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第149話 「移ろい」


叔母が亡くなって初七日が過ぎる。癌が見つかったときはすでに転移していて、医者は「高齢という事もあり手術はできない」―と。で、なすがままに入退院を繰り返していた。

 もっとも80歳を過ぎ、十分に人生を謳歌した。でも、「身内がまた一人減ったな」と思ったのだが―、通夜の席でイトコが、「嫁に出した娘が里帰り出産で無事生まれ、これで孫3人になった」という。で、なんとか帳尻はあった。
家族葬で執り行いその夜は、「少ない親族なのに家族以外は誰も泊まらない」と、叔父が寂しそうな顔をしていたので抗がん剤服用中の身で不安だったが、わたしは泊ることにしたが、立派な葬儀場は都会のホテルそのものだった。
50代そこそこでなくなった義父も同じ町に住んでいたが、その時代と比べると雲泥の差。義父の葬儀は、まだあちこちに残雪が残る早春、公民館で執り行った。板張りの内部はベニヤを張り巡らし、部屋の隅に石炭ストーブを置いた簡素な作りで、当時はそれがふつうだった。
でも親戚縁者は30人を超え、びっしりで座る場もない。諸事情から、皆から祝福されずに勝手に女房と入籍したわたしは不心得者と白眼視 (自分だけ思っていたのかもしれないが) 、玄関口近くの隅で遠慮がちに、2歳になる長女を膝にのせ座っていた。
シバレが解け、雪どけと相まったドロドロの建物前の道、お坊さんの読経を耳に、玄関ぐちに雑然と脱ぎおかれた泥がこびりついた長靴を見ていた。

その夜は、従弟家族3人と久々に遅くまで話した。
もう55歳になったという従弟は、「ここの葬儀社の社長とは小学校の同級生なんだ」そして「当時は“そうぎや葬儀屋、線香臭い”と皆に馬鹿にされていたけど今では…」と。
広い洗面台を真ん中にトイレとシャワー、バスタブつきの部屋は、テレビが供えられた線香番の控室も併設されている。そしてこのような葬儀場をあちこちに建て、今や地域社会の立派な葬儀社である。
翌日行った火葬場も、明るくモダンでとても火葬場とは思えない造りだった。
「これじゃおいそれと、お化けも出られないな。土台雰囲気が合わない」そう思った。時の移ろいは、想像つかない。
若いころの想像は、老境近くなって振り返ると、予想とはかけ離れたものが大半。

“所詮人間の考えることなど知れたもの”そう考えると、「今更この歳で」と、これからやろうとすることの不安に覆われていた自分に、ふつふつとまた自信がわいてきたゾ。

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