ドドンパ和也&ラッキーの湘南花鳥風月 

ドドンパ和也が、湘南逗子での四季折々の日々の出来事を徒然なるままに書き綴るページ

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823, おたっしゃCLUB

2008-08-17 13:58:27 | Weblog
(写真は、ちょっとピンボケしているが、
1992年、徳間ジャパンから、「幸福の雅楽」を発売した時の、
「おたっしゃCLUB」のレコード会社制作の宣伝材料写真。
中央の真っ赤なビキニで、顔面ユニオンジャックが、ドドンパ和也(僕)、
サングラスにオールバックが、故・見良津健雄、
右は、松本伊代姉(松本伊代の実姉)、左は、野村義男)

今日、この僕のブログに、Neoさんと言う、
高校3年生の方から、コメントが寄せられた。

恐らく、僕のこのブログにコメントを寄せてくださった方の中で
最年少の寄稿者では無いかと思う。

その僕より、30才も若い若者から、一体、どんなコメントが
寄せられたかは、Neoさんのコメントを読んでもらえば明白であるが、
簡単に説明すると、Neoさんのお父さんが、
25年前に録音した、「おたっしゃ倶楽部」と言うバンドの演奏を、
Neoさんが気に入り、このバンドについて調べているとの事。

それで、「おたっしゃ倶楽部」が、どんなバンドだったのかを、
僕に教えて欲しいとの、コメント内容であった。

Neoさんが、「おたっしゃ倶楽部」の事を調べるに当たって、
どうやって、この僕のブログに辿り着いたかは解らないが、
「おたっしゃ倶楽部」に関して、質問するにあたって、
一番ふさわしい人物である僕を選んだNeoさんは賢明である。

なぜなら、「おたっしゃ倶楽部」は、20数年前に、僕が作ったバンドだからだ。

因みに、この僕のブログのタイトルに使っている、
僕の、「ドドンパ和也」と言う名前は、
僕が「おたっしゃ倶楽部」のヴォーカルとして活動する時の芸名である。

さて、それでは、Neoさん。

御質問にお答えしますが、実は、「おたっしゃ倶楽部」のギタリストで、
僕の親友だった、見良津健雄は、2年前に、癌の為に他界してしまいました。

それで、僕と見良津の一番の思い出だった、「おたっしゃ倶楽部」に関して、
僕と見良津の回想録として、このブログの、2006年9月9日、の、
Vol,360で、詳しく書き綴っているので、
それをここに、再記して、その答えに変えさせて下さい。

以下は、「ドドンパ和也&ラッキーの湘南花鳥風月  2006年9月9日、
Vol,360 M(見良津)の思い出 その1 「おたっしゃ倶楽部」 」より
----------------------------------------------------------------------
Mが逝ってしまったのに、いつまでもそれを引きずっていると、
天国のMに怒られそうだが、これから、少しづつ回想して、
Mの思い出にひたろうと思う。

僕とMとは、25年の付き合いになる。
僕のこれまでの人生の半分以上の時間をMと過ごした事になる。

だから、一度には書き切れないので、思い出した時に
少しづつ書き記す事で、Mとの思い出をなぞりたいと思う。

Mと最初に会ったのは、僕が大学生の時で、2人とも21歳だった。
新宿のビルの工事現場のアルバイトの現場での事だった。
Mは、プロミュージシャンを目指して、郷里の別府から、
単身上京してきて3年目の、アマチュアミュージシャンだった。

初対面の印象は、ヒョロっと痩せていて、頭はカーリーヘアーだし、
なんか、田舎臭い痩せっぽちだなあ・・・・と言う感じだった。

しかし、すぐに意気投合した僕らは、一緒にバンドをやりだした。

僕とMを含む、5人組のバンドは、2つの顔を持っていて、
真面目な音楽をやってプロを目指したバンドと、
全く同じメンバーで、コミックバンドもやっていた。

NHKの老人番組から名前を取った「おたっしゃ倶楽部」と言うバンドは、
元々は、僕が作ったコミックバンドだったのだが、
Mの方がえらく気に入ってしまい、
その後、Mのライフワークのようになっていった。

真面目な方のバンドななかなか上手くいかなかったのに対して、
コミックバンドの方は、肩から力が抜けていたせいか、
ライブでの客も良く入ったし、大規模なヤマハのロックコンテストでは、
決勝大会まで進出し、中野サンプラザのステージで、
数千人の観客を、椅子から転げ落ちさせ、爆笑させたものだった。

