何しろ1日1投稿がモットーの瓦版ブログです♪

2014年6月8日、日曜日YouTubeにgooボタンが付いていたので登録♪継続は力なり!を最優先。内容は投げやりかも。

ペンは剣よりも強しの名言を具現化した小説「 不如帰 」

2017年06月21日 23時48分48秒 | 歴史上の人物

TOP画像:黒田清輝「 不如帰口絵 」国立国会図書館
デジタルコレクションから転載( 保護期間満了 )

あまりにも哀れな犠牲者「 大山捨松 」氏

 YAHOO!急上昇キーワードで、ここ何日か上位に表示されていた
不如帰 徳冨蘆花 」。( ほととぎす:とくとみろか )

不如帰(ほととぎす)/ 土取利行(唄・演奏)

このネタでトレンドブログを早速したためたが、
この記事選定は遅きに失して、全然アクセスが集まらなかった~。(^_^;)

それはそうと、この記事を作成していて思ったのは
ペンは剣よりも強し 」という名言がイギリスに有るのだが、
これを地で行く悲惨な出来事を具現化した小説が
作家で小説家、徳冨蘆花氏の「 不如帰 」なのであった。

Hototogisu first edition cover cropped.jpg
By 不明 - http://www.sosui.net/hototogisu/kaisetu.htm, パブリック・ドメイン, Link

まず、「 ペンは剣よりも強し 」の言葉を残した
エドワード・ブルワー=リットン氏。↓

Edward bulwer-lytton.jpg
パブリック・ドメイン, Link

この名言の意味する所は以下に引用させて頂く。

( 以下「 Wikipedia 」から引用 )↓

「 独立した報道機関などの思考・言論・著述・情報の
伝達は、直接的な暴力よりも人々に影響力がある 」

( 引用ココまで )↑

つまりこれは、インターネット・メディアでも言える事なのだが
ペンで書き記した出版物は戦闘、軍事の武器で有る剣よりも強い
影響力 」を世の中に与える事が出来る、という意味。

決して悪意は無いものの、これを具現化してしまったのが、
「 小説不如帰 」であり、この物語の仲で事実無根の悪人に
仕立て上げられ、その影響をモロに受けた被害者が
陸軍大将( 元帥 )大山巌氏の後妻、
大山捨松 」氏だったので有る。↓

Sutematsu Oyama later years.jpg
By 不明 - http://vcencyclopedia.vassar.edu/index.php/Princess_Oyama, パブリック・ドメイン, Link

 ざっくりと、あらましをご説明させて頂くと、
明治31年に小説家の「 徳冨蘆花 」氏に拠って
國民新聞に掲載、上梓された小説「 不如帰 」は
フィクションで有りながらも実在の人物を
モデルに、していた作品だと言われる。

Tokutomi Roka.jpg
By http://www.minamatacity.jp/jp/ijin/ijin.htm Minamata city's cite, パブリック・ドメイン, Link

ざっくり説明させて頂くと、不如帰の中で登場人物となる
浪子の継母 」のモデルが大山捨松氏だった。

 その継母はシンデレラの母のように意地悪な
人物設定で、肺結核を患い嫁ぎ先から追い返されてきた
浪子 」を疎ましく思い、邪険に扱って離れに住まわせ
浪子は結婚相手の事を慕いつつも死んでゆく、という
悲劇のストーリー仕立て。

ちなみに登場人物の悲劇にヒロイン浪子のモデルが
大山巌陸軍大将の先妻との間に生まれた長女
大山信子 」氏であったと言われている。

http://bit.ly/2sYNvuZ

 徳冨蘆花氏に拠って描かれた小説に拠って
事実無根の悪人に仕立て上げられた大山捨松氏は、
あらぬ誹謗中傷の的に、されて不幸を味わった。

誤解の無きように、ここで真実を申し述べるが
大山氏の長女、信子氏が嫁ぎ先で肺結核に羅患して
離婚させられたのは本当らしいが実際の捨松氏は、
そんな信子氏を優しくいたわり、看病するなどして
愛情を注いだのだとか。

 ちなみに、この話しを知った捨松氏の友人
津田梅子 」氏は病気を理由に離婚を迫った信子氏の
嫁ぎ先の三島家に直接、抗議に行ったとされる。↓

Tsuda Umeko.gif
パブリック・ドメイン, Link

蘆花氏は悪意は無かったものの、なぜ小説の中では
捨松氏のモデルとなった継母を悪役に仕立て上げたのであろうか?

