北海道の身近な風景

北海道内の身近な自然の風景。

台所に現れるアリの大群:6月28日2014

2014-06-28 09:32:46 | 自然写真

小さいありだが、動きは活発。

(カメラ:Pentax E80・Sigma Dp1s)クリックで写真拡大

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Pentax E80

 

Sigma Dp1s

 

吸ってるみつはなんと、アリメツという毒薬。

巣に持ち帰り徐々に効いてきて死んでしまうという恐ろしい殺虫剤。

人間も化学物質という毒物に犯され、徐々にガンや血管系の病気に

させられているのかも。

 

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新冠町、馬の親子、子供馬ごろ寝!:6月27日2014

2014-06-27 18:18:54 | 自然写真

新ひだか町静内まで行く途中、国道235号沿いの競走馬牧場で子供馬がごろ寝してる。

なかなか駐車スペースがないので、通り過ぎてしまい、静内からの帰りに何とか

車を止めてごろ寝子供馬を撮りましたが、行くときの方がいい格好で寝てました。

なかなか車で走っていてあ!いいな、と思っても撮るのは難しいものです。

(カメラ:Canon5DM2ML+Sigma100-300mmf4.5-5.6)写真クリックで拡大2段

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右下にも茶色い子供馬寝てる。

 

 

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白老町⇒伊達市大滝(四季彩街道)⇒支笏湖:6月21日2014

2014-06-26 18:21:22 | Buellビューエル・ツーリング

前々回の仙台藩陣屋跡の散策のあと、走った四季彩街道(道道86号)

から美笛峠を越えて支笏湖沿い道路(国道276)を走っています。

(カメラ:GoPro)

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最初のほうで峠を登っていく、青いスバルの軽のプレオが速い。

曇止めのシート入れてるのに曇る。

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ハヨピラの丘散策、守りガラスがいました。6月22日2014

2014-06-22 18:54:55 | ミステリースポット

本当は平取町芽生(メム)にあるスズラン群生地を目指したのですが

ガソリンスタンドが何処も休みで足りず、ハヨピラの丘を散策してきました。

(カメラ:LumixGF2+LumixG14mmF2.5)写真クリックで拡大

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入り口。

 

入っていったらカラスがうるさく来るなと騒ぐので、てっきり巣があるので警戒して

攻撃してきているのかと思ったら、様子が違う。どこまでも執拗に追いかけて来て

低空飛行で攻撃し続け、まるでハヨピラの丘をを侵入者から守っているようでした。

 

 

 

 

痛んでいますが、しっかりしたしたピラミッドのような石段。

 

UFOに向かって手をかざす人のレリーフ。カラスが見張ってます。

 

第一次大戦ヘルメット型UFO。

 

こんなオブジェもある。お花供えられている。


これより上は進入禁止。


宇宙船らしき物体に手をかざすアイヌ人のレリーフオブジェ。

となりの鉄塔でちゃんとカラスがまた見張っています!おりこうさん。


このオブジェの根本にもお花が!

造花かな思って触ってみたら本物。毎日お供えに来ている様子。


眺めは良い。流れる川は沙流川。


下に下りてきました。入り口横にあるお地蔵様。


ガソリン不足で先へは進めず、Uターンして帰ります。

 

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白老仙台藩陣屋跡(続き):6月21日2014

2014-06-22 07:34:16 | 歴史写真

(カメラ:LumixGF2+LumixG14mmF2.5)写真クリックで拡大

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陣屋は二重になっていて、外曲輪(そとくるわ)と内曲輪(うちくるわ)と言い、最初の門を

くぐったところが、外曲輪で、この四番長屋跡は外曲輪内にある。二番から五番まで長屋

跡があったが、一番がなかった。資料館で聞いてみないと不明です。

武士の家族はこちらの外曲輪内で暮らし、内曲輪内にある本陣や勘定所などに通勤して

いたんですね。ある意味現代の役所や学校なども同じようなものです。

 

ここの門から内曲輪(うちくるわ)に入るのですが、こちらには土塁の他にお堀も造られて

いて、より警備は厳重です。

 