その時の僕の衣装は、通常バージョンより更にパワーアップしていて、
パプアニューギニアの原住民が股間に付けている、
コテカと言う白いペニスケースを模して作った、
クリスマスツリーばりの電飾が埋め込まれた、
巨大コテカ、人呼んで「銀河君」を股間からはやして、
その電源を確保する為に、中野サンプラザのステージの袖から、
電源ドラムを持って、カラカラ廻しながら、ステージ中央に出て行ったものだ。

そりゃあ、客も笑うわな。

翌年のそのコンテストのポスターの一番真ん中には、
その時の僕の写真が使われていた。
ヤハマさんも、洒落が利いているなあ。

ある時には、Voの僕が、曲の前に、1ネタ爆笑ギャグをぶちかましてから、
カウントして曲に入ろうと思ったが、演奏が始まらないので、
不思議に思って他のメンバーを振り返ると、
僕のギャグに、他のメンバーがへたり込んで笑っていて、
すぐには楽器が演奏出来ない状態になっていたり、
とにかく、面白いバンドだった。

Mは、このコミックバンドがとても好きで、この後も、何か事がある度に、
ライブを行ったし、1992年には、徳間ジャパンから、
企画物ではあったが、Mプロデュースでフルアルバムまで発売したし、
川崎クラブチッタでワンマンライブもやった。

「おたっしゃ倶楽部」の名前を冠したCDは、
いろんなレコード会社から何枚も発売された。
勿論、すべてMのプロデュース作品である。

中には、もともとの「おたっしゃ倶楽部」とはあまり関係が無く、
Mの名前で発売した方がいいんじゃないかと思うようなCDもあったが、
Mは、どういう訳か、「おたっしゃ倶楽部」の名前にこだわった。

そのおかげで、僕も何枚ものCDで歌わせてもらったのだから、Mに感謝である。

真面目なバンドでデビューすると言う、僕とMの夢は叶わなかったが、
Mのおかげで、こうして何枚ものCDを出す事が出来た。

自慢じゃ無いが、僕が歌ったCDは、何枚も発売されたが、
真面目な歌は1曲も無く、全部、コミックソングである。
どうだ!参ったか!・・・・・・・別に、参らんでええか!?

曲名内容も、「ロックおまんた囃子」「関取小唄」とかの、ふざけたものばかりだったが、
「おたっしゃ倶楽部」の曲はすべて、僕が作詞作曲をしていたので
誰にも文句が言えない。

しかし、ギターを演奏するMは別に恥ずかしく無いから良いのだろうが、
Voだった僕のいでたちは、真っ赤なビキニブラに
尻尾付きの玉虫色のちょうちんブルマ、
顔は、メイクを通り越しての顔面ユニオンジャックで、
頭にはブタさんの耳をカチューシャのようにつけた、
とんでもないものだったので、若気の至りでやっていた20代の頃は良かったが、
30代、40代となっていった時には、流石に、僕も恥ずかしかった。

最後に、「おたっしゃ倶楽部」がステージを行ったのは、3年ほど前で、
原宿のクロコダイルと言う老舗のライブハウスでだった。

Mがプロデュースする歌手のCD発売記念ライブの、友情出演をした時である。

親友のMの頼みだったので、僕は、20年以上も着続けた、
先述のあの恥ずかしい衣装に身を包んで、
Mを含む、他のメンバーが演奏する1曲目のイントロに乗って、
原宿のクロコダイルのステージに飛び出して、驚いた。

友情出演の僕が、昔のままの、ド恥ずかしい衣装を着ているのに、
そのCDを発売した歌手の会社の社長であるMや、
社員でもあった他のメンバーは、な、なんと、スーツ姿だったのである!

そりゃあ無いぜ、ベイビー!(なんで、ベイビーやねん!?)

それから、数ヶ月して、別の仕事で、クロコダイルに行った時に、
僕は普通の服装をしていたにも関わらず、
僕の事を覚えていたクロコダイルのスタッフに、

「今日は、ステージで歌わないんですか?」

と、半笑いで聞かれて、恥ずかしかった。

でも、限られた人しか見ない、ライブはまだいい。

前出の「おたっしゃ倶楽部」のフルアルバムを発売した1992年には、
そのCDのプロモーションの為に、いろんなメディアに出まくった。

ビートたけし司会の、スーパージョッキーの熱湯コマーシャルに出た時には、
熱湯風呂でもがくビキニ姿の僕が、全国ネットで放送されてしまったし、
数々のワイドショーでも放送されたのを、僕の母親も
たまたまテレビで見てしまったようで、僕に、

「世の中には、馬鹿は人達が居るもんだねえ・・・。」

と呆れていたが、真っ赤なビキニ姿で、歌い踊るそのお馬鹿な歌手が、
自分の息子である事には気がつかなかった。

この時初めて、素顔がわからない顔面ユニオンジャックのメイクに感謝した。

NHKラジオの「夕べのひと時」に出演した時に、コメントで、開口一番、

「夕べのひとコキをお聴きの皆さん、こんばんわ。」

と下ネタギャグをかまして、NHKの人にドえらく怒られた事もあったなあ・・・・。



あの時、無理やりメンバーに引き入れた、松本伊予の実姉に、
「松本伊予姉(まつもといよねえ)」と言う芸名を付けて、
妹のデビュー曲の「センチメンタルジャーニー」のパロディー曲の、
「センチメンタルじゃねえ!」と言う歌を歌わせた事もあったが、
松本伊予姉は元気かなあ?