( 以下「 ウィキペディア 」から引用 )↓

「『 不如歸 』の小說は姑と繼母を惡者にしなければ、
人の淚をそゝることが出來ぬから誇張して書いてある 」

( 引用ココまで )↑

この事はトレンドブログでも綴ったが、
ネットで例えるなれば要はアクセスを集めて
売り上げを伸ばすための戦略なのである。

だが、コレは作家や出版社のみの責任では無い。

小説で有ることを知りながら勝手な勘違いをして
モデルとなった人物、捨松氏に誹謗中傷の手紙を送りつけた
浅はかな民衆にも責任はある。

結局それから19年後、捨松氏が晩年になって亡くなる間際に
ようやく、公に蘆花氏は謝罪したのだという。

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今日の締めの和歌を読む♪【 短歌57577 】

「 ほととぎす
小説ながら
悪者に
被害食らった
捨松夫人 」

※ 「 しょ 」「 っ 」で一拍【 1文字 】

不如帰 (岩波文庫)
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小林多喜二の死因は特高警察の拷問

2017年06月10日 23時55分29秒 | 歴史上の人物

 

TOP画像は以下のサイトからの素材で作成した。↓

「 共謀罪取締法 」成立への危機感あり

 10日のブログを11日の夕方17:29から打ち始める。( 笑 )

「 蟹工船 」などのノンフィクション小説でお馴染みの作家
小林多喜二 」氏【 満29歳没 】は自身の作品「 一九二九・三・一五 」で
多数の共産党員が理由なき逮捕で特高警察に囚われ凄惨な拷問を加えられた
とするプロレタリア文学に根ざした著作を発表した。↓

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)
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 その作品が1933年当時の「 治安維持法 」による危険思想の
取り締まりの対象として戦時戦中に存在した
特別高等警察 」の怒りを買い、特高のスパイの罠に
はめられて捕まり、激しい拷問の末、29歳の若さで死んだ。

特別高等警察、いわゆる「 特高 」は終戦の1945年に
GHQに拠って廃止されたが、その前は軍警察の憲兵と並んで
日本国民の思想や集会を取り締まる組織で、
鬼の思想弾圧を行っていた機関として恐れられていた。

( 以下「 Wikipedea 」から引用 )↓

特別高等警察は、国事警察として発足した
高等警察から分離し、 国体護持のために
無政府主義者、共産主義者、社会主義者
および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を
査察・内偵し、 取り締まることを目的とした
大日本帝国の政治警察である。
「 票読み一つ誤らない 」と恐れられた緻密さを持ち、
ことに戦時中は「 銭湯の冗談も筒抜けになる 」とまで言われた。

( 引用ココまで )↑

 警視庁特別高等部検閲課による、
検閲事務の様子1938年( 昭和13年 )↓

Censorship TMPD.png
By 内閣情報部 - JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06031060900、写真週報14号(国立公文書館), パブリック・ドメイン, Link

小林多喜二氏の本はamazonで購入した。

 さて、この事に関連して最近気になるニュースが飛び込んできた。

( 以下「 JIJI.com 」から引用 )↓

共謀罪 」の構成要件を改めた
「 テロ等準備罪 」を新設する組織犯罪処罰法改正案が
5月29日午後の 参院本会議で審議入りした。
政府・与党は2020年東京五輪・パラリンピックに
向けたテロ対策に不可欠だとして、 今国会成立を確実に
するため6月18日までの会期の延長を検討している。

( 引用ココまで )↑

 この「 組織犯罪処罰法改正案 」案が問題視されているのは、
純粋にテロを取り締まるのが
本来の目的ならいざ知らず、これが拡大解釈されると
戦前戦中の日本国民の思想信条を弾圧してきた
「 治安維持法 」の再来にならないか?と危惧する声が
有るからである。

戦後70年 表現の自由が弾圧された当時の様子を語りました。(15/08/19)

テロは許される行為ではないから、これを未然に防ぐ事は
欠くべからず大事では有るし、これを未然に防ぐための
法整備も喫緊の課題ではある。

不肖この私めは共産党支持者では無いが、しかし.....

