小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

県道117号線 ついに開通!

2006年03月31日 18時14分32秒 | 新潟県中越大震災・地震
本町から山本に向かってさっき車はしらせとったら、ライト点灯した車が向こうからどんどんどんどん逆走してきてん。

む!むむうー?
と思って時計屋のとこの看板見たら・・・。

w( ̄△ ̄;)wおおっ!

ないねん!!
この看板がなくなっててん!!

はやる気持ちを隠せずちらっと前の車見たら、今までみたいに右車線走らずにちゃんと左車線はしってるし。

一昨日くらいまでは掘り堀りしてた穴ぼこも・・・・
ちゃんと閉じててーん!!

うわっちゃー
この1時間のあいだに117号(本町-船岡間)が両車線通れるようになっとるー!

*゜ロ゜)*゜ロ゜)*゜ロ゜)ノ~★祝★~ヽ(゜ロ゜*(゜ロ゜*(゜ロ゜*

\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄) ̄) ̄)))/ヤッター!!

どっがーーん!(正四尺玉あげてるつもり)

船岡ん交差点のこの看板もなくなってたし、みんなウレウレと山本方面から走ってきよる~~!!

ほんまに開通したよー!!
明日はバスも走るはずだ~。

あーん、長かったよ~。つらかったよ~。
待ち望んでいた日がついに来たよーん

春なのに~

2006年03月29日 16時45分00秒 | 小千谷(新潟)
つくし出ました。
(ぴんぼけ&近くにゴミw いい写真ではないですがw)





おばあさんが町を闊歩!
これも春の訪れを感じさせる光景です。
しかーし!




今日は雪です。
1時間ほど前から降り積もってきました。
スノーブラシは必携。
スノーダンプ片付けようと思ってたのに。
む・・・むむむ?



あっというまにアスファルトが白くなってきたぞ( ̄▽ ̄;)!!
風吹いてるので吹雪そう。
長岡まで車で出なければいけないのになんか億劫だなあ。


ブログをやって欲しい有名人ランキング

2006年03月29日 15時50分57秒 | 福山雅治
ブログをやって欲しいと思う有名人ランキング!
ってのがあったので
「どれどれ」
と思ってのぞいてみたら・・・。

いたいた♪

総合で4位。
女性では3位。

でもね・・・。










福山ってブログなんかやらないと思うw
それよりmixi派のような!!\( ~∇~)/
誰にもわからないIDで登録して「福山雅治コミュ」とか覗いて評価を気にしたり、女の子にフツーに話しかけてフツーの話をすることに「感じる」タイプじゃね?(^w^)

彼くらい「にんきもん」になると、ブログみたいなまどろっこしいことしなくてもあらゆるメディアでがんがん自己表現できるもんね。
むしろ!
福山は何をするのも「こっそりやりたい」んだと思うw

こっそり長崎に帰ってこっそり友達に会いたい。
こっそり映画なんか観てみたい。
こっそりひとりで旅したりバイクに乗りたい。
フツーの女の子と(キャーキャーいわれることなく)フツーの日常会話がしてみたい。
俺が福山雅治だってことバレないところで

「フツーの男子みたいなことしたーい!」

だと思うのですよw

だからね、ブログはいらんw
マイミクにはなってほしいけどww


福山雅治プロジェクト関係の方へ。
福山さんでがっつり大もうけしたいなら

◆福山雅治の声になるボイスチェンジャー(もちろん自分が言ってほしいことを吹き込んで萌えるw)
◆福山雅治を育てるたまごっちみたいな「ましゃっち」(←いうこときかなそうww)
◆福山雅治の言葉責めCD(最初から最後までず~っと言葉責めwwあ。でもさいごにはご褒美w)

これをつくって売りましょう。
大ヒット間違いなし!(^_^;)

【災害復旧工事】現在の県道117号線

2006年03月28日 11時15分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
県道117号線 本町~船岡間。
昨日の様子です。







噂の看板です(笑)3月31日には撤去される!と思いたい。







工事もラストスパート!と思いたいw







アスファルトが若い色になっています。
このあたりは被害が甚大で住宅の解体撤去、消雪パイプの工事など、大雪の中での作業は大変だったと思います。
船岡公園の下もまだまだ工事中ですね。
歩行者道路は低学年だけで歩かせるにはやっぱり危なっかしいかなぁ。





 

               

