マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

中山道を歩く(行田→熊谷宿)

2017年02月21日 | 街道を行く

 中山道行の4日目、私たち一行3名は宿泊先「ホテル花湯の森」を後にして、籠原駅から行田駅へと向かい、前日のルート最終地点の熊谷堤からスタートした。中山道が堤の上を通るとは想像していなかった。熊谷堤はさくらの名所であるらしい。
 早朝の土手歩きは気分爽快。右手には行田の町を、左手には荒川河川敷を見下ろしながらの歩み。右写真に見る如く「海まで72.0Km」の表示は、この地点が東京湾から72キロ上流にあることを示すもの。この様な標識が400m毎に立てられている。国道17号線には100m毎に道路標識が立てられていることを思い出した。間隔は何故500mでなく、400mなのか?私はそういったことが気になってしまう性質だ。まだ国土地理院に問い合わせてはいない。








 堤を下り久下源八地蔵尊前を通過。英泉画「熊谷」には、この地蔵様が画の右端に描かれている。(写真は最下段に)

 更に進むと街道は再び元荒川に急接近する。もうここは元荒川の源流地点なのだ。よ~く考えれば中山道を歩めば、この源流地点を通過し“ムサシトミヨ”に再会するはずであったが、全く忘れていた。元荒川の清流は眺められたが、魚の姿は小さい故に肉眼でムサシトミヨを見ることは出来なかった。(写真:ムサシトミヨと元荒川)







 6年前に知ったことだが、ムサシトミヨはトゲウオ科の珍魚で、今ではここ元荒川の源流にしか生息していない。冷たく、綺麗な湧水を水源とする細い川で、水草が繁茂するところにのみ生息するそうだ。その時に訪れた保護センターは2004年に作られ、2008年には元荒川源流は名水百選に選定された。




 
 (左:熊谷市のマンホール蓋にはムサシトミヨが)

 第六中山道踏切を越えると熊谷宿。大きな宿であったはずなのに、「本陣跡の碑」が建てられているのみで「本陣跡」は何処にも見当たらない。「本陣跡」の立看板を読んでいると、傍らで立って看板を見ていた人が語り掛けて来た。「大空襲でみんな焼かれてしまったのですよ」と。そうだ、ここ熊谷はポツダム宣言受諾後、敗戦の日の未明の大空襲で町の大半が焼失したのだった。アメリカ軍が酷いのか、日本政府に非があったのか。敗戦が確定的な状況下での大空襲。惨いことが強行されたのだ。











 
更に進み行くと熊谷寺。”熊谷寺”と書いて“ゆうこくじ”と読む、熊谷次郎直実が庵を結んだ寺だが、寺内には一歩も入れない。『浪漫の旅』には「・・・空襲後、寺と市に行き違いがあり、今も境内への立ち入り禁止である」と書かれている。敗戦後、間もなく72年が経過しようとしているに未だ立ち入り禁止のまま。私たちは外から寺の外観を眺めるしか出来ないが、それは見事な建物のお寺様だ。






 その先に、世にも珍しいものが待っていた。デパート内の通路が中山道になっているのだ。「八木橋百貨店」の通路が中山道!!。熊谷空襲後に八木橋百貨店が中山道の土地を買収し、新店舗を建てたそうな。敗戦直後のドサクサの時期だからこそ起こったことか。それは兎も角、そんな珍妙な痕跡を今現在味わえることは楽しい。店内の行灯には「中山道」・「熊谷宿」と書かれ、出入り口には「旧中山道跡」の碑が建っていた。
 熊谷には本陣跡は残っていなかったが、「熊谷寺」と「八木橋百貨店」に熊谷大空襲を起点にした痕跡が残っていた。

  

 
 
                (英泉画:熊谷宿)


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