  まさか、とは思うけど戦前戦中の様に
「 共産党員 」という理由だけで、不当に逮捕された挙句に
拷問死などという間違った暗黒歴史の再来だけは
絶対に防がなければならない。↓

http://lite-ra.com/2017/04/post-3053.html

今日の〆の和歌を詠む♪【 短歌57577 】

「 法案化
日本国民
見守ろう
民主主義なら
独裁監視 」

※ 「 しゅ 」で一拍【 1文字 】

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薩長同盟の六ヶ条を分かり易く解説する

2016年12月12日 23時32分51秒 | 歴史上の人物

 

学の無い私めは「 候文 」が意味不明で候

 さて、ここ連日の作業で取り組んでいる、
薩長同盟提案書 」であるが、今日は病院に行って
リハビリの日だったので、まだまだ完成は
しておらんぜよ~。(^O^;)

 もう少し、お待ち下されい。

 で、「 薩長同盟提案書 」を、色々とググりながら
学んでいく上で当然の成り行きとして、「 薩長同盟 」が
締結されたあとの慶応2年1月23日付に木戸孝允( 桂小五郎 )氏が
薩長同盟盟約六ヶ条覚書 」とした書簡を、したためた事が分かった。

 その書簡を受け取って読んだ坂本龍馬氏が慶応2年2月5日付で
裏面に朱筆で確認のサインをしたのち、木戸氏に返信している。

しかし「 」のない私めは、この古文体の様な
候文 」( そうろうぶん )で、したためられている
六ヶ条の条文を読んでも、訳ワカメに候。

無論、TOP画像の様な候文も、なんとな~く
戦う時には二千人の藩兵を出してね♪ 」
っつー感じの大筋の意味は読み取れるのだが、
細かい部分まではサッパリである。

で、今日はこの問題を解決すべく、ググって
知ることが出来た情報を、全てあなたにシェアさせて頂こう。^^

 ちなみにWikipediaから拝借した原文は、全てコピペすると
Googleから「 重複コンテンツ 」扱いにされるのが怖いので、
( コレばっか )全て画像データでの掲載とした。

薩長同盟六ヶ条と龍馬氏の裏書きまで解説

 さて早速、盟約六ヶ条の最初から見ていくことにしよう。

1つ1つ、詳細に説明させて頂くが、実はこれの書簡自体は
薩長同盟が締結された時に書かれたものでは無い。

 薩長同盟が締結された2日( もしくは1日 )後になって、
チョット心配症な長州藩の木戸孝允( 桂小五郎 )が、
この書簡をしたためて、坂本龍馬氏に確認の意味で裏面に
朱筆でのサインを貰っている。

 大まかな内容としては
あらゆるケースで同盟を結んだ薩摩藩は長州藩と協力して
江戸幕府と戦おうね!きっとだからね
? 」
的なニュアンスだ。

この書簡を確認した龍馬氏が裏面に
同盟を結んだ薩長同志の約束は、神に誓って
この内容と九牛の一毛ていどの間違いも無いよ
。 」
とした意のサインをしている。

 それでは、TOP画像の薩長同盟六ヶ条の
最初の解説から参る。↓

 ちなみに六ヶ条自体は、全て条文の冒頭には一、と言う漢数字が
書かれているが、ここでは分かり易く解説するために、敢えて
一~六までの漢数字を振った。

では、次の条文である。↓

 解説:「 戦で長州の勝利がみえた時には、長州の
政治的復権のために薩摩藩は朝廷に申し出る様に尽力すること。」

 次、どんどん行きましょうドンドンと。↓

 

 解説:「 万が一、長州の敗色が濃くなった場合でも
一年や半年で壊滅するようなことはないので
その間、薩摩藩は必ず尽力し協力すること。」

 それでは、その次。↓

 解説:「 幕府軍が東へ帰った時は薩摩藩は朝廷に申し上げて、
すぐに長州藩の無実の罪が解かれる様に尽力する事。」

いよいよラスト2になってきた。↓

 解説:「 薩摩が第一条により京に近い国々に出兵して
圧力を加えた上でも、京の政権を制圧している一会桑政権が
現在の様に朝廷を牛耳った上で薩摩側の要求を拒み、
その道をさえぎる時は最終的に彼らとの
軍事的対決に至る覚悟以外は無い事を長州に対し表明する。」

 で、この条文がラストになりまーっすぅ。↓

 解説:「 無実の罪が解かれた上は、薩長両藩は
誠意をもって協力し合い、今日より双方は皇国のため
天皇の威光が輝き、回復することを目標に
誠心誠意を尽くして尽力すること。」

