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飢餓者続出、弾薬なし伝染病の蔓延の中でも「 断じて行えば鬼神も避く 」か

2016年12月27日 23時32分06秒 | 戦争

 

戦争ほど無残な事は無い

 「 断じて行えば鬼神も之を避く 」は当時の
カリスマジャーナリストの「 徳富蘇峰 」氏が
東条英機 」氏に送った書である。

 私めは戦争を知らない時代に生まれた

非常に運の良い人間である。

戦争に纏わる記事はロシア戦争の203高地攻略
と題して先日にも上げたが、ハッキリ言って
今の平和な日本とは比べようが無いくらいに、
人が人として扱われる事はない。

 「 段階ジュニア( 或いはイチゴ世代 ) 」と言う
戦争を知らない世代では有りながら、
戦争の持つ悲惨さだけは骨身に染みて実感できる。

私めは体験したことがない「 サバゲー 」や
戦争を題材にしたTVゲームなどとは、
まるで訳が違う悲惨さなのは、銃弾に当たれば
当然痛みを感じる生身の人間だからであろう。

 あなたが戦争を体験された世代の方か
どうかは存じ上げないが、ある日
突然「 戦争へ来い 」と言う1枚の召集令状( 赤紙 )が
届き、強制的に戦場へ駆り出されたらどうだろうか?

その瞬間から、あなたは人間扱いされず
一兵隊として上官から鉄拳制裁の洗礼を
浴びせられた上に、敵陣への特攻を命じられたら
発狂する人間が居ても不思議ではない。

ただ、1つ思うのは
自国の防衛と抑止力の為の自衛隊は必要だが
戦争は、すべきでない
という一見矛盾した思いを抱きつつも、
前人木を植えて後人涼を得
もまた真実なのだなと、しみじみ感じた。

無謀でズサンだったインパール作戦は失敗

 これは太平洋戦争( 第二次世界大戦 )の話しで
戦場は遠くインドにも及んだ。

インパールはビルマ、インド国境の小さな町だが
3個師団の日本軍が、ここの標高2千メートルあまりの
アラカン山脈を越えて3方向からインパールを
包囲せしめんとする完全に無茶な作戦で、
第15軍司令官「 牟田口廉也 」中将は
これを強く主張した。

 しかし幕僚や貴下の師団長は山岳地帯での補給は
難しいと見て反対し第31師団長の「 佐藤幸徳 」中将も
無謀だと反対していた。↓

 が、大本営は昭和19年1月7日の
「 大陸指第1776号 」で太平洋での相次ぐ痛手から
抜け出し戦局を打開するために、これを許可した。

これには「 寺内寿一 」南方軍総司令官の思惑が
強く働いたとされる。

更には、この作戦に反対していた小畑参謀長や
稲田総参謀副長がそれぞれ突然、更迭されたことからも
この作戦に異を唱える者は居なくなって行ったのである。

 大本営は昭和19年1月7日の大陸指第1776号で、この
インパール作戦( ウ号作戦 ) 」を許可、決行を指示した。

 作戦期間は3週間で1944年昭和19年3月8日作戦開始。

20日分の食料と弾丸240発のみを兵士は持たされ
イギリス軍の拠点のコヒマまでは到達し戦闘の上
英軍は降伏したが、この時既に第31師団の食料は
尽きようとしていた。

 この後、連合軍側では空輸作戦で増援部隊、
食料や戦車までをも投下した事で
日本軍の進撃は止まった。

 この時点でもアメリカ軍を始めとする連合国側の
圧倒的な軍事力の格差が歴然としている。

さらにイギリス軍は鉄道を破壊し
日本軍の補給路を断った。

これでアラカン山脈で日本軍の兵士達は孤立し、
栄養失調に陥ったがジャングルの野草を食べて
命を繋いだのだった。

しかもコレに加えてチフス、アメーバ赤痢、マラリア、
コレラなどの伝染病が兵士たちを犯し始めた。

 この状況を鑑み、佐藤第31師団長はコヒマから
補給地点までの一時退却を兵士達に指示し、
牟田口司令官に食料の補給を電報で要請した。

しかし補給物資は、おろか1粒の米も届かず
ただ「 インパールを攻略しろ 」との命令が
届くのみであった。

無茶苦茶な言い分の牟田口司令官

 そして、牟田口司令官は佐藤師団長に向かって
この様に言い放ったのだ。

貴師団が補給の困難を理由にコヒマを放棄せんとするは
了解に苦しむ所なり。
なお10日間、現体制を確保されたし。
しからば軍はインパールを攻略し、
軍主力を以って貴兵団に増援し
今日までの貴師団の戦功に報いる所存なり

断じて行えば鬼神も避く

(-_-;)「 は? 」何をか言わんや、とは正に
この事であろう。

「 断じて行えば鬼神もこれを避く 」って.....
無茶を言うにも程がある上に
軍命令が現状と余りにも「 隔絶 」している。

食料補給なし弾丸の補給も無し伝染病が蔓延している状態だっ!
つってんのに、「 精神一統何事か成らざらん 」的な事を
よくもまぁ言えたもんだな、とつくづく思う。 

この言い分に対して佐藤師団長は、こう返答している。

この重要方面に軍参謀をも派遣し非ざるを以って補給皆無。
傷病者続出の実情を把握しおらざる者の如し。
状況に於いては師団長独断で処置する場合あるを承知されたし
。」

いや、「 当然至極 」の返答で有ろう。

別に故人を批判する意図はないが、大体この
インパール作戦自体がハナから無理な話しだったのだ。

 5月の雨期、佐藤師団長は命令に逆らう形で
コヒマからの無断退却を決めた。


これが初めての上官からの命令を無視したという形で
佐藤師団長は、その職を解かれたが、7月始め大本営は
インパール作戦の中止を決定した。

しかし退却後も食料不足のため、餓死者が続出し
その沿道には日本兵の死体が無数に転がっていた。

これを追撃したイギリス軍は、この惨状を目の当たりにし
日本兵の白骨街道 」と呼んだ。

ちなみに牟田口司令官もインパール作戦の失敗を受けて、
8月には第15軍司令官を首になり、参謀本部付けとなっている。

今の平和な日本は当たり前では無いのだ

 この牟田口中将が戦後も死んでいった兵士達に対する
懺悔はおろか、「 あの作戦は私のせいで失敗したのではなく、
無能な部下たちが原因 」だと語っていたと言う事だが、
何分、故人なのでコレ以上は言及しない。

 しかし、このインパール作戦で尊い命を落とされた
兵士の数は餓死者や病死者も含めると実に
12万3000人~13万7000人にも及ぶとされる。

いまの日本が平和を享受していられるのも、
数々の好条件が幾重にも重なっているからだと、
以前の記事で申し上げているが
やはり諸外国に比べれば幸運であろう。

 そう言えば、戦争を体験された方が
どうすれば今後、戦争を防ぐことが出来るか
と言う事を仰っていた。

それは
日本国民の1人1人が世界の各国で今どの様な事が
起きているか、そしてその国の人達がどの様に感じ思い、
何を考えているかを知ることが大切だ

と言う様なニュアンスの事を言っておられた。
( YouTubeで拝見させて頂いた。)

 少し固い話しになってしまったが、
「 人間同士が殺し合う戦争は無残 」である。

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