内曲輪の入り口の門から本陣のある内曲輪をみたところ。

ふわっと明るく開けていて、外曲輪よりもいい感じ。

 

ここが内曲輪内にある本陣跡。くいが打ってところが柱のようなのでかなり広い。

 

内曲輪内に案内版があった。本陣の大きさは二棟建っていて、両方あわせて29m×

18mくらいとのことなので、結構大きな建物。

 

勘定所が本陣とは別棟になっている。会計員の武士はこちらに通勤していたんですね。

真田広之と宮沢りえが出てた山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の勘定役人下級武士

たちを連想させます。

 

この漢字、難しいですが、調べたら厩(うまや)と同じ意味でした。要するに馬小屋。

本陣のすぐ脇に位置し、馬が重要な交通手段だったことがわかります。

いまなら黒塗りの公用車駐車場ですね。

 

厩あたりから内曲輪の入り口門をみたところ。木の前のくいは本陣跡です。

 

本陣前の大木。ひょっとしたら当時からあって、仙台藩士たちを見守っていたかも。

 

本陣の左側に位置する武器庫跡。当時は既に火縄中ではなく火打石式のゲベール銃が

主力になっていたようです。幕府側も長州征伐頃からはライフリング(銃身内のぐるぐる

螺旋)の入った新式のミニエー銃を使っていたが、薩摩、長州等の新政府軍はさらに

最新の連発式スペンサー銃(アメリカ製、南北戦争で使われた)を大量に買い入れ、

幕府軍を圧倒したようです。幕府側は伝習隊くらいしか使っていなかったようで、装備の

近代化が遅れた。

今も昔も内乱では双方に武器を売って兵器産業や商社は儲けているのです。

内乱をけしかけたり工作したりもかなりやっているようなので、最近の中東情勢

アフリカ情勢なども無関係ではないのです。

日本も武器商人の仲間入りをしようと画策していますが、使い方は買ったほうの

自由とは言え、紛争に手を貸して、一般市民の犠牲を増やすことになる

商売は良い商売とは言えません。

 

この兵器庫にはその他、槍や大砲も入っていたのかも知れません。

 

この内曲輪内は、とても心地よく、敷物ひろげてピクニックしたり、寝転んで

昼寝したりしたくなる、天気がよかったせいもありますがパワースポットにも

通じる気があふれているように感じました。また行きたくなります。

ひょっとしたら風水なども考慮して設計されているのかも。

 

 

 

これは内曲輪を出てきたところで気付いた、おそらく当時よりあったのではないかと

思われる松の巨木。倒れそうなので補強して支えてあります。

 

外曲輪の端のほうにあった稽古場跡。道場があって剣術訓練などをしたのか遺構が

ないので外の稽古場だったのかも。松の巨木は稽古をみていたかも。

 

外曲輪の入り口の門まで戻ってきました。

当時の人たちがタイムスリップし現代に来たら、巨大な鉄塔や空を飛んでる飛行機、

建設現場の大きな重機の音、なにより道路を突っ走るクルマにびっくりするでしょうね!

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ポロト湖・白老仙台藩陣屋跡:6月21日2014

2014-06-21 22:11:14 | 歴史写真

バイク(Buell)で、苫小牧経由で白老⇒大滝村⇒支笏湖と回ってきました。

仙台藩陣屋跡をぐるっと歩きましたが、バイク用ブーツで足が疲れた。

(カメラ:LumixGF2+LumixG14mmF2.5)写真クリックで拡大

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ポロト湖畔、きもちいい!

 

向こう岸に見えるのは観光に復元されたアイヌ家屋。

北海道の自然とよくマッチしています。

 

仙台藩の陣屋があった場所が、史跡となっています。

ポロト湖から車で10分くらい。

 

かなり広い。

火薬庫跡とあるのに注目。チャンバラのイメージではない。

いつ頃造られた物か?

