何しろ1日1投稿がモットーの瓦版ブログです♪

2014年6月8日、日曜日YouTubeにgooボタンが付いていたので登録♪継続は力なり!を最優先。内容は投げやりかも。

スピニッヂ・パワー時代の氷室京介EP

2017年06月06日 23時59分59秒 | 

 

ホットサマーレイン1980

 きょうは、あの「 氷室京介 」氏【 56 】の
所属していた大人気バンドBOØWY【 ボウイ 】の
ヴォーカリストで有った事は誰でも知っているし、
Wikipediaにも記述されている。

KYOSUKE HIMURO -KISS ME-

だが.....!?

ウィキペディアにも載っておらず、
殆どの方は存じ上げないだろうが、
BOØWY以前に氷室京介氏は
寺西修一 」のクレジット名で
スピニッヂ・パワー 」( SpinachPower )
という名前のバンドの三代目ボーカリストを
されていた時期がある。

( 外国のバンドspinash powerでは無い )

 何度も削除されている当時のTV映像は
現時点でニコニコ動画に上がっているが、
スピニッヂ・パワーの意味は
「 ほうれん草の力 」とかいうことらしい。

TOP画像は、その時にリリースしたEP版の
アナログ・レコードドーナッツ盤であり、
ヤフオク!で運良く8000円くらいで落札出来た♪^^

 当時の所属事務所名は長戸大幸氏【 69 】が
設立したビーイングでヒムロックこと寺西氏【 氷室氏 】は
二代目のボーカルだった織田哲郎氏が在籍していた頃から
コーラスで参加されている。

であるから、氷室氏の初デビュー作は
スピニッヂ・パワーのEP盤
「 BORO・BORO・BORO 」である。↓

http://emiya626.exblog.jp/5662075/

織田哲郎氏がメインボーカル、森下詩音氏が
コーラスのボロボロボロだが私め、実は
このレコードも持っているが、
どこに氷室氏のコーラスが入っているのか聴き取れない。

イーストウェスト‘79のレコード

 それでは、さらにこれより前の時期に
氷室氏が組んでいたバンド名を御存知だろうか?

ボウイ時代の松井常松氏【 56 】も在籍していた
5人組の「 デスペナルティ 」で、ヤマハ主催の
全国ロック・コンテスト「 EASTWEST‘79 」に
出場した時の「 ブルーシガレットラブ 」
( 後のCHU-LU-LU )が、氷室氏がメジャーデビューを
果たす前に唯一、音源化されているLP版である。
( これも持っているが買ったのはヤフオク!で、
こちらも運良く8千円ほどで落札できた♪ )

氷室氏はこの時、自身の本名である「 寺西 修 」で
出場されていたが最優秀賞は、うじきつよし氏【 59 】
率いる「 こどもばんど 」であった。

ちなみに、後のBOØWYのギタリズム.....じゃなかった、
ギタリストの布袋寅泰氏【 55 】は、
「 ブルー・フィルム 」というバンドに所属しており
関東甲信越ブロックの決勝で氷室氏率いる
デスペナルティに敗北を喫している。

 ドラムを担当されていた、まこっちゃんこと
高橋まこと氏【 63 】はスピニッヂ・パワーから
暴威に加入した木村マモル氏と入れ替わる形で
後から加わった唯一、福島県出身のBOØWYメンバーである。

JUST A HERO(紙ジャケット仕様)
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今日の〆の和歌を詠む♪【 短歌57577 】

「 あのボウイ
布袋氏語る
音楽で
飯が食えたの
最後の二年 」

布袋寅泰「これが俺の運命なんだと思ったのはやっぱ、氷室京介…さんと…」BOØWYの結成から解散までを語る TR 4/7

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音痴を治す3つの方法とは

2017年05月30日 23時59分59秒 | 

 

あなたのオンチを7日間で治す

 「 ハッ!? 」(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!
と寝過ごしたので投稿時間を30日に直して
投稿する裏ワザ使用( 笑 )

さて、あなたは極度のオンチに悩んでいますか?

