ものを製作する上で道具の存在は不可欠である。
例えばソファを製作するとして、布地を縫うミシンや張り地を留めるタッカーなど
細かいものを上げたらきりがないがそれぞれに、それぞれの使い道があるのは言う
までもない。
しかし、道具とは手の延長であり道具が勝手にものを作ってくれるわけではない。
知識と経験があってこそ初めてその本領が発揮される。
話は少し飛んでしまうが、僕たちが学生の頃は図面といったらまず手描きの図面で
CADなどは少ししか学べなかったのだけれど、最近間違った考えの人が増えていて
悲しくなる時が多々ある。
とある仕事場で若者が手描きの図面を見て「なんで手描き?CAD位つかえよ!」
と言い放っていた。それを描いた人も知っているし、その前に図面なんてのは解り
やすく描けていてなんぼなので「手描き=古くさい、ださい」という考え方は非常に
ナンセンスだなとその若者を叱った憶えがある。確かにCADソフトで描けば早いし
機械的なラインなので見てくれもきれいである。しかし僕の恩師は図面も画も一緒
でセンスが問われるものなので、その人なりの仕上がりになってくるからまずは手
描きで身につけてそれからCADをやれと言っていた。確かにその通りである。
少なからず今の時代手描きなんて古くさいと思われるかもしれないが、やはり図面
の原点は手描きではないかなと思う。
CADは名前の通り図面描きをアシストしてくれる道具であり、手の延長、頭の延長
なので立派な道具である。が、経験もない若者がカッコだけでものを言うこの時代
に少しだけ憤りを感じる今日この頃である。
例えばソファを製作するとして、布地を縫うミシンや張り地を留めるタッカーなど
細かいものを上げたらきりがないがそれぞれに、それぞれの使い道があるのは言う
までもない。
しかし、道具とは手の延長であり道具が勝手にものを作ってくれるわけではない。
知識と経験があってこそ初めてその本領が発揮される。
話は少し飛んでしまうが、僕たちが学生の頃は図面といったらまず手描きの図面で
CADなどは少ししか学べなかったのだけれど、最近間違った考えの人が増えていて
悲しくなる時が多々ある。
とある仕事場で若者が手描きの図面を見て「なんで手描き?CAD位つかえよ!」
と言い放っていた。それを描いた人も知っているし、その前に図面なんてのは解り
やすく描けていてなんぼなので「手描き=古くさい、ださい」という考え方は非常に
ナンセンスだなとその若者を叱った憶えがある。確かにCADソフトで描けば早いし
機械的なラインなので見てくれもきれいである。しかし僕の恩師は図面も画も一緒
でセンスが問われるものなので、その人なりの仕上がりになってくるからまずは手
描きで身につけてそれからCADをやれと言っていた。確かにその通りである。
少なからず今の時代手描きなんて古くさいと思われるかもしれないが、やはり図面
の原点は手描きではないかなと思う。
CADは名前の通り図面描きをアシストしてくれる道具であり、手の延長、頭の延長
なので立派な道具である。が、経験もない若者がカッコだけでものを言うこの時代
に少しだけ憤りを感じる今日この頃である。