しんくうかん

この地とともに。

第154話 「バカヤロー。その1」

2017-06-30 17:14:59 | 日記



18歳の誕生日を迎えてまもなく運転免許証を取得、でも家に車はなかったので運転経験がないまま、写真技術を学ぶため上京する。

父方の実家は、乳牛の売り買いを生業としていて千葉に拠点を構えていた。当時はまだ、周囲に牧場や畑が広がっていたからだ。都内のアパートに住んでいたわたしは、まもなくして休みのたびに祖父に呼び出される。営業で取引先の牧場を回る祖父の運転手である。
ペーパードライバーが突然都会の道を運転するわけだから、とんでもないことである。しかし祖父はそんなことはお構いなしだ。
田舎の人間からすると考えられないほど狭い、実家横の脇道を、何度もハンドルを切替し本通りに出る。うねうね走るアスファルト道路の両脇に、隙間なくビルや家並みが続くなかをものすごい数の車が、クラクションを鳴らし行き交う。国道へ出るともう車の洪水だ。
公道を走ったのは、自動車学校での路上試験。でしかも、十勝、帯広の碁盤の目に区画された田舎道。行き交う車も少なく、渋滞なんて見たことも聞いたこともなかった若者が一気に大都会での運転である。
前もうしろも右も左も車、車、車の中に埋まってしまったわたしは、高鳴る鼓動と極度の緊張で失神寸前の状態だ。
突然祖父は、そんなわたしに「ここを右に曲がれ!」。しかし、次々と向かって来る対向車で右折できない。気が付くと、うしろには車がつらなっている。そのうちに信号が赤に―。何台目か後ろの車が窓を開けて“ばかやろー早くいけぇー”。
「ウワーどうしたらいいんだ」パニック寸前のとき、対向のトラックが止まり“行け行け”と指で合図している。会釈し、曲がるとき目に入ったのは信号下の右折禁止の標識。
そんなことを何度も繰り返し、何軒も牧場を回って夕方実家に戻る。もうくたくただ。
車が玄関先に着くと飛び出してきた叔母は、「よく無事に帰った。なんでもなかったかい」。
何軒目かの牧場でバックしたとき、入り口の門柱に後のバンパーをぶっつけて少しへこましたくらいで、おおきな事故もなかったのは幸いだった。
晩飯がすんで祖父が寝床に入る。と、すかさず将棋盤を持ち出した叔父は「みつひろやるぞ」、そして駒を動かしながら「どうだった…」。
―こっちの人は親切だな。間に入れてくれたり、先に行かせてくれたり― 「そりゃーナそうしないとすぐに渋滞になっちゃうからだ」 ―それにしても爺さまはよく道を知ってるな― 「あぁこの辺の牧場は全部爺が原付で回って開拓したからな」 
―め、免許もってるのかい― 「無免許よ!排水へ突っ込んだり、道路下にてっくり返ったりして、なんども引っ張りに行ったもんだ」。

「明日は8時には出るぞ」と、寝床から爺さまが叫んだ。

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