もっと歌が上手くなりたいと心から願っていますか?

そこで、今日は
あなたが極度のオンチなら3つの修正ポイントを7日で改善
する無料のメール・レクチャーの、ご紹介。↓

http://seaside-horizon.com/s-karaoke/

歌が上達しない3つの理由とは?

1.音程をとることが苦手、音が外れてしまう 

2.リズムをとることが苦手、リズムに乗れない

3.高い音・低い音を出すための発声が苦手

ここを改善するためのアドバイスを10日間に渡って、
無料で、あなたにメール講義。

オンチに悩む、あなたは是非どうぞ。^^

LPの中の動画は再生できませんので、あしからず。

今日の〆の和歌を詠む♪【 短歌57577 】

「 カラオケを
仲間と歌う
オンチでも
いいじゃないかよ
にんげんだもの 」

※ 「 じゃ 」で一拍【 1文字 】

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吉川晃司「 キャンドルの瞳♪ 」を推すわけ

2017年01月23日 23時56分29秒 | 
お題「冬ソングといえば?」に参加中!

 

中学生の頃、陶酔した名曲

 またまたgooブログの「 お題 」に
参加させて頂く事にした。

今日のテーマは「 冬ソングと言えば? 」であるが、
曲自体は「 懐メロ 」のカテゴリーに入ろう。

以前にも当「 瓦版ブログ 」で、ご紹介させて頂いた
歌手・俳優の「 吉川晃司 」氏のアイドル時代に
リリースした名曲である。

キャンドルの瞳 吉川晃司

 発売は1986年の1月1日でSMSレコード
( サウンズマーケッティングシステム1988年に事業解散 )
からのリリースであった。

売上枚数は20.7万枚で、吉川氏が7枚目にリリースした
7インチレコードのシングルである。

奇しくも同日に発売された新田恵利氏の
「 冬のオペラグラス 」に1位を奪われ、
オリコン最高順位は2位であったが
当時中学生だった私めは、この曲の持つ
ビートの効いたポップス系のロックサウンド
のみではなく、吉川氏本人の
独創的なダンス 」にも心を奪われていたのである♪

 

 余談では有るが、YouTube 動画って、共有して
リンク貼っても「 Nofollow属性 」なので、リンク元の影響は
受けないとされているが動画自体は削除される
可能性のあるTVコンテンツ動画のシェアである。

 作詞は「 安藤秀樹 」氏、作曲は「 原田真二 」氏。

NHKの紅白歌合戦の、あの事件の翌日に発売

 「 キャンドルの瞳 」の発売日が1986年の元旦であったが
吉川氏は、その前日の1985年12月31日に行われた
NHKの「 第36回NHK紅白歌合戦 」に出演されていた。

問題の事件は、ここで発生した!

 持ち歌「 にくまれそうなNEWフェイス 」を引っさげて
シャンパン片手にトップバッターで威勢よく登場した吉川晃司氏。

自身の曲が歌い終わって次の出演者の
河合奈保子氏が出てきて彼女の曲「 レビュー 」の
演奏が始まっていても、ステージから下がろうとは
しなかった。

そればかりか、「 当時の業界に対する反逆の意志 」を
表明するために、ギターに火を付けて燃やし
床に叩きつける暴挙に及んでしまったのである。

この時の映像もYouTubeで見たのだが、
一瞬とまどいを見せる河合氏の表情が一瞬
ムッ! 」としているのがハッキリ分かる。

結果として、吉川氏はその後河合奈保子氏に謝罪し、
NHKからも十数年に渡っての出入り禁止という
厳しい沙汰を受けている。

事務所側とレコード会社の政治力で決まる各賞

 吉川晃司氏は、この事件を起こした動機としては
「 若気の至り 」であったとしながらも
当時の業界は全てが政治力に拠って各賞などが決まる
出来レースだった 」事から、この様な悪弊に対して
反発した結果としている。