よく見えないので拡大、補正。

1856年に作られたもので、まさに幕末、1953年ペリーが浦賀に来て開国させられてから

たった3年後に造られた、いわば蝦夷地の軍事基地の拠点だったのですね。

 

ここに記されている、諸藩、奥羽諸藩は土方と榎本が薩長のクーデター軍に恭順しないように

説得して回り、のちに賊軍とされた諸藩です。

会津藩は京都守護職で京都の治安維持にあたり新撰組も加わって、長州、薩摩のテロリスト

取締りを行っていたことで有名ですが、庄内藩は江戸市中取締を命ぜられ旧幕府の要職にあり、

特に薩摩藩の乱暴狼藉を取り締まり、フランスの幕府軍事顧問ジュール・ブリュネの指導のもと

大砲をぶち込んで薩摩藩の江戸藩邸を焼き払った「薩摩江戸藩邸の焼き討ち」までやり、薩長

と対立したために「朝敵」(天皇やお公家さんらの朝廷に逆らった悪者)ととして新政府からの

攻撃対象とされて薩長のクーデター軍と戦ったことはあまり一般的に知られていないようです。

 

36歳でとても健康だった孝明天皇が突然死亡して、岩倉と薩長が手を組んだ辺りから

歴史は急展開していきます。不穏な空気が日本中に流れ始めていたにも関わらず

東北の諸藩はこのように律儀に北方ロシアの脅威から蝦夷地を守るための軍を

派遣していたのですね。「1868年の戊辰戦争の勃発によって撤収」というのが

非常におもしろい。たった12年で蝦夷軍事基地は日本国の内乱のために解散と

なってしまったということです。

 歴史の真実は明治「維新」や「今一度日本を洗濯致し候」などの坂本竜馬伝説の

イメージとは違って、新式小銃の大量輸入を目論む武器商人の暗躍や権力争い

などのどろどろした陰謀に後押しされたものだったのでしょう。この後、日本は破壊

と殺戮に満ちた暗黒の時代へと舵を切っていったのはまぎれもない事実です。

長州出身の総理はそれを美化して「明治憲法」を復活させたい精神の持ち主のよう

だし、国民も「日本軍は欧米の植民地支配からアジアの国々を救い出したのだから

侵略戦争ではなかった」、「自虐史観に洗脳されている」などのもっともらしい話にすっかり

騙されているが、太平洋戦争での日本人だけでも死者数は300万人以上もいることは

事実で、今でも若い人でも、お祖父ちゃんやその兄弟、親戚の叔父さんなどなど

親類の誰か彼かは戦死しているのです。自国民がこんなに犠牲になってまで

アジアを欧米列強から救い出すなんて、まるでバカのすることです。

明治以降、専守防衛に徹して軍備の拡張をしていればこんな悲惨な結果にはなって

いなかったはずです。

 

陣屋入り口の門の横には高い土塁が築かれていて、アイヌのチャシのよう。

 

ここから基地に入ります。

 

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カナヘビくん:6月20日2014

2014-06-20 19:39:12 | 自然写真

今年もカナヘビくんが木のベンチでのんびり過ごしています。

今年は2匹の子供カナヘビのようで、なだ小さいです。

(カメラ:Canon5DM2ML+Sigma100-300mmf4.5-5.6)

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窓を開けようとしたら、もう一匹は気付いてベンチの下に逃げました。

去年はベンチの周りの雑草を引っこ抜いただけで、カナヘビはまったく来なくなって

しまいました。

 

きっとこのカナヘビたちも、家をここに建てるずーっと前から、それこそ何千年も前から

ここに住んでいたのかも知れません。

ほんと、自然の営みに比べ人間の文明なんてたかだか2,000年ですっかり生物界の

頂点に立っているとうぬぼれて自然破壊をすることによって、その文明が成り立って

いるようなものだから、いい気なものです。

ただ、地球がひとつの生命体との視点に立つと、人間はがん細胞のようなもので

まったく百害あって一利なしで、何とか免疫力で排除しようとしているのかも

知れないのです。

 

この下にも自然生態系が形勢されていると思うとなかなか草刈もできなくなって

しまいます。今年はこの辺りはそのまま野生に状態にしておきます。

 

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むかわ町穂別和泉の林道:6月7日2014

2014-06-07 20:19:51 | Buellビューエル・ツーリング

地図で探した行き止まりでない、むかわ町穂別和泉地区にある

林道をXLXで行ってみました。

道道74号から林道へ入ると入り口から1Kmくらいは傷んでは

いますが、舗装されています。

(カメラ:LumixGF2+LuixG14mmF2.5)