 ってな感じで、以上が「 薩長同盟盟約六ヶ条 」の
画像引用と、詳細の解説になり候。

まぁ毎回毎回、言い訳する訳でも無いのだが
不肖この私めは「 歴史学者 」では無いので、
細かい部分では相違点が有ろうかと存ずるが、
大まかな解釈は出来ている筈なので、
仮に間違いが有っても目くじら立てずに候。

 それでは最後に龍馬氏に拠る裏書きのサインを。↓

 解説:「 書簡に記入された薩長同盟6カ条は、
小松帯刀( こまつたてわき、清廉“きよかど”とも )、
西郷隆盛の両氏および木戸貫治(孝允)、龍馬も同席して
話し合った内容なので九牛の一毛ほども、これと相違ない。
将来に渡って決して変わる事が無いのは、
天地神明に誓う所である。」

と言う解釈になる。^^

 しつこいようだが、薩摩藩士であった小松帯刀( 清廉 )氏は
私めの祖先では無いwww

薩長同盟の密約を締結した時には京都に有る
清廉氏の屋敷内で、密談を交わしたというが
Wikipediaからの画像をリンクしてみると、
こんな感じの方である。↓

 

http://bit.ly/2gFeg0J

 本当は共有リンクをHTMLソースコードで
貼り付けたかったのだが、それが無かったので、
興味が有る方はクリックかタップをしてみて。^^

維新の十傑 」の内の1人でもある小松氏は、
龍馬氏に勝るとも劣らぬ度量の持ち主だったそうで、
同じ薩摩藩士の西郷隆盛氏が試そうとして、
わざと部屋で横になり、彼よりも身分が高い小松氏を待っていた所、
現れた小松氏は腹を立てる事もなく、
家臣に枕を持ってこさせたという。

 この1件以来、西郷氏は小松氏に対して己の非礼を詫びた上で
以後、忠誠を誓うようになったという。

幼い頃から親の愛情に恵まれずに育った小松氏だったが、
寛容な人柄で人望も厚かったため、若くして薩摩藩の
重職に抜擢された。( 同じ小松でもココまで違うかwww )

 ちなみに「 維新の十傑 」には、てっきり「 坂本龍馬 」氏も
入っているものだと思って居たのだが、まさかまさかの
圏外 」!(;・∀・)

あそこまで日本の未来の為に死力を尽くして奔走した挙句、
最期には暗殺と言ふ悲運の死を遂げた「 明治維新 」の
スーパー立役者 」とも言ふべき龍馬氏がカヤの外とは......
チョットいたたまれないよなぁ.....(-_-;)

でもなんか龍馬氏自身は、こういう名誉だとかには無関心な
思考の持ち主な感じが見受けられるので、仮にいま
生きていたとしても「 そげなもんは、いらんぜよ~♪ 」とか
言いそうな気も、するんだがwww

「 薩長同盟提案書 」もうしばらく、待つこと候。^^

幕末の志士 龍馬とその時代 第8巻 “明治維新の原動力” 薩長同盟締結 (【図説】日本の歴史)
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講談社

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命と引換えの滅私奉公を行った坂本龍馬と由井正雪

2016年12月11日 21時45分12秒 | 歴史上の人物

 

誰もが認める人並み外れた度量の大きさ

 「 薩長同盟提案書 」は、もう「 ちっくと 」で完成なので、
あいや待たれい。(^O^;)

TOP画像も、私めが作成したプレゼンテーション用の
画像からの拝借で有るが、この薩長会談を乗り越えて
大政奉還を実現させた坂本龍馬氏は、その後
無念にも何者かによって暗殺されてしまう。

 これに関しては、先日の記事でも詳しく綴ったので
ココでは割愛させて戴く。

しかし、その大政奉還を発案していたのは、
龍馬氏の師匠( メンター )の勝海舟氏だったと言われている。

また、薩長会談自体は仲介する立会人の龍馬氏が
出て来る前にも物別れに終わっては、いるが
木戸孝允( 桂小五郎 )氏と西郷隆盛氏との間で
会談は行われていた。

それにしても皆々が口を揃えて龍馬氏を評価するのは
己の自分の事よりも“日本の未来を第一義に考えて”行動した
点に尽きる。

 龍馬氏は色々と人によって評価が分かれるが、
人間的なスケールの大きさ 」だけは
百人が百人とも褒め称えている所である。

普通に考えれば、人は誰もが基本的に
自分 」が一番カワイイものである。

口だけ番長 」なんて蔑視語があるが、
私めも含め普通の凡人などは普段から
どんなに立派な事を言っても、イザ!という時には
自分自身を第一に考えるものである。

モチロン、我が子の事にでもなれば親の無上とも言える愛で
動く人は、大勢いらっしゃるだろうが、
日本の未来を構想として練り上げて実現させ、
暗殺されても国の行く末を第一義に考える人が、
果たして、どれだけ居るのだろうか。
( 龍馬氏本人は、まさか自分が暗殺されようなどとは
夢々思っていない素振りを見せている様だが )

