髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

獅子の子落とし

2016-12-21 | 3歳児
息子が3歳になったら何か運動系の習い事に行かせよう、という話を嫁さんとしていて、色々なスポーツが候補に上がったが、結果としてはスイミング、という基本的なところに落ち着いた(そんなことを考えてるうちに息子は3歳8ヶ月になり弟が生まれて長男になった)。

長男を心身ともに強く鍛えるために選んだ道だったが、そこには同時に親の精神力も試されるという、思いもよらない道が用意されていた…。

まずは地元のスイミングスクールに、体験入学へ行った。
こちらとしては、ちょっとプールで遊んで雰囲気を感じ取る…くらいのつもりで行ったのだが、普通にクラス(もちろん最下層)の一員として一コマの授業に参加した形になった。
言うまでもなく、長男は泳げなく、顔を水に浸けることもできない。
開始直後はみんなと手をつないで足だけ水に浸けてバシャバシャやったり笑顔だった長男だが、いざプールに入り、ガンガン潜らせられるコースが始まるとギャン泣き。
まったく泳げない子がいきなり水に潜らせられたらそりゃ泣くでしょう、といった感想。
親はプールの上から見下ろせる場所で見ているのだが、長男は鼻の穴に水が入って苦しい、だからやめてくれ、みたいなことを必死に先生にアピールしているのが見える。
それでも容赦なく繰り返される潜りタイム(手加減はしてもらっている)。
長男はついにはプールから上がって逃げようとしていた。
それでも先生に捕まり再び潜りタイム。
ギャン泣きの息子の口は「パパ!ママ!」と叫んでいるように見える。
たぶん、助けて欲しいのだろう。

正直、見ているのが辛かった。
時計を見てもまだ30分以上ある。
自分の手がじわじわ汗ばんでくるのがわかった。

ここで初めて自分で理解したのは「泣いて嫌がる息子に強制的に何かをやらせたことがなかった」ということだった。

もちろん躾のために叱りつけて泣かせることはあるが、それも息子の表情を見ながら加減はする。

しかしこのスイミングスクールの時間は、どんなに泣いても叫んでも誰も助けてはくれず、一定の時間が過ぎるまでは(本人にとっては何時まで続くのかはわからない)苦しい時間が続く。
そこで苦しんでいる息子の顔を、親はまったく手出しのできない場所から見ることしかできない。

これは完璧にトラウマになるだろうな、という覚悟をした。

その恐怖の30分を耐え抜いた長男は、さすが3歳児というべきか、プールが終わればすっかり元気になって戻って来た。

それから一週間後…

スイミングスクールへ本申し込みをして、第一回目の教室。

今日またプールへ行くよ、と長男に伝えると朝からテンションガタ落ちの様子。
保育園へ迎えに行った時も、この次はどこへ行くの…?と力なく聞いてくる。

長男のスイミングスクール担当は私であったが、前回の体験教室を一緒に見ていた嫁さんも、これは一大事と判断したため一緒についてくることになり、なんとか長男を元気付けながらプールへ向かった。

嫁さんは、「まずは長男が楽しくプールへ通えるようになること」を大前提としていた。
そのために、強制的に他の子と同じことをやらせるのではなく、まずは長男が楽しめるように加減して欲しい、と先生に伝えることになった。
要は、うちの子だけは甘くしてね、ということだ。
何せ初めて我が子を習い事に通わせるので、この行為が許されるものなのか許されざるものなのかはわからない。

しかし前回と同じような内容が繰り返されれば、長男は確実に水が嫌いになると思われる。

嫁さんは長男に「ママが先生に『顔を水につけないで』ってちゃんと言うからね!」と元気付けていた。

そしていよいよ開始の時間が来た。

長男はこの世の終わりのようなテンションだだ下がりの表情でみんなに混じって体操をしている。

再び辛い時間が始まるな…と思うとまた手に汗が滲んできた。

今回は前回と違い、長男のために一人先生がついてくれるようだ。
嫁さんの訴えがしっかり効いている。

しかし、顔をお水に浸けよう、の時間(長男は口だけ水に浸ける)で号泣。

やはり怖かったのをずっと我慢していたみたいだ。

一人号泣している長男を周りの子供達は不思議そうに眺めている。
先生はたぶん「頑張れ」みたいなことを言っている。
唯一長男の恐怖心を理解している親は遠く離れた場所にいる。