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しばらく走ると川沿いの開けた場所に出ました。


道は川沿いに続いています。


シダ植物がすごい。原始の息吹がある。

とにかく緑・緑・緑でした。

 

フキの中の工事標には「奥地林道ルベシベ線」とあります。

 

 

バイクのプラグをイリジウム電極の高いものに変えてみました。

かなり調子がよくなり、登り坂でもギヤをダウンさせなくてもアクセル開けていくと

回転がスムーズについていくようになりました。

 

クルマで使っているガーミンのカーナビGPSをポケットに入れて、道がわからなくなった

ときの確認用に持って行ってみました。

黄色い線が道道です。

山の中にいることがわかります。

 

地図を拡大すると、林道もちゃんと表示されて、道道131号に抜けることができると

確認できました。

 

ただ、家に戻ってネットで地図を確認したところ、GPSでは道がなくなっていた部分も

細い表示で書かれていて、さらにもう少し奥まで入り道道131号の振内に近い部分に

出ることができるような表示になっています。

行ってみないことにはどうなっているかわからないので、次回行ってみようと思います。

 

カメラをマニュアルで撮るとこのように木の緑に露出をあわせたり

このように青空に露出を合わせたり、自由に調節できます。

ただ、シャッター押すだけより撮ることが楽しくなりますよ~

 

ここの場所はなんともここちよく、しばらくのんびり自然を満喫しました。

ほんと、自然は気持ちいいです。

地図で調べると、この川はルベシベ川という川でした。

 

河岸が木が伐採されて開けている状態から、ひょっとしたら牧場跡のような気もします。

民家があったものが廃屋もすっかり自然に飲み込まれて、何も見えていないだけなの

かも知れません。

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むかわ町仁和・帯広・穂別ダム:6月4日2014

2014-06-05 19:42:04 | ドライブ写真

昨日は帯広までクルマで行きました。

むかわ町穂別経由で道央自動車道のむかわ穂別ICから高速に乗りました。

(カメラ:Canon5dM2MagicLantern2.3+TamronSP AF28-75mmF2.8)

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穂別までの道筋に集落がいつくかあり、ここは最初の集落、仁和(ニワ)地区。

小さいけど立派な神社が町の中心にあり、仁和神社前というバス停があります。

特に屋根が立派です。

北海道も小さな町や村に必ず神社があります。

お寺はなくても神社はあります。

日本では宗教というより、シャーマニズムからの継続で神道に繋がっているようです。

ただ、北海道の場合、神社の由来はさまざまで、開拓村落の場合は本州の郷里から

北海道に移住する際に郷里の神社を分祀したり、そのまま持ってきたり、また、大きな

町では富国強兵明治政府時代の戦争神社的な神社もあります。

北海道の入植は明治維新時と太平洋戦争敗戦時との2回大きな流れがあるようです。

 

基本的には五穀豊穣を祈願して神様にお願いするというのが基本になっています。

縄文時代の遺跡がある場所の近くの山に神社がある場合は、もともとは縄文人の

祖先であるアイヌの人々の聖地だったところが、和人の入植後に神社になったと

いうところもあるようで、実に興味深い一面が北海道の神社にはあります。

小さな神社も由来を調べて歩けば、歴史の真実探求的な楽しみが味わえると思います。

 

神社祈願で使う、大麻(おおぬさ)とアイヌの儀式で使うイナウとは基本的にそっくりです。

歴史的にはもともとは縄文人の儀式で使われていた例えばストーンサークルなどの聖地が

弥生時代になって朝鮮半島から日本列島に進出してきた漢民族と縄文人が混交するうちに

今の神社の形になっていったのかも知れません。想像するだけでわくわくしますね。

夢はタイムマシンで実際に過去に戻って検証することですが、なかなか難しいです。


ここはJR帯広駅近くの線路高架下です。

昨日は帯広市内を走っていて思いましたが、帯広は町もゆったりしていて、車も混雑して

なく、風もさわやかで(暑いのに)とてもいい町だなあと。

雪の降雪量もそれほど多くはなく、人口密集の上に雪まで超多い札幌に比べると

はるかに住みやすい町と言えるかもしれません。

 

