さめのくち

日常の記録。

おためごかしは伝統芸

2017年01月25日 | 2017読書
『大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験』(河西晃祐/講談社選書メチエ)
満足度: ★★★★★

「大東亜共栄圏」と言えば、太平洋戦争開戦のエクスキューズであり、今なお開戦を肯定する時に金科玉条のごとく語られますが、実際のところどうなんでしょうね、という疑問に一次資料を紐解きながら答えてくれる一冊です。良書。

もともと「東亜共栄圏」「東洋共栄圏」という言葉はあったそうですが、「大東亜共栄圏」が松岡洋右によって公表されたのが1940年8月のこと。6月にはフランスが敗れ、ドイツがヨーロッパの覇者になろうかという時期です。何もしないうちに欧州大戦が終結したのでは、アジアにおける植民地再編にいっちょかみできない。ならば、アジアは大東亜圏、ドイツ・イタリア主体の欧州圏(アフリカを含む)、モンロー・ドクトリンの南北アメリカで米州圏、そしてインドとイランを含めたソ聯圏で世界平和を実現しようぜ、というわけです。イギリスがインドとイランを手放すはずもなく、ソ連はこの案に乗りません(中立条約は締結)。アメリカもノー。そりゃあ虫が良すぎるというものでしょう。

松岡の「夫々の共栄圏尊重」が暗礁に乗り上げたものだから、いよいよ仏印に食指を動かします。これに猛烈に反対したのが松岡。仏印進駐は対米開戦につながるからと、陸軍に(できないとわかっていて)北進を勧めたほどです。その危惧が現実のものになるわけですが、では当時の軍部が勝ち目があって対米戦を始めたのかと言えば「ノー」です。山本五十六が近衛文麿に対し「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる」と言ったのは有名ですが(真偽不明ですが)、「最初の2年は有利に戦えるが、3年目以降は物量差によって必敗」というのは共通認識であったようです。

では戦争は回避できたか? 満州の権益まで手放さなければならなかったかはさておき、今の貨幣価値で数百兆円の国債を発行して戦争を行っていたため、中国から撤退するとなると財政破綻してしまいます。しかも実質的な「敗戦」になるため、既存の植民地経営も困難になったでしょう。全てを諦めるか、わずかな勝利の可能性にかけるか。「敵の本土には攻め入ったことはないが二度の戦争に勝利した」という体験が、アメリカ本土に攻め込まなくても戦争に勝てるのではないかと、後者の選択肢を選ばせたのではないか河西氏は書いています。

結局、「大東亜共栄圏」はおためごかしもいいところで、その証拠に極東軍事裁判でそのことについて触れたのは東条英機くらいしかいません。しかもその東条でさえ、1943年のビルマ独立時には同国を小馬鹿にするような発言をしています。むしろ、独立フィリピンの大統領となったラウレル氏のほうが真摯にこの問題に向き合っています。戦争目的にしろ開戦に至る経緯にしろ、もう少し真面目に戦争に向き合うべきだったのではないかと思わずにはいられません。
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