 まさに吉川晃司氏の「 反骨精神 」そのものであるが、
レコード大賞などに関しては本当に、この様な「 裏取引 」
に拠って決められていくという話しは聞いたことが有る。

吉川氏の純粋な気持ちは理解出来るが、結果として
周囲の無関係な共演者にまで迷惑を掛ける形になってしまった
「 意思表示の仕方 」は間違っていたなと私は思った。

今では、「 雨降って地固まる 」では無いが、和解したのか
吉川氏もNHKの大河ドラマなどで好演されているのは
周知の通りである。

 しかし、結局は全ての業界は「 人間の集団 」で
出来上がっている、と言う事なのではなかろうか。

吉川晃司氏が当時の
公明正大ではないインチキな出来レースの業界
に自身の正義感からキレていらしたと言う事は、
もし太平洋戦争の最中に生きていたとしても
国民を騙していた大本営の嘘八百の戦果発表ラジオ放送
にも、同様にキレていたに違いない。

紫陽花や きのふの誠 けふの嘘 ( 正岡子規 ) 」

あじさいと言う花は美しいが、それは不安定なもので昨日の真実も今日では幻となる。

以上。(つ∀-)オヤスミー♪

キャンドルの瞳
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【 動画 】吉川晃司 氏の独創的な踊りに魅せられた少年時代

2016年11月30日 19時28分05秒 | 

バタフライの動きから来ている独特の動き

 ミュージシャンと言えば、最近は「 チャゲアス 」の
ASKA氏が覚せい剤の再犯だとかで世間を騒がせている。

が、この関連の記事はトレンドブログにでも投稿するとして
今日は昨日の記事の中でもお伝えした
吉川晃司 」( きっかわこうじ )氏( 51 )に付いてである。

ちなみにTOP画像はYouTubeに投稿されていた
「 雨上がりの非常階段♪ 」を歌っている吉川晃司氏の動画
( 現在では削除されている )を参考にして
「 挿し絵スタジオ2 」なるツールを用いて描いた物だが、
いかがだろうか?^^;

 削除されない動画だと、この様な企業が投稿している
公式チャンネル 」の、ものになろう。↓

LIVE DVD&Blu-ray 「 KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live "SINGLES+ RETURNS"」ダイジェスト映像

 ただし、最近の吉川晃司氏は以前に
ヘルニア 」を発症しているため、アイドル時代の時の様な
「 激しい腰振り 」のダンスは、滅多にやらなくなってしまった。

しかし、アイドル時代には無かった彼の名物わざ
シンバルキック 」は健在である♪^^

 中学校1年のとき、昨日の記事でもお伝えした
「 にくまれそうなNEWフェイス♪ 」と言う曲でベストテンに
ランクインしている時、TVで踊っていた彼の斬新な踊りは
衝撃的であった。

その時から今まで吉川晃司氏のファンである

 確かに踊りもかっこ良かったが何しろ彼独特のクリエイティブな
ダンスに少年の私めの心は鷲掴みにされたのだった。

その時代は「 ニセ吉川 」が町には多数、出現し猫も杓子も
「 黒ずくめのジャケットにロングコートと真冬のサングラス 」
と言う出で立ちであった。

無論、中学生だった私めも、その格好には憧れたものだが
当時からの人気は今でも健在である。

 私めが高校に上がると、元BOØWY( ボウイ )の
布袋寅泰( ほていともやす )氏とCOMPLEXなるユニットを結成し
一躍大人気に。

COMPLEX解散後も、根強いファン層の支持を受け続け
現在に至るのは、サスガというほか無い。

あまり人の集まる場所が好きではない私めだが、
彼のコンサートだけは、何度か行かせて頂いているし
大満足の行くものだった。

 ちなみに余談では有るが、今から20年以上前に
職場の先輩達と一緒に現在、覚醒剤の再犯で逮捕された
ASKA氏の「 チャゲ&ASKA 」のコンサートにも行っている。
(^O^;)

丁度、ドラマの主題歌にもなった「 SAY YES 」が
270万枚のセールスを記録していた
絶頂期の頃だったと思うが......

