しんくうかん

この地とともに。

第128話 「それはわたしにとって!?」

2016-10-14 09:45:40 | 日記


「丸くなったねェ―、角が取れた」と、言われるようになったのは60代の頃からか。

家族は、「ずいぶんやさしくなった―」、女房は「仏様になったようだ―」と。でもそれって、<わたしにとってはどうなんだろう?>と、ときどき考える。

もともとすごい我がままで、思い通りにいかないとムカッ腹が立って治まらなかった。身内だとなおさらで、誰彼かまわず八つ当たりする。分かっていても抑えられず、そのことで“相手がどれだけ傷つくか”など考えることもなかった。
ところがここ数年、カッと、こころの内から沸き出す激しいあの怒りが、どんどん薄れていくのが自分でもわかるのだ、実に不思議なことである。
考えられる原因はある。ひとつは、色々と覚えておくということができなくなり、すぐに忘れることである。例えば、嫌味たらしいことを言われ反対されても片っ端からどこかへ飛んで、“記憶にとどめておくことができないのではないのか? ”ということ。
もう一つは、言い返そうと思っていてもすぐに言葉がでない。何と言おうかと言葉を探すうちにどうでもよくなり、少し経つとほとんど忘れてしまうことである。また腹が立たないと、<こんな風に思っていたのか?気が付かなかったな>と、相手のことを思う気持ちが湧く、するとなおのこといじる言葉が出ないのだ。
まあ、善いのか悪いのかはわからないが、いまは、わたしのこころのなかも周りもとても穏やかな空気が漂っている。
ただ困っていることもある。それは朝のトイレ。
かつて、子供たちがいたとき家族は6人、トイレに入っていると必ず誰かが「早くしてェー」と叫ぶ。すると最中のわたしは激昂、「隣のばぁちゃんとこへいけぇ―」と、それですべてが解決した。
しかし今は違う、2人しかいないのに…。もともとトイレの長いわたしは、齢とともに“出そうでなかなか出ない”ことが多い、そんなときまた考えて仕舞うのだ。
<あっ、女房奴我慢して待っているんでないか>と、するといま出そうだったのが引っ込む。医者は「力んだら駄目だ!」と云うので、時が来るのをゆっくり待ちたいのに渋々トイレを出る。そんなときは何とも気分がすぐれない。
しばらくしてまた入るのだが、ドアの外でばたばた足音がするとまた<あいつまたしたくなったのか―>と…。

やさしくなったことが“善いことなのか―”わたしにはよくわからない。場面的には、複雑な心境に陥ることのほうがいまは多い。

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