もう、心の中で応援するしかなかった。

ここで長男は付き添いの先生と一緒に別行動に入り、口だけを水の中に入れたり、抱っこされてバタ足をしたりして水に慣れることになった。
後半では上で見ているパパとママに手を振ったり、少し笑ったりする場面もあって、はぁ〜と両親はホッとした。

「顔を水に浸ける」

こうして書けば本当に些細なことだけど、このハードルは険しく高い。
だが確実に越えなければならないし、長男の実力であれば必ず越えられる壁だ(と信じている)。

長男に強く逞しくなって欲しい、と願ってこのスイミングスクールに入れたのだけど、まず第一のハードルを越える前に親が腰砕けになりそうだった。

困難に立ち向かったり、目標をクリアするチカラをつけるためには試練は必要なのは分かってはいるのだけど、いざ長男が苦しんでいる姿を見ると「よし!パパが代わりに行ってやるぞ!」という気持ちになってしまう。

「子の試練」が「親の試練」でもあるのだな、とつくづく感じた。

ちなみに私は中学で水泳部に所属して2日目に辞めました。筋金入りの帰宅部です。




先日パパの誕生日パーティーを開きました。嫁さんと長男の合作のケーキ、下に敷いてあるクッキーの絵も嫁さんと長男が描いてくれました。にょろにょろしたのを指差して長男に「これは何?」と聞いたら「パパだよ!」と言ったので感謝してたら、別の場面では「ヘビだよ!」と言っていました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

保守的になる

2016-12-05 | 3歳児
育児生活をしているうちに、どんどん自分が保守的な考えに偏っていくのを感じる。
我が子の身の安全を考えると、どうにも保守的にならざるを得ないのだ。

子供ができると、当然のように子供に関するニュースがよく耳に入るようになる。
その中でも耳に引っかかるのは、子供の事故のニュースだ。
親としては我が子が似たような状況に陥って事故に遭わないように、記事を読み込んで学び防衛しなくてはならない。

そんなニュース群を読むうちにぼんやりと浮かび上がってくるのは、昔では事故が存在し得なかった時間や場所、昔はなかったサービスや道具、昔にはなかったやり方などで事故が多く発生しているように見えることだ。

例えばエルゴの抱っこヒモで子供を抱っこしたまま前かがみになって子供が落下する事故が増えた…みたいなこと。
他にもたくさん思いつくが、そこはアレなのでアレしておく。

つまりは新しい現象に対して、子供たちが人柱(リスクを負って先頭に立つ的な意味)のような存在になって事故に遭っているのでは?ということだ。

「まだ誰も経験したことのない、新しい現象」

これに自分の子供達をさらすことがとても怖くなってしまった。

ひっくり返せば

「数多くの人たちが、同じことを長い間繰り返してきた」

ここに安心感を覚える。
これならこの先も安全なんだろうな、という予測が立つ。
なので、新しい流行が生まれて行列が発生し、自分も気にはなってもまずは行列を確認し、流行が落ち着くのを待ち、多くのレポートが上がってから安全確認をして列に並ぶか考える。
子育て関係の情報にアンテナを張っていても、子育て自体のやり方にもやたらと新しい価値観や奇抜な発想が多いことに気づく。

情報の波に飲み込まれ、必死にもがき続けてたどり着いた新天地で、誰も経験したことのない新しいアトラクションに遭遇して子供が事故に遭う…。
こんなことは避けなければならないので、ともかく自分は新しいことに目を向けるのをほとんどやめてしまった。

先頭も最後尾も右側も左側も歩くな。
安全な真ん中を歩け。

実際にこんなことは言わないが、心の中では同じようなことを考えている。

まあはっきり言えば、自分はとんでもなく「つまらない大人」になったんだな、と思う。

20年前の自分が今の自分を見れば「おめえ心の底からつまらねえ大人だな!」と言われてしまうだろうが、我が子の安全管理の全てを統括する身としては、面白いとかつまらないとかの価値観は存在しない。「安全第一」が絶対のルールだ。

と書いてはいるが…

正直、自分が小さかった頃は、今振り返ってみても「よくあの時に死ななかったな…」と思える遊びばかりしてきた(危険な遊び場所も今より多かった)。

なんというか、我が子には事故に遭わない程度にのびのびと過ごしていただきたい…といった都合のいい願いか。



ここ最近は山でも行かない限りあっという間に落ち葉が掃除されてしまい、落ち葉で遊ぶこともままならないコンクリートジャングル東京。近所の公園が予算がないのか落ち葉盛りだくさんだったので遊びました。そういえば昔は勝手に焚き火とかしてたよな〜
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