ちなみに昨年の2月はこうでしたからw
同ポジションですハイ。







さようなら。この進入禁止の看板w
郵便屋さん、もう右折しなくてもよくなりますね。




大分で震度5弱

2006年03月27日 13時30分27秒 | 新潟県中越大震災・地震
大分で大きな地震があったようです。
中越の人なら震度5弱がどれくらいかというのは容易に想像できます。

中越の人は震度5以上の地震を何度体験したでしょうか。
私は家族といっしょにいるときは気が張ってましたが、去年の夏、自宅でシャワーを浴びていたときの震度5弱はさすがに心臓がバクバクしました。
チビが心の病気になったのも突然きた震度5弱の余震が発端でした。

建物の被害だけではなく、特に感情を表現する手段が確立されていない子供の変化には十分気をつけてあげてほしいです。

卒園式

2006年03月25日 23時10分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
今日は卒園式でした。
一年前の卒園式では私のほうをチラチラ見て泣き出しそうな顔をしていたチビ。
地震で傷ついた心がなかなか元に戻らずつらい日々を過ごしてきたことを思い出すと、つい泣きそうになりました。

4-5日前、チビは高熱を出し、またあの頃のように夜中に絶叫しました。
「ママー!あーー!!!はやく!!!はやくきてー!!追いかけてよー!!あー!」
たまたま添い寝してやってたのですぐに抱きしめてほっぺを密着させ
「ママはここにいるよ。だいじょうぶだよ?」
と背中をトントンしたのですが興奮はおさまらず
「パパー!!パパー!!はやくきてー!あー!追いかけてよー!!」
と今度は父親をさがしました。
すぐに夫がかけつけてきて布団にすべりこみ
「パパいるよ。だいじょうぶだよ。ここにいるよ。」
と抱いてやり、チビはそのままスースー寝息をたてました。

高熱のときには必ずといっていいほど見る怖い夢。
それが地震とは直接関係はないかもしれないけれど、なにかあっても「パパとママが僕を守ってくれる。」と安心させることが大切だとチビが泣き叫ぶたびに感じるのでした。

卒園式の会場であるお遊戯室も1年半前は避難所になっていました。
玄関には携帯電話や電話がずらーっと並び張り紙がされふろしきを背負った帰宅困難者が出入りしていました。
しばらくは大きな余震も続いていましたし、あのやさしい雰囲気の保育園が緊迫した場所に変わっていたことなど今思うと夢でもみていたかのようです。

そんなことをぼんやりと思い出しながら「ふつうがしあわせだ」ということを窓越しに船岡山なんか見上げながら思うのでした。

チビにずっと愛情をかけてくださった先生がた、仲良くしてくれたお友達。
本当に心から感謝いたします。

ネット(mixi)のニュースでおやじさんご夫妻が地震で亡くなられたお子様の卒業式に出席されたことを知りました。
この思いはおやじさんご自身のブログ「おやじ」の塩谷日記につづられていますのでぜひこちらをご覧ください。

♪みんなともだち ずっとずっとともだち
この歌が一日中頭の中をぐるぐるしています。

春がきた

2006年03月24日 13時16分56秒 | 小千谷(新潟)
雪の塊の陰から顔を覗かせてました。
今夜のおかずふきのとう。
そろそろつくしも出てくるころ。
ウキウキがどんどん増えていきます。
おじいさんが畑の上の雪の塊を掘っていました。
そろそろ畑をはじめるためです。
アスファルトの上の雪は消えたけど、土の上はまだまだ1.5メートルくらいは残っています。

今日は小千谷小学校は卒業式。
気持ちよく晴れてよかったね。

春はうれしいけど
春休みはうれしくないw
早く新学期はじまらないかなぁ(^_^;)

旅立ちの刻

2006年03月23日 10時30分22秒 | 新潟県中越大震災・地震
ばーか。
なんで「これから発ちます。」ってわざわざメールすんだよ~。
全然平気だったのに「んなこと」いうからボロボロ泣けてくるじゃんよぉ。

送別会では「じゃーね。がんばってね!」と声をかける間もなく、あわただしくタクシーに乗って別れた。
しんみりしたら泣いちゃうのはわかってたのでドライに別れられて「あーよかった。」と思ってた。

たった一年のお付き合いだったけど、彼らとは楽しい思い出ばかり。
ある掲示板で彼らの先輩msudaさんがこのブログを見つけてくれたことが彼らとの出会いのきっかけとなった。

