のようになります。

① 雑煮などに入れたり、煮たり焼いたりして食べる。大分県、岡山県、三重県、甑(こしき)島(じま)(鹿児島県)。
② 歳神などに供える。岡山県、島根県。
③ 山入り木につける。岡山県。
④ 海に投げ込む。甑島(鹿児島県)。
⑤ 屋根の棟におく。岡山県。
⑥ こじき、遊芸人(ゆげいにん)にやる。岡山県。
⑦ 村じゅうに配る。秋田県。

以上のように焼いた餅は食べるばかりではなく、いろいろな使い方をしています。これらの行為を私はケガレを祓っているのだと理解しているのです。そう考えてみると、①②⑦はすでにケガレとしての餅の意味が忘れられて、しかも神聖なもの、縁起のいいものとなっているので食べたり、配ったり、歳神に供えたりして祝いの意味で用いられていることになります。したがってこれらは新しい形です。③から⑥はどれもケガレを祓う行為が残存しているのです。餅はケガレの象徴として焼かれ、焦げ色をつけられ、③から⑥のようにさまざまなやり方によって祓えやられてきたのです。ただしこちらも現在の行事のなかで、ケガレ祓いをしているとは認識されていません。
ではなぜ③から⑥がケガレ祓いなのでしょう。
③の山入り木とは山の象徴なのです。山から下ろした山の象徴なのです。その山とは境界としての山です。境界としての山はケガレの運び先なのです。
④の海に投げ込むのは、やはり境界としての海です。海はケガレの運び先としての境界なのです。
⑤の屋根の上とはカラスの来る屋根の上です。ケガレの運び役としてのカラスが来るのです。カラスはケガレを境界へ運び去ります。そうしたカラスの役割は烏(からす)勧請(かんじょう)をみると理解できます。
⑥のこじき、遊芸人とは「小正月の訪問者」です。小正月の訪問者は家々からケガレの象徴である餅をもらって運び去る役です。彼らは境界の外からやってくる異人です。
つまり③から⑥によって運び去られたケガレの象徴としての餅は境界で祓われるのです。それは境界がケガレの空間といわれている所だからです。これについては30号p55「第3章 銅鐸と境界」ほかで書きました。
餅は食べる以外に、わざわざ焦(こ)げ色をつけられて、歳神に供えたり、山入り木につけたり、海へ投げ込まれたり、屋根の上に置かれたり、こじきや遊芸人に与えられたりしているのです。これらの事例はすでに途絶えてしまった民俗が多いでしょうが、一部はこのように活字に残っているか、あるいはもしかすると、一部の映像にとどめているものがあるかもしれません。しかし、それらの文字や映像資料をどう読むか、その読み方がわからなければ素通りするのみでしょう。そのように素通りしてきたのが、現在までの民俗学なのです。
餅を焼くという、あたり前すぎてだれも問題にしない行為。しかし現在ではあたり前でも、『正月行事』全4冊が記録している昭和30年代までの民俗のなかでは、餅は食べるためだけに焼かれていたのではなかったのです。それはこの報告集のなかに明らかに記録されているのです。あるいは現在でもどこかで続けられているかもしれません。
でも昭和30年代以前までの民俗のなかでも、食べる以外に餅が焼かれることの意味はすでに不明になっていますし、疑問にもされていません。昔からそうしてきたことをくり返しているだけです。
なぜ餅を焼くのか。このような一見あたり前すぎる疑問を投げかけることで、日本の民俗の本当の意味が解明されていくのです。
たとえば、なぜ餅を搗(つ)くのか。なぜ柏手を打つのか。なぜ玉串というのか。なぜ榊(さかき)を供えるのか。これらのなぜはみな、天岩屋戸神話および射日・招日神話にさかのぼることで説明できるのです。これらについてはおいおい取り上げていきます。


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