魔の3歳児

2016-11-24 | 3歳児
多くの方が聞いたことがあると思うが「魔の2歳児」という言葉がある。

ヨチヨチだった我が子が、身体の動かし方を覚え、知恵もついてワガママの技術が向上して親を困らせるプロフェッショナルになることだ。
我が家も魔の2歳児がくるぞと夫婦二人で身構えていたのだが、長男は想定してたよりも大人しい日々(とは言ってもそれなりに大暴れだけど)を過ごし、もっと甘えてもいいのでは?なんて思っていた。

しかし来ました。
3歳になってから来ましたよ。
「魔の3歳児」です。

現在の長男の基本的生活スタイルは「要求」そして「要求」。
朝起きてから眠るまで様々なことを常に要求してくる。
その要求は「アニメを見せろ」「動画を見せろ」「お菓子を寄越せ」など、ほぼ全てがワガママな要求、もしくは教育的によろしくない要求で、それらが却下されると猛烈に不機嫌になり、泣きわめくか暴力を振るってくるかまったく言うことを聞かなくなる。

簡単に言えば「最初から不機嫌になるために無理な要求をしてくる」としか思えないスタイルである。

お菓子を寄越せ動画を見せろアニメを見せろと騒ぐ暴れる泣く長男をようやく寝かしつけ、翌日の朝起きた瞬間からお菓子を寄越せ動画を見せろアニメを見せろと騒ぎ暴れて泣き出す。

これに加えて、食べ物で遊んだり、網戸を棒で突いて穴を開けたり、カーテンにぶら下がって遊んだり、確実に怒られるようなことしかしない。
なので、長男と1日を過ごしていると、提案の却下、行動の抑制、結果の酷評、こんなことばかりが並びやすい。
これによって長男のストレスが増加して再びワガママを言いたくなってくる負のスパイラルが発生する。
もちろん、楽しく明るく遊ぶ時間も多いが、結果的には長男の怒った顔や泣き顔を見ることが多い。

これだけでも親のエネルギーはけっこう吸い取られるが、これに付け加えて常に長男の遊び相手にならなくてはいけないので、長男と一緒にいるときには、親の時間という物はほぼ存在しない。
夫婦でいるときにはどちらかが長男の遊び相手になるのだが、この時にも、夫婦間の会話は長男によって禁止されている。
「ちょっとちょっとちょっと〜!お話しをしないで〜!僕の話を聞いて〜!」と演説が始まる。
その演説の内容は、だいたいが「ぶどう工場でぶどうパンを買った」「バナナ工場でバナナパンを買った」という謎のお話である。

という訳で「魔の3歳児」として猛威を振るっている長男氏なのだが、これも数ヶ月くらいで終了すると予測している。
3年ほど育児をしてみて分かったことなのだが、何か問題が起きても、その問題に対処しているうちに問題は別の方向に向かってしまうことを学んだ。
おそらく、今回の「魔の3歳児問題」も、親が右往左往しているうちに季節が過ぎて収束し、長男は新しい問題を持ってきてくれるのだろう。

元々は「話せばわかる」タイプなので、今現在は明らかに本人も自覚しながら、ワガママや無理な要求をしているのだと思う。
大変だがこれも子育ての楽しみなのかもな、と思いながら向き合っている。



サンタさんへのお願いが毎日変わる日々です。
ハロウィンといいクリスマスといい、子供がいると楽しいものですね〜
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

乱視

2016-11-01 | 3歳児
3歳の長男が眼鏡をかけることになった。

3歳児検診で指摘をされて、地元の眼科医と大きな病院で検査をして、治療が必要なレベルの乱視だということがわかった。

取り乱す、というほどではないが、この現実を受け入れて飲み込むには少しの時間と様々な思慮が必要だった。

3歳児検診で「もしかすると乱視かも」と指摘をされても、長男はしっかりと目が見えているようにしか思えず、最も身近にいる親も、保育園の先生たちでも気づかなかった。
実際に長男は遠くを走っている電車を見て「特急あずさだ!」と話すし、人ごみの中のママを見つけるのも早い。
ボールを投げればバットで打ち返すこともできるし、飛行機雲を見つけるのも得意だ。

こんなにはっきり見えているんだから視力は十分にあるだろ…

地元の眼科で数時間かけて検査をしてはっきりと「治療が必要です」と言われても、もしかしたら間違っているのかもしれない…と淡い期待をもって大きな病院で再検査をしたが、答えは同じだった。
長男は、視力が発達する成長が遅く、このまま放置すると脳がはっきりとした視界を認識せずに成長してしまい、後になってからでは視力の回復が見込めない、というものであった。
治療としては、眼鏡をかけて視力を矯正し、現時点での長男の視力では見ることができない「はっきりした見え方」を脳に覚えさせ、自らの力で視力が上がるようにする。