長岡技術科学大学 機械系修士2年 坂田泰宏君 沖野秀平君 和田晶子さん。

震災後にいちはやくボランティアにかけつけてくれた坂田君。
このブログの読者の中でも彼をご存知の方がいらっしゃるだろう。
3人は昨年の豪雪時に震災後の雪害を心配し、すのぱと隊長率いるスノー・パトロール隊の一員として吉谷・時水・桜町など小千谷市内を巡回し住民にパンフレットを配ってまわって注意喚起や声かけをした。
その後も山古志、塩谷、川口などさまざまな場所で地道にボランティア活動を続け、研究でも立派な成果を残した。(→修士論文発表会用プレゼンテーションファイルはコチラからご覧になれます)

◆ 坂田 泰宏
 「地震-豪雪複合災害の経験に基づく積雪期地震の被害想定」(PDF 144KB)
◆ 沖野 秀平
 「地震後の防雪施設の復旧履歴のデータベース化と道路被災度シミュレータの開発」(PDF 299KB)
◆ 和田 昌子
 「住宅用雪冷房システムの実用化研究」(PDF 669KB)


研究のためにアンケートをとり、小千谷市内の仮設住宅に何度も足を運ぶ坂田君。
そのアンケート回収率はなんと90%以上という驚異的な数字。
これもスノー・パトロールで住民の信頼を得たからこその数字だといえるだろう。

今年に入ってスノー・パトロール隊は交流を深めた吉谷のおばちゃんの顔をひょっこりのぞきに行った。
おばちゃんは大歓迎してくれて「まーまー寄っていきなさい。」とみかんやなんやといろいろ振舞ってくれたそうだ。
「消雪パイプが直ってよかったですね。」
「雪は今年はどうですか?」
彼らの言葉かけには愛がある。行き当たりばったりのボランティアではなく、去年のつらさを知っているからこその思いが言葉と笑顔ににじみ出る。

震災と豪雪のダブルパンチ。
ボランティアセンター解散・自衛隊撤去と去年1月ごろ私たちは心細かった。
被災者、とくに身寄りのないお年寄りにとっては「誰かが気にかけてくれている」という安心感は大きかったに違いない。

沖野君には個人的に大変お世話になった。
車がトラブるたびに助けてもらった。
嫌な顔ひとつせず駆けつけてくれてありがとう!おっき~。

和田ちゃんは紅一点。
めがねの似合う足のながーーーい女の子(憧)
技大生に交じっていたら男たちに同化するというカメレオン的な要素があるがwそこが和田ちゃんのいいところ。
いつも淡々とひょうひょうとしてる和田ちゃんが、そのキャラのままで修士論文発表・質疑応答をやってのけたときには「いいっ!!和田ちゃんいいっ!」って小刻み拍手をしたくなったw

彼らが社会人として旅立つことをとても頼もしく思う。
コブクロ レミオロメン スキマスイッチ・・・
カラオケでいろいろ歌ってくれたね。
どの歌も心に響いたよ。
また飲もうね。歌おうね。

それまで
GOOD LUCK!

和楽美の湯に行きました

2006年03月22日 00時05分59秒 | おやぢ家の人々
久しぶりに夫が休みだったので家族でえちご川口温泉「和楽美(わらび)の湯」に行きました。
ここの温泉は家から近いのと露天風呂が広く開放感があることでお気に入りではあったのですが、川口町民と町外の人に料金の差があって、町外の私らには「高っ!!」というイメージが強かったのでしばらくは敬遠していました。
それが今年2月から料金改訂で一律になったことを知り「行ってみるか」ということに。
大人600円ならまー普通だし出してもいいかなってね。

写真はロビーからのビューです。(小千谷方面を望む。露天風呂からもほぼ同じような眺め。なかなかオツでっせ。)

・・で、写真を撮ってると突然
(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!
と大歓声と大拍手。
「なに?なに??」と休憩所に駆けつけるとみーんなWBCに釘付けで
「こ・・ここはサポーターパブ?」
ってくらいの盛り上がりw
1点差まで追いつかれていた日本がイチローのタイムリーで打線再爆発!って瞬間だったみたいw

優勝が決まった途端みんなが「やれやれ、よかったよかった」と腰を上げお風呂に流れはじめました。

夫は飲んだくれて休憩所で座布団まくらにゴーゴーいびき。
おい!ちっせーのが3人いるんだよ!
育児放棄しないでちゃんと子供見ろよ!!(-_-メ;)

このおじさん・・・子供料金にしてほしい・・と思った休日でしたとさ。
はぁ┐(´-`)┌

福岡沖玄界地震から一年

2006年03月21日 00時57分19秒 | 新潟県中越大震災・地震
あの日のことはよく覚えている。
ちょうど東のイベント会場で復興シール販売のお手伝いをしていたときだった。
「福岡で震度6クラスの地震だって!!」
胸がざわざわした。
友人の実家は被害がないと知りひと安心したが、胸のざわざわはおさまらなかった。