「おたっしゃ倶楽部」のCDは、すべてメジャーレコード会社から発売されていたので、

少ないとは言え、全国にコアはファンだ居たようで、後年、
いろんなところで、僕が、「おたっしゃ倶楽部」のVoと知って、
握手を求められたりして、恥ずかしいようなうれしいような思いもした。

それも、Mのおかげである。

ちなみに、この僕のブログの、「ドドンパ和也」と言う名前は、
「おたっしゃ倶楽部」を結成した時に付けた、僕のステージネームである。

時には、デビュー前の爆風スランプと一緒に渋谷ラ・ママのライブに出演して、
ステージに水浴びプールを置いて、僕がその中に入り、
客に生卵をぶつけさせると言う、無茶をした事もあった。

「おたっしゃ倶楽部」は、やって来た事が多過ぎて、書き切れないし、
まだまだ思い出せない事も沢山あるが、そのすべての
「おたっしゃ倶楽部」のステージに、ギターを持ったMが居た。

Mが死んで、お達者倶楽部の一角が欠けてしまった。

お達者倶楽部は、元々僕が作ったバンドだったが、
今では、完全にMのものになっていたから、
そのMが亡くなってしまった今、もう、お達者倶楽部が
活動をする事は無いかもしれない。

昨年、Mに依頼されて、久しぶりに「お達者倶楽部」名義の
企画物CDに収録する為のコミックソングを2曲書いた。

ハゲに関する歌で、「抜け毛ワルツ」と「毛髪ロッカペラ」と言う曲で、
この2曲は、久しぶりの僕の自信作だったが、この企画も頓挫しているし、
プロデューサーのMが居ない今、お蔵入りしてしまいそうである。

数十年後に僕の寿命が尽きて、僕がMの居る天国に行ったら、
又、そこで、Mと一緒に「おたっしゃ倶楽部」をやるかな。
------------------------------------------------------------
Neoさん。

以上のような感じで、答えになってますでしょうか?

「おたっしゃ倶楽部」は、元々は、普通のロックバンドだったのですが、
ギャグ好きの僕のせいで、コミックバンドへ変貌し、
その後、活動を中止したが、音楽プロデューサーとなった、
ギタリストの見良津健雄が、形を変えて復活させてくれ、

1992年 「幸福の雅楽」徳間ジャパンコミュニケーションズ
1992年 「幸福の洋楽  旅荘カルフォルニア」日本コロムビア
1998年 「エンカ トレイン vol,1」 「エンカ トレイン vol,2」

等々の(他にもCD出したてかな?)CDも発売し、
CD発売や、イベントライブの度に、再結成して活動を行う
イベントバンドとなっていました。

20数年前に、このバンドを作ったのは僕ですが、
近年は、見良津が中心となって活動をしていたのですが、
先述したように、その見良津が、2年前に他界してしまったので、
事実上の活動停止となってしまいました。

60代、70代になっても、年がいも無く、
「おたっしゃ倶楽部」をやるのが、僕と見良津の夢だったので、
残念でなりません。

もうすぐ、見良津の3回忌の、9月5日がやって来ます。

Neoさんの、質問のお陰で、「お達者倶楽部」の事、
そして、亡くなった見良津の事を、回想出来て、
懐かしかったです。

礼を言います。

p、s、

反対に、僕からNeoさんに質問なのですが、
Neoさんのお父さんは、25年前に、
どこのライブで「お達者倶楽部」のライブを録音したのですか?

それと、Neoさんの言う、「田中角栄のモノマネ」と言う曲は、
「よっしゃ!」と言う名前のファンクナンバーです。

「良い子の動物園」は、一時期、爆風スランプも、
ライブで演奏していました。
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わざわざありがとうございました! (Neo)
2008-08-17 15:21:58
おたっしゃ倶楽部というバンドが出来るまでのお話や、
どんな活動をしていたかなどがとてもよく分かりました!
あのハジけた MC をしていたヴォーカルのドドンパ和也さんから、直接お話が聞けて本当に良かったです!
CD も何枚も発売されていたんですね。是非探して聴いてみたいと思います!本当にありがとうございました!