この角度からみるとかなり”マッシブダイナミクス”してるなと思いついパチリ。

クルマはやはりデザインも重視したくなります。


帰り道、道央自動車をむかわ穂別IICで降りてすぐのところにある穂別ダム。

施行はやはり大手ゼネコンの鹿島建設。地元業者は下請けばかりですがそこそこ

儲かります。小さいけど自社ビルも建てたり。


ダムの下側はこんなきれいな緑地です。

 

ロックフィル式と習った気がする型。

中心遮水ゾーン型フィルダムという型式です。


湖の中を通っている道が国道274号、石勝樹海ロード。


ダム脇にはこんな立派な黄色い鳥居の神社があります。

工事の安全祈願の神社かも知れません。

 

むかわ町穂別栄地区を流れる鵡川。西日が河原に林の影を落とす。

 

こちらは下流側。河原がじ実にきれいです。自然のままの貴重な川です。

 

橋の上からひょっと下をみると河原の土部分に無数の点々が。

どうやらシカの足跡のようです。川を渡って大勢が移動してるのですね。

150年前の北海道(蝦夷島)を彷彿とさせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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厚真⇒シューパロ湖⇒桂沢湖⇒三笠⇒栗山⇒厚真:6月1日2014

2014-06-01 18:48:33 | Buellビューエル・ツーリング

今日は朝から眠くて、バイクに乗ったらしゃきっとするかと思って走り始めたら、

ねむいねむい。

いつまで経っても眠気が覚めず、結局最後まで眠いツーリングでした。

バイクがなんと多かったことか!シューパロ湖~桂沢湖の間はクルマよりバイクの

ほうが多かった、実際。ホンダのバイクの「バイクが好きだあ!」などのCMがよくできて

おり、バイクのイベントも多く、お笑い芸人のバイク番組などのおかげでまた、ちょっとした

バイクブームが起きているのかも知れません。

(カメラ:LumixGF2+LuixG14mmF2.5)

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厚真町は地図のもっと下になります。

 

青々とした新緑の林が水没進行中であることがよくわかります。

確かに景色はすばらしいですが、自然生態系、住民の生活等々の犠牲の上での

景色は釈然としないものがあります。

 

大夕張ダム(堤高67.5m)が1962年にできたことにより水が貯まったダム湖が

シューパロ湖ですが、大夕張ダムが洪水調節機能が弱いとのことで、大夕張ダムの

下流155mの場所に夕張シューパロダム(堤高110.6m)が昨年2013年に完成しま

した。これにより大夕張ダムは完全に水没します。もちろん集落があり、289戸も水没

するため、反対運動等で10年程完成は遅れたそうです。

 

国土交通省等のお役所はやいろいろダム建設の必要性を説きますが、実際には夕張

川等の下流域の氾濫原地域(基本的に川の堤防は現在の位置よりもっと外側に造られ

るべきで、流れに沿って堤防を築くだけでは何百年後には川床が高くなり天井川の状態

になって行きます。)や海抜低地の住居を高台に移転させたり、洪水被害覚悟で低地に

住み続ける場合は自己責任にするなどの方法で解決したほうがダム建設より安上がり

の可能性もあり、一番の目的はやはり大手建設会社の利益でしょう。地元住民は観光地

化の期待を抱きますが、人造湖はあまり観光地として成功する例は少ないです。

やはり自然の湖を見たときのような人間の心理に与える感動に違いがあり、人造湖の

場合はあまり感動的な感じがしないのが、不思議なところで自然の神秘的な部分です。

 

こちらが下流側、大夕張ダムの方角。すでに水没していると思われます。


展望台(駐車場)が何箇所かあり、ここが一番下流側(ダム側)の展望台。駐車スペース

が狭すぎます。

 

今日はオフロード用ヘル。GoProのカードが読込みできず、撮影は断念~

風の音がロードヘルと比べるとかなりうるさい。

 

遠方に見えている高い山は夕張岳。

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