突き上げられるような衝動にかられた。ほっとけなかった。
卒園式を終え、入学準備もそこそこ、私は福岡にとんだ。
カタガキもなにもない「しがない主婦」が福岡県庁に行ったところで何が変わるといわれた。
でも行かないよりはいいでしょ、と思った。

面会のアポをとり、中越の仮設住宅の資料と小千谷市民から福岡の方々への御見舞いメッセージをビデオテープにダビングしたものを九電記念体育館の責任者の方と福岡県庁へ届けてきた。
福岡の仮設住宅はちょうど建設にとりかかろうとしていたところだったので、中越の教訓を生かしてもらうには「時すでに遅し」だったが、小千谷の人たちが福岡の方がたのことを気にかけてますよ、ということは直接伝えたかった。
私たちが阪神淡路や台風で被害に遭った先輩たちに気にかけてもらえたことが本当に心からうれしく頼もしかったから。

玄界島の方々は中越のような切羽詰まった感じがなく、笑顔で避難生活を送っていたのでびっくりした。コミュニティがまとまって避難生活を送っていることに意味があるのだと思った。
中越では体育館に人があふれかえっておりペットは当然締め出し状態だったが、玄界島の方が避難していた体育館には隅っこにペットがいたのもびっくりした。

島民の方がたとひなたぼっこをしながら和気藹々とお話させてもらった。
あれは震災からちょうど一週間経った頃で、体育館に畳が敷かれる日だった。(これまたびっくり)
まだそれほど個人と個人のあいだで格差もなく、みんな同じに被災しているという状況だったように記憶する。
福岡では今も219世帯580人が仮設住宅で暮らしている。
島に帰りたいと願う人たちが全員帰島するにはあと2年はかかりそうだというが、それでも島に公営住宅と一戸建て用地を設ける計画だというから「ふるさとに戻れる」ということに関してはとりあえずはよかったと思った。

島で地震
山で地震。
同じようで全然違う。

去年の春、福岡のもつ鍋専門店「楽天地」さんからもつ鍋の御見舞いを頂いた。
新潟のほうが地震の被害はひどかっただろう、新潟の方は元気を取り戻されたのだろうか、と「いてもたってもいられず何かお役に立ちたかった」とのこと。
手書きで一枚一枚(内容もそれぞれ違う)お手紙も添えられていてジンとした。
今まで食べたもつ鍋の中でいちばん美味しかった。(このお手紙はずっと大切に保存しておきます。)

被災地リレーじゃないけど、こうして被災地同士が繋がっていたいなと思う。
そしてブログ人口がこの先どんどん増えていったらもっともっと簡単に情報交換や励ましあいができるようになる。

たかがネット。
されどネット。
温かい気持ちはずっとつなげてこれからもどんどんふくらませていけたらなぁと思う。

The Japan Journal に掲載されました!

2006年03月19日 15時51分18秒 | 新潟県中越大震災・地震

当ブログ「小千谷から(Ojiya Kara)」が海外向けの英文月刊誌The Japan Journal 4月号に掲載されました。
The Japan Journalは日本の政策、経済、産業、科学技術、文化、その他一般事情を、英語、中国語、スペイン語で紹介する月刊誌です。
日本の海外向け情報発信の目的で、内閣府、外務省、文部科学省など政府及び政府関係機関に購入してもらい、米国をはじめとする世界各国で幅広く配布されます。配布先は在外の企業、メディア、政府機関、教育機関など多岐にわたり、発行部数は3言語で約50,000部です。

「日本のブログ文化」について紹介する4月号の巻頭特集で私を含め7人が紹介されており、なんと!そのトップでとりあげていただきました~♪
☆(*^o^)乂(^-^*)☆ イヤッター!