長男が通っている保育園で眼鏡をかけている子供はいない(見たことがない)。
地元を歩いていても、3歳くらいで眼鏡をかけている子を見ることは非常に少ない。

自分の子供が他の子供と違っている。

今まで保育園で友達たちとワイワイ楽しそうに遊んでいた長男が、急にみんなに置いていかれて一人ぼっちになってしまう…
そんな感覚が湧いてきて、この現実を認めるのが辛かった。
しかし、一点だけ頭の隅に残っていた光景があった。
今年の夏に行った花火大会で、長男がやたらと花火を怖がっていたことだ。
怖い、早く帰りたいとずっと訴えている長男をなだめて、家族みんなで最後まで花火大会を過ごした。

よくよく思い返してみれば、長男は夜空に打ち上がる花火がしっかりと見えていなかったのだ。
夜の空が突然に明るくなったかと思えば、その後に響く爆発音。
これは怖かっただろうと思う。
しっかりと視力が育っていないことに気づかずに、恐怖を感じるイベントに連れてきてしまって申し訳ない気持ちになった。

しっかりと治療して、綺麗な花火を見せてやりたい…と思った。

また、後になって色々調べてみると、3歳の段階で乱視が見つかるのはとてもラッキーなことだとわかった。
前述したように、検査などで指摘されなければ、日常生活を送っているだけでは親でさえ自分たちの子供の視力が弱いことには気づかない。
当たり前の話だけど、子供にとっては生まれついての見え方なので、自分の視力が弱いことには自分では気づかない。
そうして視力が弱いまま8歳くらいまで育ってしまうと、もう視力を回復する手段がなくなってしまうそうだ。

大きな病院で検査をした後、医師に「どうして息子はしっかりと目が見えるような行動がとれるのか?」と質問したら、子供ならではの鋭い感が働くのですよ、と言われた。また、大人のように細かな文字を読んだりすることがないので、現時点ではよく見えなくても苦には思わないらしい(小学校に上がって初めて「黒板の文字が見えない」と訴えられて乱視が発覚するパターンもあるそうだ)。

そんなこんなで色々あって眼鏡ができあがっていざ眼鏡生活に突入した長男。

親の心配もよそに友達とも変わらずに遊んでいるし眼鏡を嫌がることもなく(まあパパとお揃いだし)、なんにも心配することはなかったな〜なんて一安心。

眼鏡をかける、ということは一つの個性なんだよな、と思えるようになってきた。

本腰入れてじっくりと治療に当たりたい。



手前が長男の眼鏡で奥がパパの眼鏡。価格は約10倍の差があります(長男の眼鏡が高級)。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

できない

2016-09-21 | 3歳児
長男が、塗り絵がうまく塗れないと怒っていた。

数週間前までは塗り絵なぞクレヨンでががーっと塗りつぶして満足していたのに、うまく枠の中に色を塗ることができずに苛立っている。

「できない」ということに気づくのは、「できる」ための第一歩。

長男も着々と成長しているな〜と微笑ましく感じた。

きっとすぐに上手に塗り絵ができるようになるだろう。

これからは自分の背が伸びて、今まで届かなかった場所に手が届くような感じで、未知の世界にどんどん手足を突っ込んでいって、自分の手のひらの中に世界や宇宙を感じたりするのかもしれない。

これが「未来」ってことなんだよなと思う。
キラキラした果てしない世界が待っている。素晴らしい。

対して40代中半の自分はどうかと言えば。

「できない」ということを再認識させられて、「ああやっぱできないっすよね」と後退するばかりの日々。

若かりしころには星にまで手が届くんじゃないかと思っていた手の長さはどんどん短くなり標準的な人間の手の長さになって、最近は老眼も手伝って目の前のペンを取るにも空振りするほどの短さになった。
手のひらをいくら見つめてみても世界や宇宙は見えず、代わりに出てくるのは仕事の人間関係や電車に乗り合わせたクサイおっさんなどに対する憎悪だけ。

これが「ノーフューチャー」ってことなんだよなと思う。
ドロドロした焼け野原だけが果てしなく待っている。死にたい。

いやいや、息子たちが一人前に育つまでは死ねない。

自分も長男に負けないように届かないところに手を伸ばさなければ!



パパも料理大好きなので、料理の腕はすぐに上がるかな?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加