ギターの見良津健雄さんが、既にお亡くなりになっていたのはとても残念です…。
ご冥福をお祈り致します。

我が家にある「おたっしゃ倶楽部」のテープについてですが、
カセットテープには「おたっしゃ倶楽部」と書いてあるだけで、いつ、どこで行われたものかはハッキリ分かりませんが、
1985年ごろ、当時父が組んでいた Halfbeat (ハーフビート) というバンドで活動している時に遭遇したのを録音したそうです。
(父のバンドも、ヤマハポピュラーソングコンテストの地方大会?で銀賞を取ったりしていたようです笑)

テープの内容はこんな感じです。:
「今日は普段と違って、アダルトな雰囲気で……」という挨拶から突然1曲目が始まり、
「いや~、1曲で疲れてしまいました」という MC をはさんで2曲目が始まるのですが、
曲の始めで「靴の裏が取れちゃったよぉ~」という声が入っています。
(父によると、靴の間から足を出しながら「ぱお~ん」とやっていたそうですw)
その後、小道具 (扇子でしょうか?) を忘れたといって一度ステージをおりたようで、しばらく間があり、
それから「よっしゃ!」が始まります。
最後に「関取小唄」で演奏が終わる、という、全部で20分程度のテープでした。
ライン録りしたらしく、音は結構綺麗です。ダビングしてパソコンに取り込んだので、mp3 ファイルとして差し上げましょうか?

下ネタ満載の歌なのに、演奏はメチャクチャ上手で、
「今までこんな音楽、聴いた事がない!」と実感しました。
当時は、爆風スランプや東京おとぼけキャッツなど、コミックバンドがいたようですが、
平成生まれの私にとっては、逆に斬新な音楽に聞こえました笑〃

長々と申し訳ありません;;
貴重なお話、本当に有難う御座いました!
25年前の音源 (ドドンパ和也)
2008-08-18 09:54:06
Neoさん。丁寧なメッセージ、恐縮です。

故・見良津は、「お達者倶楽部」では、いつも、
馬鹿馬鹿しい歌詞で、笑わせながらも、高度な
演奏で、OHHH!と、客を言わせたい、
が、口癖だったので、Neoさんの、この感想を
聞いて、天国で喜んでいると思います。

その音源の、僕のMCを、ちょっと書いてくれてますが・・・・・そのようなMCを、一時期、やっていたように思いますが、良くは覚えていないので、
お手数ですが、お言葉に甘えて、この25年前の音源を、mp3 ファイルで頂けますでしょうか?

僕は、PCに疎いのですが、どうすれば、いいですか?

僕の、メルアドをお教えすればいいですか?

別に、僕のメルアドなんて、ここで公開しても、何の
不都合もありませんから。

それと、Neoさんは、本当に、高校3年生ですか?

書かれる文体や内容が非常にしっかりしているので。
Unknown (Neo)
2008-08-18 21:50:07
私も父の影響で、現在高校でバンドを組んでギターを弾いていますが、
おたっしゃ倶楽部の演奏は、本当にびっくりするぐらい上手ですね!
発売された CD の試聴が出来るページでいくつか聴いてみましたが、
カッコよさとお馬鹿な歌詞がそのままで、ホント面白いです!w


父に色々調べてもらったところ、YAMAHA EPIQURUS の FRIENDS CONCERT でのライブの音源のようです。
父の個人サイトの1ページですが、当時の Friends Concert の
写真がありますので良かったら見てみて下さい。笑
http://halfbeat.s31.xrea.com/papa/band_3.html

そのライブの音源を、私のウェブサイトのスペース上に
アップロードしましたので、下の直リンクからダウンロードして下さい。
http://neo.s58.xrea.com/uploader/src/o0097.mp3

本当に高3ですよ~笑〃 高3の男子です!
文体がしっかりしているだなんてとんでもないです!(汗
現在大学受験に向けて、予備校に通って勉強していますが、
趣味のパソコンとギターの誘惑に負けて遊んじゃっている毎日です;;
(追伸というか補足というか) (Neo)
2008-08-18 21:54:46
もし mp3 ファイルのダウンロードの仕方が分からなかったら、という説明だけです。

上の私の書き込みの中の、音源の URL をクリックしてもらえば、
メディアプレイヤーなどのソフトで再生されます。

ファイルを保存したい場合は、URL の上で右クリックし、
「対象をファイルに保存」というメニューを選んでもらって、
好きな所に保存して下さい。

音源のファイルはしばらくアップロードしておきますので、
もしダウンロードの仕方が分からなくてもご安心くさい。

それでは♪

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