 政治家の先生方だって無論その職務上、
国や地方自治の事を考えては居るだろうけれども、
それにはまず「 自分自身が選挙に当選する事 」が大前提の筈で、
自分は選挙に落ちてただの人になろうが野垂れ死になろうが、
日本の未来が明るくなれば、それでいい
。」
なんて心から考えている人なんて先ず居ないのでは無いか。

坂本龍馬のファンかと問われれば、そうでもないかな

 歴史上の偉人で好きな人に「 坂本龍馬 」氏を挙げる人は
かなり多い気がする。

龍馬氏と聞いて、すぐに連想するのが芸能人の
「 3年B組!金八先生 」で、お馴染みの「 武田鉄矢 」氏で
彼は自身のフォークグループ名も「 海援隊 」と名付けるほどに
大の龍馬ファンで知られる。( Wikipediaで確認したので間違いない )

 ここまで色々とググるのみで得た情報だけを元に
当「 瓦版ブログ 」でも記事を投稿させて頂いたが、
確かに非凡な人間で有ったのは事実である。

無論、明治維新を実現させたのは彼1人だけの
力に拠るものでは無いが、ここまでの英雄はそうはいないし
正直、私め自身も感服する偉人である。

ただ個人的に「 好きか 」と言われれば、
特にそんなことも無い、と言うのが正直な感想である。

子供の頃“歴史マンガ”を読んでグッ!と来たのは

 特に意識して大ファンと言う程でもないが個人的には
由比正雪 」( ゆいしょうせつ )氏が印象深い。

己の保身よりも、社会問題化していた禄を失った
浪人たちの身を案じ、最後は「 慶安の変( 由比正雪の乱 ) 」
で自身のクーデターが密告されて、自害した哀れな最期は
複数の刺客によって暗殺された龍馬氏と似ている様な気もするが、
その時、歴史マンガを読んでいた私めは子供心に思わず
「 ウルるるッ! 」と感動してしまった記憶が有る。( TДT)

 由比正雪氏も龍馬氏と同じく、当時の幕政に拠る
厳しい武断政治によって虐げられていた数多くの浪人たちを
救済すべく、徳川幕府の転覆を狙って決起したが
奥村八左衛門の密告により、クーデターが幕府側にバレて
最終的には奉行所の「 追っ手 」によって囲まれ、
御用寸前となり志半ばにして自決した。

慶安4年( 1651年 )7月26日、早朝の事である。

 しかし、この事件が契機となって徳川幕府は、
それまでの武断政治から文治政治へと政策を転換し、
かつ浪人の対策にも本腰を入れる様に
なって行ったのである。

本来は優秀な軍学者でもあった正雪氏は
大名家や徳川将軍家からも士官の誘いが来ていたが、
彼はそうしたオファーを全て断って軍学塾を開き、
多数の塾生を集めていた。

 また、そうした士官を断って行き詰った浪人たちの
救済に奔走した正雪氏は多くの共感を呼び、
徳川政権を批判する人達が多く集まったという。

 この辺りの「 滅私奉公 」たるマインドセットは
坂本龍馬氏と共通していようが、私めも含め
なかなか凡人には真似の出来ない偉業であろう。

 それでは、また「 薩長同盟提案書 」の作成に取り掛かろうかと。^^

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新政府綱領八策の〇〇〇は徳川慶喜公

2016年12月10日 16時02分31秒 | 歴史上の人物

 

坂本龍馬の暗号〇〇〇の中に入る文字は

 「 薩長同盟提案書 」を作成していく中で、それよりも後に
坂本龍馬氏自身が書いたと言われる「 新政府綱領八策 」の
中の一文が「 秘密の暗号、龍馬コード 」だとか言われる中で、
コレは謎解きでも何でも無い事が分かった。
( そげな事よりも早く「 薩長同盟提案書 」を仕上げるぜよ )
(^O^;)

それでは、結論から参ろう。

この「 〇〇〇自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ 」の◯の部分には
「 ( 徳川 )慶喜公 」の名前が、大政奉還成立後の翌日に
戸田雅楽( とだうた、維新後「 尾崎三良 」おざきさぶろう )氏
と共に作成した「 新官制擬定書 」の職制案として、新政府の
人事案にシッカリと明記されていたのである!

