活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

見つかったキリシタン史料に思う

2014-01-28 10:12:52 | 活版印刷のふるさと紀行
 2,3日前の日経朝刊の文化欄に「キリシタン禁圧大量の史料」という見出しで江戸初期から幕末までの日本のキリシタン取締りの史料がバチカン図書館で大量に見つかった話が掲載されていました。

 昭和の初年から戦後の50年代まで大分で布教していたイタリア人神父が収集した臼杵藩がらみの1万点にも及ぶ文書だということで、この4月から日本とイタリアの共同調査が始まるというのです。

 日本最初の金属活字の印刷「キリシタン版」はキリシタン禁圧の高まり以前で姿を消しておりますからおそらく時期的には見つかった史料はそれより50年近くあとのものだと思われますがどんなものでしょうか。

 ただ、私が興味を覚えるのは文書の多くが臼杵と関連しているらしい点です。臼杵というと石仏を連想する人が多いかもしれませんが、私はすぐにキリシタン大名大友宗麟と日本に活版印刷の持ち込みを企画したイエズス会のアレサンドロ・ヴァリニャーノのことを考えます。

 ヴァリニャーノは同じ九州のキリシタン大名の大村純忠や有馬晴信からも協力を受けていますが、いちばん距離が近かったのが大友宗麟だったと思います。ヴァリニャーノが布教計画を相談し、宗麟は他に先駆けて、宣教師養成のためのノビシャード(修練院)を臼杵に、コレジヨ(大神学校)を府内に建てることを許しました。また、天正少年使節の派遣直前にも臼杵に長逗留していますし、信長の謁見も宗麟の斡旋によるものと思われます。

 日・伊共同調査が終わるとインターネットで史料が公開されるとありました。私はもし、キリシタン版が没収されたり、所持者が検束されたりするような文書が出てくるようなことがあったら日本の出版や印刷の歴史にとって有効だと思うのですが。写真は臼杵の史料館にあった南蛮船の模型です。

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