さめのくち

日常の記録。

またしても道中づけに泣く@の・ようなもの のようなもの

2016年01月25日 | 映画
の・ようなもの のようなもの(2016年・日本)★★★★

『の・ようなもの』の公開から35年後の続編。前作は劇場で、ではなく、大晦日に深夜テレビ放映されていたのを何となく見て、道中づけのシーンで思わず泣いてしまいました。東京で一人暮らしをしていた頃、仕事も私生活もどこか中途半端で「の・ようなもの」状態からなかなか抜け出せなかった自分を嘆いてか。いやいや、それでも何とかなるだろうと歩を進める志ん魚(伊藤克信)の不思議な魅力に魅せられてか。多分、両方。

前作の復習もしないまま劇場へ足を運んでしまいましたが、知らなくったって大丈夫。噺家の・ようなもの松山ケンイチが、師匠の13回忌に行方知れずとなった志ん魚を探し出し、新作落語「出目金」を演らせるというシンプルなストーリー。最初に日光方面に向かいますが、伊藤克信の生家は代々日光で旅館業を営んでいるんだそうですね。ロード・ムービーの前半では、森田芳光作品に縁のある豪華キャストがちょい役で登場。大いに驚かせてくれます。

志ん魚が見つかってからは、前作のことを覚えていればより楽しめます。風呂屋寄席での二十四孝が今ひとつだったのとか、黄金餅とか。と調べながら書いているわけですが、知らなくても、あるいは忘れていても楽しめます。

クライマックスは直球で仕留められるわけですが、観終わると、映画全体が松山ケンイチの道中づけのような味わいとなっており、35年前の自分に今までの自分が歩んできたことを道中づけしたくなるような、あるいは誰もがいろんな道を歩んで現在に至るわけだけれど、その過程が愛しくなるような、変化球を引っかけて4-6-3の併殺に打ち取られた気分です。ああ、前作観てからもう一回観たい。





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