マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

銭湯絵師 中島盛夫の仕事

2013年01月22日 | 銭湯

 1月17日(木)、勤務帰りに、福寿会の二人と落ち合い、後楽園ボウリング⇒銭湯「菊水湯」⇒80円ビールと廻った。菊水湯では、昨年6月22日に、銭湯絵師中島盛夫が壁画として描いた立山連峰を初めて観た。一昨年の暮れに「ふくの湯」と「つるの湯」に富士山を描いた中島盛夫である。富士山や松島の絵は何度も見ているが、立山の絵は初めてである。「つるの湯」の場合と同じように、湯船に浸かって番台方向を見ると壁画が眺められるという趣向で、男湯と女湯にまたがって大きく、一幅の山岳絵が描かれていた。
 ただこの日は入浴した時間が17時少前で、湯気が立ち込めていて、良い写真が撮れなかつたので、21日(月)に再度訪れ、15時30分に扉が開くと同時に入場し撮影した。立山連峰の見事な姿が広がっていた。雪を冠した峰々が美しい。海岸近くの視点で描かれているが、これは多分想像上の視点と思われる。富山湾越しに見る立山の雪景色は殊更に美しく、特に氷見からみる景色は絶景とされる。私の想像では、この絵は氷見から見た富山湾越しの構図だ。




 山の名前が入った連峰の写真を持参し、壁画と比較して、どこが剣岳かを調べて見た。やはり想像していた様に、ピークが一番高い峰が劍岳(上の写真で、一番高い松の右上のピーク)
で、その右側に別山、左側に小窓と大窓。
 立山連峰の雄大な山の絵を見ながら、薬草湯にのんびり浸かれる菊水湯、今まで以上にこの銭湯が気に入った。(写真:富山湾の向こうに雪の立山連峰と言う写真)





 さて、日本で二人しかいない銭湯絵師の一人中島盛夫、11月18日の朝日新聞にも紹介されていた。記事に曰く『10月下旬の昼間。東京都世田谷区の京王線明大前駅近くの「松原湯」で、中島盛夫さん(67)がハケを壁に走らせていた。飯舘村の大倉地区で生まれた彼は、「飯舘が放射能のことでこんなに話題になるなんて。悔しい」と語り、 昨年秋、飯舘村を訪れた。5年ぶりの故郷。「家はどこもカーテンが閉まり、人がいない。ゴーストタウンみたいだった」と語った。 震災から1年の今年3月11日、東京の日比谷公園であった復興支援の催しに参加。キャンバスに3時間ほどかけて村の山と川を描いた。「田園風景や空気が早く元に戻ってほしい」という願いを込めた。』 とある。

 彼は今、日比谷で描いた絵を写真に撮ってパネルを作り、避難中の村の人たちに配る計画を知人と練っているそうだ。「仮設住宅などの風呂の壁に飾った絵を見て、もとの飯舘村を取り戻そうと思ってもらえればうれしい」と語る彼の思いが叶うとき、今度はどんな記事が載るだろうか。