マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

井戸尻考古館へ

2016年10月18日 | 歴史

 1014日から17日までの、34日の信州旅行から昨日帰宅した。今回の旅行の主たる目的は2つあった。大鹿村歌舞伎の観劇と中央構造線の“安康露頭”などの露頭を見ること。それ以外にも井戸尻考古館や我が別荘の廃墟跡や自由農園など訪れたいところが多々あった。
 参加者は妻の友人のTさんとWさんと、私達の合計4名。Wさんは1日遅れの参加だった。
 14日の813分、Tさん運転の「prius」車は我が家前に到着。まずは3名で自宅を出発。たてしな自由農園には3時間後の1113分着。農園直営のレストラン「808」(八百屋を意味するネイミング)で早い昼食を摂った後「井戸尻考古館」へ。(写真:神像土器)






 8月に購入した、滋澤雅人さん撮影の写真集『縄文の夜神楽』には井戸尻考古館所蔵の土器・土偶が3点が載っていて、その写真集を見て、是非その現物に触れたかったのだ。(『縄文の夜神楽』より:「神像土器」)

 
考古館の傍にある井戸尻遺跡は、1966(昭和41)年に中部高地を代表する縄文時代の遺跡として、国の史跡に指定され、長野県富士見町立の井戸尻考古館には八ヶ岳西南麓から発掘された縄文期の文化遺産が多数展示されていた。
 「およそ、5000~4000年前、この地方は中部高地から西南関東に展開した縄文文化の中心舞台だった。展示の中心は重要文化財の藤内出土品や、長野県宝の曽利遺跡出土品をはじめとする、その時代の土器と石器。最新の研究成果に立って当時の暮らしと、ものの考え方の再現に勤めています」と書かれていた。



 
曽利遺跡住居址から出土した土器の県宝「水煙渦巻文深鉢」は残念ながら出張中で複製しかみられなかったが、「人面香炉形土器」や、藤内遺跡から出土した重要文化財「神像土器」を見ることが出来て、私は大満足だった。(写真:水煙渦巻文深鉢」の複製されたもの)







 新たに知った土偶があった。坂上遺跡から発見された重要文化財で”始祖女神像”と名付けられた土偶だ。
 坂上遺跡は、JR信濃境駅の西1.4kmほどのところにあった、今から4300年前の遺跡で、1974(昭和49)年に、大規模な構造改革事業に先立つ発掘調査の際、8軒の住居址と数基の小竪穴が発見された。そのうちの一つからこの土偶は出土したが、「縄文のビーナス」や「仮面の女神」とは異なり、頭と上半身と下半身の3つに分割された状態での出土。結合してみると高さ23cmの大振りの土偶であったそうな。昨年、重要文化財に指定された。(写真:始祖女神像)

 ここで、館長小林公明氏の説を紹介しておきたい。「この地域の縄文文化の特徴は、狩猟だけでなく農耕文化を有していた点にある。鍬や草取り鎌など農耕に使われていたと考えられる農具が出土しています。」とあった。この点に関しては他の書物などを読んでみたいと思っている。



 
(人面香炉形土器)

 折角富士見町に来たのだからと、私たちが知っている菓子工房「キャトル・セゾン」に行きましょうかとTさんを誘うと彼女は大乗り気。そこで味わったアップルパイは食べきれない大きさで、持ち帰って夕食のデザートにしたほどだった。その後、諏訪の「角上」でお寿司と刺身を購入。
 この日は一日中快晴で、帰路途中、川沿いの道から、八ヶ岳の阿弥陀岳肩から上る満月2日前の月が眺められた。夕食は「
ハーヴェストクラブ蓼科アネックス」で。(写真:阿弥陀岳にかかる月:左肩は赤岳の稜線)

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