ちょっと太ったね♪と言わないで。
お隣のページは栃東関ですからw

 「おぢやのおやぢママ」は↑こう表記されましたw

英語では Ojiya Mum
スペイン語では Madre de Ojiya
中国語では 小千谷・・←ダメだ「ママ」のとこが変換されない(^_^;)
「小千谷から」は「来自小千谷」っていうんだね。(□。□-) フムフム

これもひとえにブログ「小千谷から」をサポートしてくださった皆様のおかげ。
ブログ「小千谷から」は皆様といっしょに成長したブログです。
読者の皆様がいっしょに喜んでくださったらとっても嬉しいです(*^-^)

記事の日本語訳文を掲載させていただきます。ありがとうございました。

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「家族そろって食事ができること。ありがとう。おいしいねと笑って食べること。ありがとう」
2004年10月29日、「おぢやママ」(Ojiya Mama)のブログ「小千谷から(Ojiya kara)」(http://blog.goo.ne.jp/dorachan/)はこのような言葉から始まった。ちょうどこの一週間前、彼女の住む新潟県小千谷市はマグニチュード6.8の新潟県中越地震(Niigata Chuetsu Earthquake)に襲われていた。小千谷は震源地であったため、人口4万人の山間の町は、死者13人、負傷者800人、被害住宅1万以上、一時、避難する人が3万人に達するという大きな被害を受けた。
「その頃は、子供の心配や将来への不安などで、すごいストレスがたまっていていました。それを発散するために本音をブログに書き始めたのです」と「おぢやママ」は言う。「それと、マスコミでは伝えられない普通の主婦の暮らしを通して、小千谷で何が起こっているかを多くの人に知ってもらいたかったのです」
彼女は被害状況、余震への恐怖、子供のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の心配、ボランティアへの感謝などを率直な表現でほぼ毎日のように書き込んでいった。
「ただ単にきれい事を書くのではなくて、自分の良いところや悪いところも含めて記録していくことに意味があると思っていました。今読み返すと、落ち込んだり、元気になったりしながら心が復興していくのがわかります」と彼女は言う。
小千谷という被災地に住む主婦の本音を知る機会が一般のメディアではなかったため、「小千谷から」は思ってもいなかった反響を呼び始める。一日のアクセス数は1000件を越え、多くの励ましのコメントが集まった。
さらに、「おぢやママ」のもとに新聞社の取材、震災に関する原稿執筆、講演などの依頼が舞い込むようになり、今までの生活では縁の無かったジャーナリスト、大学教授、ボランティアといった様々な人々とのネットワークが急速に広がった。彼女は中越地震復興のためのイベントをボランティアとして支援するばかりでなく、昨年3月、福岡県で起きた地震で被害が出ると、中越地震の経験を伝えるために自ら現地へも飛んだ。
「誰かに必要とされる、認められるというのはとても嬉しいです」と彼女は言う。「ブログで人生変わりました」 
(取材 The Japan Journal 澤地治氏)
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毎日のこと

2006年03月17日 12時38分09秒 | 新潟県中越大震災・地震
春休み間近になりまして、子供が習字の道具だのピアニカだの持って帰るようになりました。
このところ大雪や雨が続き、今日なんてばすごい強風。
傘がまた壊れそうよ。

「ママ・・(船岡)山(超えるの)つらい・・」
息子がぽつりと言いました。

うんうん つらいだろうよ。
一年半早起きしてよくがんばったね!

4月になったら本町経由で通いたいという息子。
そうだなぁ。
災害復旧工事が終わって県道117号線が「子供が通うのに安全な道路」になればなぁ。
平坦な道から通わせてやりたいけど、今度はまた大型車両が両側通行するようになるわけで。
トラックやバスがびゅんびゅん通るようになったら歩行者道路がちゃんと確保されてないとそれもまた心配。
4月になって県道117号線が安全な道路に直ったかどうか確認しないと、まだまだゴーサインは出せないなぁ。

大人だけじゃなくて子供たちにとっても地震はまだまだ終わってないんだよね。
毎日がんばってる子供たち、ほめてやろうと思います。

ジャンボほだれ飴【さずかり】

2006年03月15日 09時48分11秒 | 日常
お待たせしました!
栃尾の奇祭ほだれ祭でお土産に売られていた【ジャンボほだれ飴】の写真。
まきこさんよりいただきました~ヾ(〃^∇^)ノ♪

まきこさんがなめてる写真もありますが
・・・・・コホン。
掲載できません(^_^;)

ほだれ飴。その名も【さずかり】
女性のしなやかな両手が添えられたパッケージがハイセンス(笑)

ちょっと見、トルコのカッパドキアを連想させます。

小千谷はですね。
「少子化?」「なに?」
ってくらい子供がウヨウヨ(笑)います。

このあたりでも不審者が出たりして世知辛い世の中になってきましたが、みんなでわいわい自然の中で子育て。
宝だね、こりゃ。

今年はたくさん赤ちゃんの顔が見られそうでうれしいよー♪
まきこさんにも子宝がたくさん授かりますよ~うに♪