やーっぱりマイBEST1の吉川ダンスは、これだっ!!

 いまから28年前の1988年、COMPLEX結成前の
武道館でのコンサートを収録したライブビデオ
「 ZERO 」の「 ラヴィアンローズ♪ 」が秀逸だ。↓

LA・VIE・EN ROSE 吉川晃司

 

 上の作品自体は個人的には非常に気に入って居るのだが
なにせ市販品からのアップロードコンテンツ。

なので、更に一段上の公式動画の様に埋め込みはせず
「 rel=nofollow 」属性のHTMLタグで括らせて頂き、
万が一動画を削除されてもペナルティの影響を受けないように
配慮した。(-_-;)

 閑話休題。

見どころは、3:43~3:58頃までの
足技である。(;・∀・)

暗くて見ずらいかもだが、この足の動きがどうなっているのか
分からないくらいに「 神わざ 」では、なかろうか。

 モチロン、上の動画を上げたのは私めではないが、
このライブビデオはVHSもLD( レーザーディスク )も
ヤフオク!で落札しているのだった~( 笑 )^^

人の内面は外からじゃ、なかなか分かんねぇもんだ

 吉川晃司 氏は、1984年2月1日のデビュー以来
一気にスターダムを駆け上がった逸材である。

無論、所属事務所のナベプロこと渡辺プロダクションが
3億円もの広告費を掛けて売り出したとは言え、
やはり「 素材 」が光っていたからこその成功であったかと思う。

この辺は、以前に中森明菜 氏の記事を打った時にも
同じことを述べさせて頂いた。

 しかし、吉川晃司氏自身は当時の自分に対して
本気かどうかは分からないが、「 田舎から出てきたイモ兄ちゃん 」
自分で自分のことが嫌だったから酒を呑んで忘れる様にしていた
と、ご本人が述べているのだった!

 テレビなんか見ていると、「 向かう所、敵なし 」的な
雰囲気を漂わせていたが、外から見てると心の中までは
なかなか分からない物である。

今後も頑張って、ご活躍され続ける事を切に願ってやまない。

【早期購入特典あり】KIKKAWA KOJI Live 2016 
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【 動画 】`80年代に一世を風靡した中原めいこ氏は今?

2016年11月29日 23時47分29秒 | 

 

TOP画像は以下のサイトからの素材で作成した。↓

「 君たちキューイ、パパイヤマンゴーだね♪ 」

 私めも含め、アラフォーのオッサン達が熱狂した
若かりし頃と言えば、「 昭和時代 」であろう。(^_^;)

アイドル全盛期だった、1980年代、1人の女性シンガーの
中原めいこ 」氏( 57 )の曲が個人的には大のお気に入りで、
今でも作業用BGMとして良く流している♪^^

 記事タイトルは「 ソイヤソイヤ! 」と歌ってた気合いが売りの
一世風靡セピア 」の事では無いので念のため(^O^;)

ラテン系のエスニック調と言おうか、シティ・ポップスな曲調自体が
ニューミュージック風で有りながら、アップテンポなナンバーばかりで、
私めが好きな曲ばかりだ。

 そんな中でも、彼女の最大のヒット曲と言えば、言わずと知れた
君たちキューイパパイヤマンゴーだね 」だろう。

1984年、カネボウ化粧品の夏のキャンペーソングにもなった、
この曲こそ中原めいこ氏の真骨頂とも言える作品ではないのか。↓

中原めいこ 君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね

 このYouTube動画もテレビ番組からのアップロードだが、
彼女の音楽動画は、今だに消されたコンテンツを見たことがない。

しかし、モチロンTV局やレコード会社に目を付けられたら
削除は免れないだろうが。

 余談だが1985年のカネボウ化粧品の夏のキャンペーソングは吉川晃司氏の
にくまれそうなNEWフェイス 」で、彼独特の他のアイドル歌手には無い
独創的な「 踊り 」が非常にカッコよかった。

