さめのくち

日常の記録。

母衣問題で話題の『関ヶ原』を観た

2017年08月28日 | 2017映画
母衣問題については以下を参照。問題のレビューは削除されていました。

参照先: シネマトゥウデイ評論 映画「関ケ原」の酷評評論が炎上(togetter: 2017年8月26日付)

母衣知らないでしらないこと書いちゃったのかなあと思っていましたが、劇中でちゃんと家康が母衣のことを話しているのだから、このレビュワー、ちゃんと観ずに批評している可能性があります。

映画にせよ読書にせよ、あるいは他の趣味にせよ、何かを楽しむためには相応の教養が求められます。自分の場合、洋楽の知識がなかったために『ベイビー・ドライバー』を十分に楽しむことができなかったように、関ヶ原に至るまでの大筋を知らなければ本作を楽しむのは難しいでしょう。

司馬遼太郎の原作は未読ですが、本作は関ヶ原が「天下分け目の決戦」ではなく、いろいろ面倒ごとを収めるためのイニシエーションであったとの描き方です。

(1)石田三成(岡田准一)は秀頼擁立の道筋をつけることができれば引退して初芽(有村架純)とよろしくやりたいだけだった。
(2)だから三成を単に殺すのは意味がない。合戦をして、西軍が家康(役所広司)の軍門に下る形を示さなければならない。
(3)三成も家康もポジション・トークを別にすれば目指すところは同じ(天下泰平)。それは合戦前と合戦後、二人が同じ地蔵を立て直すシーンで象徴されている。

考証で気になったのは母衣ではなく、勝鬨。歴史考証に関する本で、大将が「えいえい」と叫び、手下が「おう(応)」と続くとあって、大河ドラマ『功名が辻』の家康もそうしたのですが、本作では一人で「えいえいおう」と言っておりました。関ヶ原は西軍と東軍との決戦ではなく、三成と家康個人の通過儀礼であったから、家康に「おう」とまで言わせた演出だったのかもしれません。

三成の参謀役として、また戦場では一騎当千の活躍を見せる島左近(平岳大)ですが、壮絶な最期を迎えます。対馬に落ち延びた説は……ないか。いやでも最後に近くにいたのが朝鮮からやってきた砲兵だったから、あるいは……。



ちなみに関ヶ原ウォーランドの島左近像からは悪意しか感じられません。



関ヶ原
個人的満足度: ★★★


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