 それでは何故に、わざわざ「 〇〇〇 」などと
クイズ番組の問題に出て来る様な、まどろっこしい
書き方を龍馬氏は敢えて、したのか?

 理由は、ただ1つ。

最初から「 内大臣( 盟主、副関白、今で言う内閣総理大臣 )には
徳川慶喜公 」と明記してしまうと当然、龍馬自身が薩長同盟を結んだ
倒幕派の薩摩藩と長州藩が黙っては、いないからだ。

龍馬氏自身は、「 神妙に“大政奉還”を受け入れた 」慶喜公を評価しての
選定だと言われているが、薩長同盟を結んだ薩摩、長州両藩だけでなく、
周りからも「 盟主、徳川慶喜公 」となると
「 は~?大政奉還までさせておきながらTOPが一緒じゃあ、
これって今までと一緒じゃーん! 」
などとブチギレされるのは目に見えている。

 そこで混乱が起きないように時勢に配慮して、
この様な表現を使ったのであろう。

西郷隆盛氏に人事構想を進言した時には

 龍馬氏は、この明治新政府の人事案を
薩長両藩にも具申しているのだが、
この時点では自分の名前は入れていない。

TOP画像に載せた「 新政府綱領八策( 船中八策が素 ) 」を
見せつつ、明治新政府の人事案を具申した所
西郷氏は龍馬氏の名前が入っていない事に驚いたという。

そこで、何故入っていないのかと尋ねると、
「 ワシは入らんぜよ 」と言ったとか。( 理由を聞いてんだけど )

これは妻の「 お龍 」氏にも
「 役人には、なりたくない 」と言う旨を語っているとの事。

 しかし、「 参議 」の項目に龍馬氏の名前が有るものと
無いものと数種類あり、戸田雅楽( 尾崎三良 )氏は幾つかの
人事案を持っていたとされる。

ちなみに西郷氏に、「 ワシは世界の海援隊でもやりますかいのう 」
などと語った逸話は有名だが、これは後世の創作の可能性も有る。

明治新政府の新制官擬定書、職制案人事の一覧

 以下の通りである。↓

関白 ( 天皇を補佐する役目 )「 三条実美 」氏

内大臣 ( 今で言う首相、最高責任者 )「 徳川慶喜 」氏

議奏 ( 有力大名や藩士から選出 ) 有栖川宮嘉彰親王( 宮家 )
有栖川宮爛仁親王( 宮家 )山附宮晃親王( 宮家 )島津忠義( 薩摩 )
毛利広封( 長州 )松平春嶽( 越前 )山内容堂( 土佐 )鍋島閑叟( 肥前 )
徳川慶勝( 尾張 )伊達宗城( 宇和島 )

参議 ( 政治手腕が有れば登用 ) 坂本龍馬氏( 土佐、脱藩は赦免済み )
西郷隆盛( 吉之助 )氏( 薩摩 )桂小五郎氏( 後の木戸孝允、長州 )
後藤象二郎氏( 土佐 )岩倉具視( 公卿 )東久世通禧( 公卿 )
大原重徳( 公卿 )小松帯刀( 薩摩 )大久保一蔵( 薩摩 )
広沢平助( 長州 )横井小楠( 肥後 )福岡藤次( 土佐 )

 と、言う顔ぶれなのだが、サイトによって大分バラツキが有るので
細かい点は気にせずに( 笑 )

 まぁ結局、坂本龍馬氏は、このあと暗殺されてしまい
ケイキ様こと慶喜公は首相に、なることは無かったが
明治に入ってからは不自由のない隠居手当を元に趣味に没頭し、
明治35年( 1902年 )には貴族院議員に就任している。

 ちなみに徳川幕府最後の将軍となった慶喜公は、
ここ茨城県の水戸藩出身なのは今日ウィキペディアにて
初めて知ったのだ、が。(^_^;)

夕飯食ったら、これからまた「 薩長同盟提案書 」の作成に
取り掛かろうかと。

今日は以上で。^^

幕末・維新人物伝 徳川慶喜 (コミック版 日本の歴史)
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