http://blog.goo.ne.jp/donmaru41/e/b193a8599808b4b44d676f870145e44d

 その吉川晃司氏は当時はアイドル歌手であったが、中原めいこ氏は
アイドル歌手と言うよりはユーミン氏や竹内まりや氏、中島みゆき氏の様な
シンガーソングライター 」的な位置づけだったように思うのだ。

 彼女自身は子供の頃からアイドル歌手を目指していて、
自身の華の無さ 」に気づき挫折した経緯がある。
( ウィキペディアより抜粋 )

2012年に自身のアルバムを再発してから音沙汰なしか

 で、前置きが長くなったがココからが本題である。(^O^;)

中原めいこ氏自身も1992年の日清パワーステーションの
ライブを最後に、その後も他のアーティストへの
楽曲提供を行っていたが、BEST盤の再発を除き、
ファンサイトでも、2000年以降の活動は報告されていない。

ココナッツ・ハウス
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 「 早見優 」氏や「 西村知美 」氏、「 ビビアン・スー 」氏
「 少年隊 」「 チェキッ娘 」等へ楽曲提供を、されているが
ファンサイトでも1999年10月20日に発売された
「 BEST MEMORIES 」と言うCD2枚組のアルバムが
他アーティストへの最後の楽曲提供で有った、と綴られている。

 もともと期間限定での活動をしていた「 チェキッ娘 」も
1998年の結成から僅か1年での解散となったが、
このBEST MEMORIESのアルバムは彼女たちの2枚目にして
最後のアルバムである。
( その後、1日だけの再結成や、再会コンサートはあり )

 中原氏は、そのCDアルバムのDISC1の11曲目に収録されている
アニマルサマーの夏が来る! 」の作曲を担当されており、
「 NEOちゃっきり娘 」が歌っている。
( チェキッ娘のユニット?かどうかは本題から外れるのでググってネ )

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才能は間違いなく有った!がユーミンになれなかった訳とは

 1980年代のミュージックシーンを席巻していてのは間違いなく、
当時の人々は、間違いなく記憶に残っていよう。

が、そんな非凡な才能の持ち主の彼女も、
1991年10月30日リリースのアルバム「 ON THE PLANET 」は
チャートインすらせずに、BEST版などを除き、最後のアルバムと
なってしまった。

 同じ女性シンガーソングライターのユーミン氏などと比較しても、
決して引けを取らない実力の持ち主の彼女が、
一体どうしたのかと他人事ながらに考える事がある。

「 余計な、お世話様 」だと言われれば、それまでだが
彼女のアップテンポなシティ・ポップスの新曲を、
また聞いてみたい気がするのは、私め1人だけではないはずだ。

決して熱烈なファンという訳ではないが当時、子供心に印象深かった
夜のヒットスタジオ 」で歌ってた曲を、あなたにご紹介したい。↓

Meiko Nakahara, "Yakimochi-Yaki RHUMBA BOY" [live]

 で、小見出しのユーミンになれなかった訳など、
音楽業界の事情通でも無い私めがいくら考えても、
分かるわけがない。(^O^;)今日は、以上。

 ※12月8日追記

 彼女の懐かしい動画をYouTubeで見ていて思うのは、
本人が自覚している通り観客からはアイドル歌手の様に
「 ワーワーキャーキャー 」と観客席から黄色い声援を
送られるステージでは無いと言うこと。

ノリノリのナンバーでも観客は淡々と静かに手拍子を
送っているだけなのだが、これもまた彼女の個性であり
持ち味なのだろうと思ったので追記した。

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